新潟医学専門学校時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 06:20 UTC 版)
「新潟医科大学 (旧制)」の記事における「新潟医学専門学校時代」の解説
1901年、旧制高等学校医学部 5校が独立し、医学専門学校 (医専) となった (千葉・仙台・岡山・金沢・長崎)。新潟県内でも官立医専設置の要望が高まり、1904年には北越医学会・県教育会が官立医専設置運動を展開した。日露戦争勃発で運動は一時挫折するが、終戦後に本格化した。1905年、県知事が上京して石黒忠悳らに官立医専設置を諮り、敷地・附属病院・創設費30万円の寄附を申し出たのを始め、翌1906年には新潟県会が病院・創設費寄附予算を可決している (最終的に地元負担金は県 24.5万円、市 19万円となった)。これを受けて1907年3月、帝国議会は新潟県への官立医専設置を決定した。 1907年12月: 新潟市西北部の南山砂丘で敷地整地。 1908年12月: 校舎建築開始 (翌1909年3月、校舎落成)。 1910年3月31日: 文部省直轄諸学校官制改正により新潟医学専門学校設置 (勅令第66号)。 1910年4月6日: 新潟医学専門学校規則制定 (文部省令第8号・第10号)。本科は修業年限4年、旧制中学校卒業者対象。 1910年6月30日: 市立新潟病院廃止、新潟医学専門学校附属医院に改組。 1910年9月11日: 第1回入学式。 1910年9月23日: 校友会 「攻瑤会」 発足。 1911年10月10日: 第1回創立記念式・陸上大運動会を開催。 1912年: この頃、校歌制定。『波は滔々信濃川』 (吉丸一昌 作詞、楠美恩三郎 作曲)。 1914年11月: 第1回卒業。 1915年12月: 同窓会 「新潟医学専門学校学士会」 発足。
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