新潟医科大学時代とは? わかりやすく解説

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新潟医科大学時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 06:20 UTC 版)

新潟医科大学 (旧制)」の記事における「新潟医科大学時代」の解説

1922年3月31日勅令143官立医科大学官制により新潟医科大学設置岡山同時)。新潟医学専門学校新潟医科大学附属医学専門部改称在学生収容学部修業年限4年旧制高等学校理科卒業者対象)・研究科附属医院設置1923年9月関東大震災救護班派遣 (計3回): 日暮里亀戸戸塚活動1924年3月31日新潟医科大学附属医学専門部廃止勅令94号)。 1926年3月: 新潟医学大学として第1回卒業生18人)が卒業1927年9月同窓会新潟医科大学学士会発足1929年12月医専医大の両同窓会合併、「新潟医科大学学士会」 となる。 1939年5月15日臨時附属医学専門部設置勅令315号)。1939年6月臨時附属医専部、第1回入学1942年10月臨時附属医専部部歌制定。『清明 越の白雪に』 (村田一 作詞、平井保喜 作曲)。 1944年3月31日臨時附属医学専門部附属医学専門部改称勅令200号)。 1944年10月妙高高原町池ノ平妙高修練道場開設1945年6月附属医院看護婦養成科を附属医院厚生女学部と改称1945年7月空襲備えて設備間引き破壊実施1945年8月12日原爆投下備えて校外疎開原爆疎開)。 1946年7月: 『新潟医大新聞創刊1947年9月病院レントゲン教室から出火漏電のため)。外科内科教室第二講堂全焼第一講堂半焼1947年12月29日学長室で 「北日本総合大学設置運動会議を開催1948年1月新潟県知事北日本総合大学構想開示この年北日本総合大学実現目指し街頭署名活動などが活発に行われた最終的に新潟県内官立国立高等教育機関県立農専とで新潟大学創設することとなった1949年5月31日新制新潟大学設置旧制新潟医科大学附属医学専門部は、医学部母体として包括された。 附属医院新潟大学医学部附属病院となった1949年6月附属医院厚生女学部を附属医院厚生女学部と改称1949年10月妙高修練道場を好山寮と改称1951年3月附属病院厚生女学部を医学部附属看護学校改組。後の新潟大学医療技術短期大学部、現・医学部保健学科1951年4月新制医学部4年制開設23日第1回入学式1951年11月附属病院にて失火漏電のため)。外来棟・薬局管理部焼失1952年3月31日附属医学専門部旧制)、廃止法律第22号)。 1954年3月11日新潟大学新潟医科大学 (旧制)最後卒業1954年4月新制医学進学課程2年制開設1955年4月1日新制大学医学研究科博士課程設置7月1日付 法律第44号)。 1956年5月1日新制大学医学研究科第1回入学式1960年3月31日新潟大学新潟医科大学 (旧制)廃止

※この「新潟医科大学時代」の解説は、「新潟医科大学 (旧制)」の解説の一部です。
「新潟医科大学時代」を含む「新潟医科大学 (旧制)」の記事については、「新潟医科大学 (旧制)」の概要を参照ください。

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