新潟地区
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詳細は「信越 (列車)」を参照 新潟駅を中心とした新潟地区では、1994年に信越本線新潟駅→長岡駅間で夜間に「らくらくライナー」として運行開始。2004年3月13日に白新線・羽越本線新潟駅→村上駅間の「らくらくトレイン村上」が新設され、従来の列車は「らくらくトレイン長岡」と改称された。「らくらくトレイン長岡」は2012年に運転区間を直江津駅まで延長し、「らくらくトレイン信越」と改称された。乗車整理券は300円。 廃止時点ではすべての列車でE653系を使用していた。それ以前は485系が使用されていた。 2021年に「おはよう信越」は全車指定席の「信越」に改称、「らくらくトレイン村上」は廃止となり、乗車整理券制によるライナーは廃止された。
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新潟地区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 04:06 UTC 版)
1962年から長岡運転所(現・長岡車両センター)に転配された車両は当初はぶどう色2号1色であったが、新津工場で電車の修理を行うことになったことに伴い、雪の中での視認性等を考慮して赤2号と黄5号の「新潟色」と呼ばれる塗装を採用、1963年9月13日に新塗色の2両の試乗会が開催され、その後拡大していった。。
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新潟地区
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1962年4月の信越本線長岡 - 新潟間電化開業時に京阪神緩行線からモハ70形5両がクハ68形5両とともに長岡第二機関区(現・長岡車両センター)に転入し、その後も横須賀線と京阪神緩行線から転入して、下表のような先頭車がクハ76形・クハ68形、中間車がモハ70形の4両編成で運用された。 ← 新潟 高崎 → クハ68/76モハ70モハ70クハ68/76運用開始直後の38豪雪や新潟地震といった災害発生時には、電車特有の機動力を発揮し有効性が証明された[要出典]。運用区間は当初の新潟 - 長岡間から、上越線は高崎(一時期は10連で上野)まで、信越本線は電化区間の拡大により直江津から妙高高原までに拡大し、1972年の羽越本線と白新線電化に伴い、運転区間は交流電化区間との境界である村上駅まで延長され、北陸本線の一部区間を除く新潟県内の直流電化区間で運用された。 その間も中央西線や阪和線から本系列が、静岡運転所(現・静岡車両区)からサハ87形が転入した。1968年3月時点では78両(モハ70形39両、クハ76形20両、クハ75形5両、クハ68形10両、サハ85形2両、サハ75形2両)、1974年には最大となる106両(本系列87両、クハ68形12両、サハ85形2両、サハ87形5両)が配置された。下表のとおり4両または6両編成に組成され、これらを組合わせて4両、6両、8両、10両編成で運行されたほか、荷物電車2両を併結した12両編成でも運行されていた。 ← 新潟 高崎 → クハ68/75/76モハ70モハ70クハ68/75/76 クハ68/75/76モハ70サハ75/85/87モハ70モハ70クハ68/75/76
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新潟地区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:18 UTC 版)
1次新潟色 湘南色(復刻色) 1次新潟色(復刻色) 2次新潟色 3次新潟色 1次弥彦色(復刻色) 懐かしの新潟色(復刻色) 新潟地区に115系が初投入されたのは1976年で、東北・高崎線上野口への300番台投入で捻出された基本番台が70系電車の置換えを目的に、長岡運転所へ投入が開始された。 1978年からは1000番台6両編成が長岡運転所に新製投入され、捻出された基本番台は岡山地区に転出して80系を置換えた。1982年には水上以北での減車化(6連→5連へ変更)に伴う運用見直しで長岡運転所所属サハ115形1000番台19両が小山・新前橋の両電車区へ転出した。 1984年の越後線・弥彦線電化開業により本系列が投入されることになり、一旦山陽地区に転出した基本番台(先頭車化改造車)や身延線用2000番台が転入したため、新潟地区は基本・1000・2000各番台が混在していた。新潟地区に転入した0番台・2000番台には主電動機冷却風吸入口を客室内に設けるなどの耐寒耐雪強化改造が施工された。クハ115形2000番台は7両すべてが奇数向きだったが、2129を除き方転された。 JR化後も残る非冷房車・冷房準備車は1988年度からAU712形による冷房化改造が施工され、弥彦線用Y編成・非ワンマンS編成など0番台グループで冷房電源に静止形インバータSC24を搭載した車両は制御電源としてモハ・クモハ114形に20 kVAのMGが引き続き搭載されている。L1 - 6編成は電動車が基本番台であり、基本番台の電動車と組む1000番台・2000番台の冷房準備車はAU75系ではなくSIV給電のAU712形が搭載された。 クモハ115-1023やクハ115-1023・1024など一部車両(N24・L12編成)は廃車発生品を利用してAU75形で冷房化改造されたため、車両中央部のみに冷房吹き出し口があり、扇風機や運転台上部の箱型通風器も残されるなど他編成と相違が目立っていた。後年のリニューアル改造後もそのままであったが、後に他のAU75形冷房装置搭載車と同じ仕様に改造され、扇風機や箱型通風器も撤去されている。 新潟地区115系の塗装は長らく湘南色であったが、国鉄末期より白地に青帯と赤の細い帯を巻く「1次新潟色」への塗装変更が開始された。キハ40系ほか新潟地区の気動車にも1次新潟色の塗装が普及したが、115系ではJR化後に再び塗装変更が行われることになり、1993年には白地に緑と黄緑の帯を巻く「2次新潟色」が採用された。1次・2次新潟色には塗装の細部が異なる車両も存在した。先頭車両に施された帯は新潟の「N」をイメージしたものである。 1988年からは弥彦線でワンマン運転が行われることになり、クモハ115・114形500番台2両編成のうち3本にワンマン化改造が施工された。運賃箱・自動放送装置・ドアチャイムなどワンマン運転対応設備が設けられたほか、塗装は白地に赤と黄色のストライプを有する「1次弥彦色」に変更された。冷房装置はSIV給電のAU712形で、MG交換は実施されなかった。後に弥彦線ワンマン車Y編成は塗色がホワイトとイエローのツートーンカラーにライトグリーンの帯を巻いたカラー「2次弥彦色」に変更されている。 民営化から間もない1988年より首都圏への211系投入で捻出された115系が新潟地区にも転入し、非冷房で大型前照灯の先頭車も順次消滅した。この転用でサハ115形も転入しており、L12 - 14編成はMcM'TTc'で組成された。Tc'の一部は首都圏からの転入車でATS-Pを搭載、MM'ユニットの一部は小山からの転入車であった。N25編成のクハ115-1245は、改造前のクハ115-1142時代に小山および新前橋へ配置されていたためATS-Pを搭載する。 1991年にはモヤ115形を含む訓練車4両編成1本が長岡運転所に配置され、非冷房の4両編成(クハ115-111+モヤ115-1+モハ114-59+クモハ115-115)を組成した。初代は1次新潟色最後の車両で、1998年の2代目訓練車置き換えまで使用された。 信越本線・上越線の閑散区間では115系の短編成化改造車2両編成(S編成)が運用されていたが、短編成化以前に存在したトイレがなくサービス上問題となったため、1992年以降にS1 - 3・7・10 - 12編成のクモハ114形1500番台にトイレ設置改造が施工された。トイレ設置場所の側窓部分は埋められ、汚物処理装置も真空式となった。クモハ114形1500番台は5編成がトイレなしで残されており、他のトイレ付き編成と組み合わせて運用されるよう配慮されていた。 1996年2月より、JR東日本もスポンサーとなっているサッカーJリーグ・ジェフユナイテッド市原(現・ジェフユナイテッド市原・千葉)の広告塗装が長岡運転所の115系N31編成に採用された。ジェフユナイテッド塗装には複数の塗り分けパターンがあり、時期により異なっていた。クハ115-41・151の2両は営業運転に入らず土崎工場への入場・出場車を機関車牽引する際の控車となり、赤と黄色の塗装に変更された。 越後線と上越線における冬期の霜対策として、1995年度より1000番台3両編成のうち4本のモハ114形に霜取りパンタグラフが増設された。N4・N6・N8・N14編成のモハ114形でパンタグラフを2基搭載する。 1998年にクモハ115-506+クモハ114-506の1編成2両が訓練車のクモヤ115-1+クモヤ114-1に改造され、従来の非冷房4両編成の訓練車を置き換えた。訓練車の塗装は湘南色をベースに白帯が入れられたものとなっている。 1999年より新潟地区の115系にもリニューアル工事が開始された。施工内容はCPをスクリュー式へ交換・MGをメンテナンスフリーのSIVへの変更・化粧板や座席モケットの張替・ロングシートとドアの間に新規にアクリル防風板を追加するなどである。リニューアル改造施工車はパンタグラフがシングルアーム式のPS35B形に交換されているが、最初期にリニューアルを受けたN14編成のモハ114-1083とN28編成のモハ114-1109の2両は菱形のPS16形が存置された。 リニューアル工事施工車は白地に濃淡青の「3次新潟色」に変更された。この塗装は新潟の水・米、海・川、水田のイメージで、地元の大学生によってデザインされた。初採用は1999年12月出場のN30編成で、それ以前にリニューアル出場したN28・N14編成は2次新潟色で出場後に3次新潟色に変更されている。新潟3次色車の運用区間は羽越本線、信越本線、上越線である。 新潟地区に新製投入された1000番台や転入車の2000番台は更新対象から外れたが、台車の枕ばねや軸ばねのエリゴばねへの交換や車両内外の低い位置にドアレールヒータに関する注意を促すステッカーが貼付されているほか、一部車両はアコモデーション改良工事を施工された。座席モケットをリニューアル工事施工車と類似したものに張替、化粧板や床仕上げ材を交換、トイレの改装が行われたほか、パンタグラフ増設工事を4両に施工した。 1999年12月4日ダイヤ改正で長岡運転所(現・長岡車両センター)配置車両が上沼垂運転区に移管され、新潟地区115系の配置が集約された。長岡運転所の所属車両は上沼垂運転区のS編成となった。S1 - 12編成は1500番台でAU75形冷房装置を搭載し、S13 - 15編成は500番台でAU712形冷房装置を搭載していた。N22 - 32編成は、1995年12月でE127系の投入に伴い一旦長岡に転出したあと集約化で上沼垂に戻った編成である。 2007年7月16日に発生した新潟県中越沖地震では、S1編成が柏崎駅で脱線転覆したが、長野総合車両センターでの修復を受け運用復帰した。 2011年にL6編成4両およびN2編成3両が湘南色に復元された。N2編成はリニューアル工事を施した3次新潟色編成であったため、シングルアームパンタグラフとSIVを装備したまま湘南色に塗り替えられた。L6編成・N2編成ともにJRマークは貼られていない。2014年にはL9編成・N23編成も湘南色となっていた。 2013年3月より長野総合車両センターへの211系転入で捻出された115系1000番台が新潟へ転属し、2014年6月までにN33 - N38編成の6編成が転入した。パンタグラフはシングルアーム式のPS35Aで、先頭車はATS-Pを搭載する。このうちN38編成はクモハ115-1001・モハ114-1001・クハ115-1001の1000番台トップナンバー編成である。2014年7月にはL3・S15編成の各車とL14編成のサハ115-1002が廃車となり、L14編成の残る3両がN39編成となった。2015年12月に長野から転入した1編成はN40編成となった。 2014年度からE129系への投入による置換えが開始され、115系は初期車を中心に順次廃車となった。2014年11月にS13・14編成が、L1編成は同年12月に廃車された。2015年8月にはL2・4編成が廃車となり、N19編成も2015年8月29日付で廃車となった。L5・6編成は2015年12月に廃車、N1編成は2016年2月29日付で廃車された。 2015年3月14日ダイヤ改正での北陸新幹線金沢延伸開業に伴う信越本線長野 - 妙高高原間のしなの鉄道移管に伴い、新潟車両センター所属車の検査担当工場が長野総合車両センターから大宮総合車両センターへ変更された。大宮への入出場にはATS-P搭載車が必要なため、長野総合車両センターの115系1000番台6両編成(旧C3編成)がATS-P非搭載車入出場時の「伴車」として新潟車両センターに転入し、L99編成となった。 L99編成の塗装は「新長野色」のままとなり営業運転には充当されず、2015年5月に中間車2両が廃車となり、以降は4両編成で使用されている。新潟車両センターと大宮総合車両センターの間の入出場は上越線経由で行われた。 Y編成は弥彦線弥彦 - 吉田の全列車・吉田 - 東三条の一部列車・出入庫を兼ねた越後線吉田 - 新潟1往復で運用され、近年では同地区のE127系の代走で白新・羽越本線に入線することもあった。新潟地区のE127系0番台は北陸新幹線金沢延伸開業に伴い転換されたえちごトキめき鉄道へ順次譲渡されたが、新潟車両センターに残った2両編成2本(V12・V13編成)が2015年3月14日改正から弥彦線に投入されたため115系Y編成は3編成とも運用を離脱した。運用を離脱したY編成は同年7月15日に廃車されている。Y1編成には最後まで鋼製ドアが残っていた。 AU712形冷房装置を搭載していた車両は、2013年時点で新潟車両センター所属車のみであった。2015年度まではL編成の一部に基本番台が残存し、鋼製ドアの車両もあった。L1 - 4編成にはクハ115 - 551・552・553・613などが組み込まれており、クハ115-553は製造から50年以上経った後も運用された。0番台と同じく1984年の越後・弥彦線電化時に転入したクハ115形2000番台も在籍していたが、2016年12月に全廃となった。 2017年には1000番台3両編成1本が「懐かしの新潟色」に復刻され、N3編成が2017年1月18日付で70系電車時代の赤2号と黄5号のツートンカラーに変更された。N37編成は2017年に1次新潟色に変更され、同年9月24日より営業運行に復帰した。2017年12月にはN40編成もN3編成と同じ「懐かしの新潟色」となり、同年12月29日より営業運転に復帰している。 2016年3月にはL編成の残存全編成が運用を終了し、L7・9 - 13編成は同年4月に、L8編成は同年5月にそれぞれ廃車され、L編成は全廃となった。L12・13編成の廃車で新潟地区のサハ115形は消滅し、高崎地区も含めてサハ115形は形式消滅した。S編成も2016年4月から5月にかけてS1・3・7・9 - 12編成が、同年6月にS2編成が廃車された。同年7月には残るS編成が定期運用を終了、同年8月に残るS4 - 6・8編成も廃車され、全廃となった。訓練車のクモヤ115-1+クモヤ114-1は2016年6月17日付で廃車された。 N編成は2016年4月にN6・8・14・20・25・31編成が、同年8月にはN4・11・26編成が、同年9月にはN10・32編成が、それぞれ廃車された。2016年12月にはN12・16・23・27・28・39編成が廃車された。2017年4月にはN2・5・7・9・15・21・22・24・29編成が廃車された(N15編成のクモハ115-1061の廃車は2017年6月24日付)。2017年に廃車となったN15編成のうち、クモハ115-1061は新津鉄道資料館に静態保存された。 JR東日本新潟支社では、2018年2月に投票企画として「『私と通勤・通学電車』〜みんなで選ぼう 115系車両デザイン〜」を実施した。投票結果は「2次新潟色」が投票数252票で1位となり、2018年9月に3次新潟色であったN35編成が2次新潟色となって出場した。また投票数が1位と4票差で2位となった「2次弥彦色」も復刻されることになり、2018年10月にN36編成が2次弥彦色で出場し、11月5日より定期運用に復帰している。 2018年春の新潟駅在来線ホーム高架化に伴い、同駅構内でATS-Pの使用が開始された。そのためATS-Pを搭載していない新潟地区生え抜きのN3・13・17・18・30編成が運用を離脱し、同年4月3日から10日にかけて廃車された。L99編成は新潟車両センターに残存する115系がATS-P搭載車のみになったため伴走車が不要になり、2018年8月に長野総合車両センターに回送され、同月2日付で廃車された。 2018年3月以降は、N編成のみが越後線・弥彦線・信越本線の直江津 - 長岡 - 新潟間・えちごトキめき鉄道妙高はねうまラインの新井 - 直江津間で定期運用に充当された。ただし2000年代後半以降は、北陸新幹線金沢延伸開業による並行在来線の移管まで、諏訪湖花火観客輸送のため通常は長野総合車両センターが担当する信越本線運用の一部を代走することがあった。 2019年9月には、N33編成が1次弥彦色に復刻された。これにより新潟の115系は残存7編成全てが異なるカラーリングとなった。各編成の塗装バリエーションは以下の通り。 N33編成 - 1次弥彦色 N34編成 - 3次新潟色 N35編成 - 2次新潟色 N36編成 - 2次弥彦色 N37編成 - 1次新潟色 N38編成 - 湘南色 N40編成 - 懐かしの新潟色 以降この7編成21両が運用されていたが、E129系の増備による置き換えで2022年3月11日をもってすべての運用を終了した。2022年(令和4年)4月1日現在、新潟車両センターには7編成21両が引き続き配置されている。
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