ATS-P搭載車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:38 UTC 版)
「国鉄113系電車」の記事における「ATS-P搭載車」の解説
静岡運転所配置の4両編成のうち、0'番台や2000番台で構成された17本がT編成と呼ばれ、国鉄末期の1986年11月から民営化後も東海道本線東京口でJR東日本車と併結運転を行ってきた。 1993年10月から東京 - 小田原でATS-Pが使用開始されるのに伴い、1992年から1994年にかけて、先頭車にはJR東日本と同様のATS-P取付改造が施工された。これに合わせて編成全車も110 km/h運転対応のブレーキ力向上が同時に施工されている。改造施工車は、早期に改造されたものは未改番だったが、1994年2月までに奇数向きクハ111形は700番台(2000番台車は2700番台)、それ以外の車両は600番台(2000番台車は2600番台)に改番されている。なお、車号は百の位を6、7に変更したのみなので元番号と順番が入れ替わる車両が発生している。 後述のとおり、トイレは偶数向きクハ111形のみの使用と改められ、奇数向きクハ111形のトイレは業務室扱いとして閉鎖された。一部の編成では東急車輛製造でATS-Pの取付が行われた。 番号の対照は以下のとおり クハ111-203・204・206・207・209・213・221・238・241・247・251・195・197・2107・2122・2133→703・704・706・707・709・713・721・738・741・747・751・795・797・2707・2722・2733 クハ111-508・509・510・511・512・513・514・519・524・530・531・542・544・546・2022・2032→608・609・610・611・612・613・614・619・624・630・631・642・644・646・2622・2632 モハ113/112-302・307・233・234・247・248・249・254・276・277・280・288・2075・2084・2087・2097・2098→602・607・633・634・647・648・649・654・676・677・680・688・2675・2684・2687・2697・2698 車号太字のみ改造・改番は1994年2月 改造内容はブレーキ力増強、焼結合制輪子・ライニングの使用。 上記のとおり他社管内での運用が主で、伊東線および伊豆急行線全線でも2本併結の8両で運用された。入庫は下り東京 - 静岡間(323M, のちに325M)、出庫は上り静岡 - 横浜間 (360M) とされ、横浜で折り返し伊東行き (537M) となり、翌日は伊東線・伊豆急行線で終日運用され、その翌日に熱海から東海道線運用に入っていた。なお、伊東線・伊豆急行線での運用の際は、方向幕に「伊豆急下田」が含まれていないため、「普通」表示となっていた。 1998年3月改正では、国府津電車区(現在の国府津車両センター)に横須賀・総武快速線からの転用車を使用して付属編成が増強されたことに伴い、捻出された一部は静岡地区内での運用が増加した。2000年には後述のように3本がT編成を解かれ、先頭車が元番号に戻された。 2002年12月改正では、伊豆急行200系増備に伴い伊東線・伊豆急行線内運用が消滅。出庫列車 (360M) の終着駅が国府津駅に変更された。 2004年10月改正ではE231系の投入により国府津の113系の置き換えが開始され、さらにJR東日本 - JR東海乗り入れ列車の大幅削減に伴い、東京口での運用が終了。一部編成は貸出扱いとして残ったが、12月までにすべて返却された。その後は列車番号表示機の撤去およびATS-P使用停止の小改造を受け(耐用年数の関係からブレーキ力戻しや元番号への復帰はせず)、ローカル用編成と共通運用で自社内で使用された。しかし、東京地区での過酷な運用のため老朽化が著しく、他の113系より一足早く2006年初旬から廃車が開始され、2007年までに全車廃車となった。 後年、偶数向きクハ111形のトイレ部分の行先表示器がJR東日本車と同様に撤去され、その部分には当て板が施されている。
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