1500番台
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唐津線・筑肥線・福岡市地下鉄1号線(現在の空港線)直通運転用として、1982年に6両編成 (4M2T) 9本54両が製造された。唐津電車区(現在の唐津車両センター)に配置され、編成番号は3両ずつに分かれている。 製造当時、既に常磐緩行線・千代田線直通用として電機子チョッパ制御の203系電車が製造されたが、筑肥線は筑前前原以西の駅間距離が長く列車密度も低いため、ブレーキ頻度や回生負荷の面で電機子チョッパ制御車を導入しても省エネ効果や回生制動力が期待できないことから、費用の安い103系が一部設計変更のうえ導入された。 1500番台のみ、日立製作所でも製造された(川崎重工業と分担)。 車体構造や内装は本番台と同時期に製造されていた201系を基本としている。A-A基準準拠のため、先頭車両は105系に近似した貫通扉を有する前面デザインが採用された。窓周りの額縁部は105系では黒色ジンカートであったが、103系1500番台ではFRPとなった。 側窓は上段下降・下段上昇のユニット窓となり、戸袋窓は103系で唯一新造時より省略されている。 冷房装置はAU75Gが搭載された。内装天井部の冷風吹出口はラインフロー式であるが、横流ファンや首振扇風機のような補助送風機は併設されていない。 車体塗装は、玄界灘をイメージしたスカイブルー(青22号)にクリーム色(クリーム1号)の帯が採用された。窓まわりの配色はクリーム色となっている。クハ103形の正面には国鉄車を示すJNRマークが掲出された。 機器配置は他の地下鉄乗入車に準じているが、主制御器は0番台で広く使用されているCS20D形を基本に自然通風式主抵抗器を使用するために手直ししたCS20D-G3形が搭載された。電動発電機は、費用削減のため153系の廃車発生品を流用した出力110 kVAのMH128D-DM85Dが搭載された。 折返時などの長時間停車での車内保温のため、4ドアのうち3ドアを締切るドアカット機能が搭載された。 1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化で全車がJR九州に継承されたが、同社に継承された本系列は本グループのみである。分割民営化後、4本が先頭車化改造により3両編成化されたため、2010年(平成22年)時点で13本54両となった。3両編成は限定運用、6両編成は303系代走運用も担当した。なお、クハ103-1504は1998年(平成10年)3月に今宿駅付近で強風により脱線したが、復旧している。 乗り入れ先の地下鉄線はATO路線であり市営地下鉄の車両ではこの機能を利用したワンマン運転を行っているが、当グループにはATO装置が搭載されておらず、地下鉄線内はATCを利用して運転を行っていた。また同線内のホームドアとの連動もできないため、地下鉄線内では車掌が乗務し、ドア開閉は車掌スイッチとともにホームドア開閉スイッチを操作していた。 2014年(平成26年)7月31日、JR九州より後継となる305系の投入が発表された。6両編成6本が製造され、2015年(平成27年)2月5日より営業運転を開始している。これに伴い順次地下鉄乗り入れ運用から離脱し、6両編成5本と3両編成2本が廃車となり、JR九州小倉総合車両センターにて解体された。現在では残った3両編成が筑前前原と西唐津の間でワンマン列車として運行されている。
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1500番台
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1974年に新造されたモノクラス4M2Tの6両編成x3本と予備のMM'ユニット1組・クハ481形2両で構成される計22両の北海道向け特別耐寒耐雪形による番台区分である。 函館本線の電化区間であり道央都市間連絡の要となる札幌 - 旭川間では冬期も安定した性能を誇る711系による急行「かむい」ならびにノンストップ急行「さちかぜ」が堅調な実績を上げていた。そのため同系をベースとした新型交流専用特急車が計画されたが、TM14形を含む従来形主変圧器で絶縁・冷却に使われていたPCB油の毒性が判明し、油種変更に対応するため計画は一時頓挫した。だが、沿線と北海道総局の期待が強いことと無害なシリコーン油を使用するTM20形主変圧器が開発されたため北海道向けに300番台をベースに以下の設計変更を実施した本グループを1973年度第1次債務で川崎重工業(現・川崎重工業車両カンパニー)と日立製作所笠戸事業所の2社により新造し、暫定投入する事が決定した。 台車は耐寒耐雪強化タイプとし、呼吸式軸箱とした上で軸箱支持装置用軸ばねをゴム被覆コイルばねへの変更を実施。電動車では両抱き式耐雪ブレーキならびに鋳鉄製制輪子対応のDT32G形を、クハ481形では踏面清掃装置付のTR69G形を装着した。 床下機器箱に凍結防止用電熱ヒーターを追加し防雪ならびに粉雪浸入防止シール類を新設。 モハ484形は専務車掌室・車販準備室設置とした600番台の構造を踏襲。 クハ481形は300番台と同様の非貫通型であるが、降雪時視認ならびに被視認性向上の観点から運転台上前照灯を2基に増設し計4基としたほか、ワイパーブレードを4本に増強し運転台側面ガラスも熱線入りに変更。 全車札幌運転所へ配置されたが、新製直後から耐寒耐雪装備の試用を兼ねた青森運転所への貸渡名目で大阪 - 青森間の「白鳥」に充当された。翌1975年1月から3月にかけてクハ481形前面連結器を自動連結器もしくは密着自動連結器に交換した上で順次札幌へ回送し、訓練運転を開始。同年7月18日から新設されたエル特急「いしかり」7往復に充当された。さら運用開始後の1976年に苗穂工場で以下の改造を施工。 尾灯が自車の巻き上げで付着する雪で確認できなくなることが判明したため車体内側から電球を交換する標準タイプから外側より交換する外はめ式に変更。 暖房装置ならびに凍結防止ヒーターを強化。 しかし本来は本州地区での使用が前提とされた車両であるため冬期には以下のトラブルが多発した。 無接点制御装置搭載の711系に対し本系列では主制御器などの電装部品に可動部品や接点が多く侵入した粉雪の融解による絶縁不良や再凍結による動作不良。 走行中は負圧となる車内に北海道特有の粉雪が出入口や貫通幌隙間から大量に侵入し、凍結した客用扉の不作動による遅延・運転打切り・運休が続発。 このため編成をMM'1ユニット減の4両に短縮。運転間隔を2時間から4時間とする計画運休による間引きで予備車と折り返し整備時間を確保した。 これら各種トラブルの根本的解決はなされず、1978年には北海道専用特急電車となる781系を開発。1980年には量産車による置換え完了で同年夏までに本番台は全車が青森運転所に転出。分割民営化時には全車がJR東日本に承継された。 クハ481-1501 - 1508 本州転出後は青森残留車と上沼垂運転区・秋田運転区へ転出する車両に分かれたが、最終的には全車とも一度は新潟へ配置された。1986年に新潟へ転属した1502 - 1505・1507の5両はJR化後にグレードアップ改造を施工したほか、3000番台化ならびにジョイフルトレイン化の改造を施工した車両も存在する。 クロハ481-3020(元・クハ481-1501) クロ481-1503 クハ481-1505 クハ481-1507 1501 青森運転所残留のまま1987年にクロハ481-1020へ改造。1999年にクロハ481-3020にリニューアル改造され2006年に新潟車両センターへ転出。同センターR28編成。2017年4月6日付で廃車。 1502・1503 上沼垂グレードアップ改造施工車。9両T編成運用後は4両モノクラスのT22編成に再組成されたが、2006年にジョイフルトレイン「彩(いろどり)」のクロ481-1502・1503へ改造改番。長野総合車両センターN201編成として組成。2015年7月1日付で交直切換機能を直流側に固定しクロ481-5502・5503へ再改番。2017年10月20日付で廃車。 1504・1505 上沼垂グレードアップ改造施工車。9両T編成運用後は定期運用を持たない波動輸送対応用T19編成に再組成されたが、2002年に勝田車両センターへ編成ごと転出しK60編成へ改番。2013年1月で運用離脱し廃車回送された。 1506 1992年に秋田へ、1997年に新潟へ転出。2000年にクハ481-3506へリニューアル改造され新潟車両センターR24編成に組成。JR羽越本線脱線事故で脱線大破したため2007年3月31日付で廃車。 1507 上沼垂グレードアップ改造施工車。9両T編成運用後は4両モノクラスのT21編成に再組成されたが、2006年6月1日付で廃車。 1508 クハ481-15082008年4月以前の上沼垂色時代 クハ481-15082008年6月以降の旧国鉄色に復活後 青森転出後の1982年に広域転配で鹿児島運転所への牽引車運用に充当されたことで電化区間最北端・最南端両方への到来実績がある。 JR化以降の1987年に秋田へ転出し9両編成を組成、1992年に編成ごと青森へ2度目の転出となり、翌1993年に6両編成化されA12編成として再組成された。2000年に編成ごと新潟車両センターへ転出しT18編成に改番。2015年7月10日付で廃車。秋田運転区配置後、上野発着「つばさ」ならびに共通運用の「あいづ」へ充当される9両編成に組成されたことから首都圏乗入に必要なATS-Pを、1992年の2度目となる青森所属に際し急行「津軽」へ充当されることになったため車内減光装置を搭載したことから、以降は波動輸送対応車としても運用された。 クハ481形1500番台履歴車両番号製造会社落成日新製配置転属改造廃車1501 川重1974.5.23札幌 青森1980.9.10 新潟2006.3.24 クロハ481-10201987.12.24クロハ481-30201999.3.24 2017.4.6 1502 青森1980.8.10 新潟1986.9.19 長野2006.5.22 クロ481化2006.5.225502・5503へ改番2015.7.1 2017.10.2 1503 新潟1986.10.28 1504 青森1980.6.11 勝田2002.12.6 2013.1.23 1505 日立1974.4.25札幌 新潟1986.9.19 1506 青森1980.9.10 秋田1992.7.1 新潟1997.3.27 クハ481-35062000.12.12 2007.3.31 1507 日立1974.6.1札幌 青森1980.9.28 新潟1986.10.15 2006.6.1 1508 秋田1987.7.1 青森1992.7.1 新潟2000.7.2 2015.7.10 モハ485・484-1501 - 1507 青森転属後は1985年に向日町運転所へ再転出。1986年11月1日には上沼垂運転区へ再々転出し「雷鳥」「白鳥」などの日本海縦貫線運用に充当。全車グレードアップ改造を施工したが、2001年から2002年にかけて運用終了。老朽化ならびに上沼垂配置のMM'ユニットを1000番台・3000番台へ集約化のため廃車となった。 モハ485+484形1500番台履歴車両番号製造会社落成日新製配置青森転属向日町転属上沼垂転属廃車日1501 川重 1974.5.23 札幌 1980.9.10 1985.2.14 1986.11.1 2001.7.19 1502 1980.8.10 1985.2.5 2001.6.13 1503 1980.6.11 1985.2.14 2002.4.2 1504 日立 1974.4.25 1980.8.10 2001.4.3 1505 1980.9.10 2002.4.2 1506 1974.6.1 1980.9.28 1985.3.14 2001.4.3 1507 1985.2.5 2001.11.21
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1500番台 (1501 - 1507)
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「国鉄キハ183系気動車」の記事における「1500番台 (1501 - 1507)」の解説
N183系の運転台つき普通車である。1986年に7両が製作された。
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1500番台(仙台地区用)
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「JR東日本701系電車」の記事における「1500番台(仙台地区用)」の解説
仙台地区715系1000番台置き換え用と、1000番台の増備型として1998年(平成10年)と2001年に川崎重工業および土崎工場にて製造された。クモハ701形+クハ700形の2両編成が18本(36両)が在籍する。 主変換装置は、インバータ部はパワートランジスタ素子であるが、コンバータ部にIGBT素子を使用したものに変更された。回生ブレーキを装備し、クモハ701形は屋根上のブレーキ用抵抗器がなくなった。 1508は青森駅構内での高潮による浸水事故で床下機器が損傷した青森運転所所属の1000番台(クモハ701-1033+クハ700-1033)を土崎工場で修理した車両で、回生ブレーキとLED式行先表示器を装備して復旧され1500番台に編入、仙台へ転属された。改造・転属はいずれも2000年(平成12年)12月14日付である。 2001年に新製された2次車の 1509 - 1518は、新製時からATS-Ps保安装置を備えるほか、行先表示器がLED式とされ、トイレは車いす対応の大型のものを運転台直後に設ける。このためクハ700形の窓配置が変更され、E127系100番台と同様の配置とされている。 編成表 ← 一ノ関 新白河 → 形式◇ クモハ701 (Mc) クハ700 (T'c) 搭載機器VVVF, SIV CP 車両重量 (t)35.3 27.9 701系1500番台 2次車クハ700形(2005年9月 / 福島駅) 701系1500番台 2次車クモハ701形(2005年9月 / 福島駅) 乗務員室(2015年4月) 運転台(2015年4月) 拡大・移設されたトイレ(2007年11月)
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1500番台
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国鉄分割民営化直前の1986年から製造された軽量ステンレス製車体を持つモデルチェンジ車で、以下の変更点を持つ。 車体構造 211系同様の軽量ステンレス構造、前頭部はFRP成形品による構成。 外観は211系に類似しているが、電気連結器を装備せずジャンパ栓受けを持つ。前面種別表示器は天地寸法が小さいほか、排障器も形状が異なる。 車体幅は2,900 mm から2,950 mm に拡幅、床面高さは211系と同一の1,180 mmとしている。 台車 ボルスタレス構造を持ち枕ばねにダイヤフラム式空気ばねを採用するDT50C形(電動車)・TR235C形(付随車)へ変更。 曲線通過時走行性向上のため車輪形状を円弧踏面へ変更。 機器類 鋼製車と混結運転を考慮し500・700番台に準するが、軽量化(1両あたり約7.0 t )により向上した加減速力を主電動機の限流値を低く設定。 ステンレス車体を考慮してモハ414形の主変圧器取付位置を後位寄りに変更。 MGをブラシレス化させ容量190 kVAへ向上。交流区間での脈流対策に補助平滑リアクトルを追設。 CPは電動機を三相誘導電動機に変更して、三相交流による駆動化を実施。鋼製車ではクハ411形に容量1,000 L/minのC1000形1基搭載からトイレ付の1600番台のみへ容量2,000 L/minのC2000形1基搭載へ変更。 車内 基本的に211系と同様の客室構造となる。ただし、横流送風機(ラインデリア)は設置していない。 座席はトイレ対向部を除いてロングシートを採用。 クハ411形の運転台構造は211系からフィードバックされた機構を採用。 モハ414形はパンタグラフを搭載する前位側に機器室を設置し1人分少ない4人掛け仕様とする。 国鉄時代の勝田電車区向けに製造されたグループは車内放送用スピーカーが鋼製車と同様の箱型を各車に2基設置する。 客室スペースをできるだけ広く取るため運転室のレール方向寸法を1,600 mmとし、後方背面窓寸法を拡大させ客室からの見通しを改善。 車端部配電盤スペースを230 mm(モハ414のパンタグラフ側は特高圧ケーブルなどを設けるため430 mm)に薄型化したため車内スペースが拡大。 このため番台区分は、ロングシート鋼製車500・600番台のモデルチェンジという観点から1500・1600番台とされ、国鉄時代には4両編成×21本の計84両が製造された。当初は全車勝田電車区に新製配置予定であったが、勝田電車区に配置されたものは国鉄製造分のうち4両編成x8本で、南福岡電車区にも4両編成x13本(FM1509 - 1521編成)が新製配置された。これは、新車の直接投入によるイメージアップ、および分割民営化後に本州と比べ経営が脆弱な九州会社への配慮をねらい、全車を勝田に配置して100・500番台を捻出し、南福岡の421系低運転台車などを置き換える計画から変更されたからである。 南福岡電車区配置の車両は、以下のような変更点がある。 JR東日本所属車帯色 青20号 JR九州所属車帯色 青24号 JR東日本所属車 車内 JR九州所属車 車内 帯色変更。JR東日本車は鋼製車の青20号を踏襲するが、JR九州車は落成当初より帯色が明るい青24号である。 前面のJRマークなし(譲渡車は譲渡後しばらくは装着)。 サービス向上のために乗務員室背面仕切窓を拡大した(JR東日本化後の増備車も同様)。 車内放送用スピーカーを、天井中央部の通風グリル部に内蔵した(各車6台、モハ414形は異なる。JR東日本化後の増備車も同様)。 側面のサボ受けを連結面寄りから中央扉横に変更(一部編成を除く)、種別票差しを設置。 またオールロングシートでありながら、当時は喫煙車が当然で運転区間や時間帯で禁煙を設定していたことから、211系などと同様にロングシート部に灰皿を設置した。 415系1500番台4両編成 ← 上野・小山(長崎・早岐) (門司港・下関)いわき → 形式クハ411-1600 モハ414-1500 モハ415-1500 クハ411-1500 定員( )は座席132(55) 150(62) 156(64) 142(58) 車両重量(落成時点)33.7 t 37.3 t 34.6 t 26.0 t このほか、勝田電車区の編成変更に伴いサハ411-1701が製造されたため、国鉄時代の総製造両数は85両となる。 サハ411-1701 サハ411-1701室内はセミクロスシート 組込のK918編成 1986年に勝田所属車の編成見直しによる7両編成から4両編成2本への組替を実施する際に、7両で残存する編成から中間封じ込み先頭車を充当転用で対処する措置が採られたため代替車が必要になり、日本車輌製造で1両のみセミクロスシートで製造されたMG・CPを搭載する付随車である。後述するサハ411-1601とは座席配置が異なるほか、外観の差異はサボ受の有無程度のみである。 当初は403系冷房改造車+415系700番台の混結、1988年以降は415系1500番台+700番台混結のK820編成に組み込まれたが、2005年(平成17年)7月18日に実施した組換で0番台+700番台混結のK918編成に組み込まれた。同編成は2007年の常磐線運用区間短縮で余剰となり、運用を離脱した。 国鉄分割民営化後 分割民営化時には、鋼製車同様にJR東日本とJR九州に継承。さらにJR東日本では1991年までに4両編成x13本を増備した。JR東日本化後の増備車では以下のような変更点がある。 乗務員室背面仕切窓の拡大と車内放送用スピーカーを変更(前述)。 車内の荷棚を金網式からパイプ式に変更。空調吹出口(ラインフロー)をアルミ形材からFRP成形品に変更。 空気圧縮機の除湿装置を変更。 1989年度の増備車(1524 - 1527の編成)からは、電動車客室床面の主電動機点検フタを廃止。主変圧器を50 Hz専用のTM24形に変更した。本来なら別系列もしくは番台区分がされる内容であるが、広域転配を想定していないため続番となった。 1990年度の増備車(1528 - 1531の編成)からは、屋根上の通風器(ベンチレーター)を鉄製からステンレス製に変更した。 最終製造ロットは、常磐線での着席機会向上のため2階建試作車クハ415-1901を組み込んだ以下の変則8両固定編成で落成した。途中の駅での増解結ができないため、上野寄りに4両編成を連結して全区間12両編成で運用した。 勝田電車区2階建試作車組込編成編成番号 ← 上野 いわき → K880クハ411-1634 モハ414-1534 モハ415-1534 クハ411-1534 サハ411-1601 モハ414-1535 モハ415-1535 クハ415-1901 製造会社落成日近畿車輛1991.02.22 日本車輌製造1991.03.09 クハ415-1901 定員156人。116人分の座席は客用扉付近をロングシートとしたほかは、1階および車体後部が2+2配列、2階は2+3配列クロスシートとした。1991年に日本車輌製造にて1両のみ試験的に製造された。AU714形集約分散式冷房装置を2基搭載。台車もTR235H形と本形式独自のものを装着する。 他の1500番台車とは異なり、室内側を化粧板仕上げとした客用扉が片側2か所のみでラッシュ時の乗降に時間を要する欠点から、基本的に上野~勝田間で朝の上りと夕方の下りは停車駅の少ない通勤快速に、朝の下りはラッシュ後、夕方の上りはラッシュ前に限定して運用された。このため増備は行われず、2006年に廃車解体されたが、運用成果は215系の設計に反映された。 サハ411-1601 MG・CPを搭載する付随車。1701と座席配置が異なるための番台区分で定員156(座席64)人。 2005年(平成17年)6月に500番台・700番台混結のK810編成へ、その後K811編成へ組み込まれたが、2007年の常磐線運用区間短縮で余剰となり運用離脱。 総製造両数は、モハ415形+414形ユニット35組70両・クハ411形1500番台34両・同1600番台34両・サハ411形2両・クハ415形1両の計141両である。 以下で運用面についての解説を行う。 JR東日本 常磐線・水戸線で鋼製車と共通運用されていたが、2005年(平成17年)7月9日のダイヤ改正で2階建試作車のクハ415-1901が定期運用から離脱。同車は勝田車両センター内で留置後、2006年3月10日に郡山総合車両センターへ回送され、翌11日付で廃車。同年6月12日から14日にかけて解体された。 2007年3月18日ダイヤ改正で上野口中距離電車の最高速度130 km/h運転へ移行ならびにグリーン車を連結したE531系に統一。このため普通鋼製車は置換え。本番台区分は常磐線での運用区間を友部 - 原ノ町間に短縮したほか、以下の車両が2009年度上半期までに余剰廃車となった。 2007年3月18日ダイヤ改正による余剰廃車編成番号クハ411モハ414モハ415クハ411サハ411廃車日K5251601 1501 1501 1501 2008.12.24 K6261602 1502 1502 1502 2009.07.18 K5261603 1503 1503 1503 2009.06.01 K532 1522 1522 2007.10.22 K811 1601 2008.05.12 K918 1701 2007.11.12 このうちK525編成の4両は、500・600番台2編成とともにJR九州へ譲渡された(詳細は後述)。 2014年12月よりE531系付属編成増備により以下の勝田車両センター配置車が廃車となった。 2014年12月 - 2016年3月までの廃車編成番号クハ411モハ414モハ415クハ411廃車日K5271604 1504 1504 1504 2014.12.17 K5321622 1535 1535 1522 2015.02.11 K5411631 1531 1531 1531 2015.04.23 K5361626 1526 1526 1526 2015.05.20 K5331623 1523 1523 1523 2015.06.24 K5301607 1507 1507 1507 2015.07.24 K5341624 1524 1524 1524 2016.03.14 2016年3月26日ダイヤ改正では勝田車両センターに配置されていた11編成44両が、E531系3000番台置換えにより常磐線及び水戸線での定期運用が終了。同年6月25日の「ありがとう415系号」を最後にJR東日本での営業運転が終了した。その後以下の通り順次廃車され、2017年11月16日をもってJR東日本からは形式消滅した。 2016年3月26日ダイヤ改正以降の廃車編成番号クハ411モハ414モハ415クハ411廃車日K5441634 1534 1534 1534 2016.06.09 K5401630 1530 1530 1530 2016.09.22 K5371627 1527 1527 1527 2016.09.29 K5311608 1508 1508 1508 2016.10.07 K5381628 1528 1528 1528 2016.10.07 K5351625 1525 1525 1525 2016.12.28 K5281605 1505 1505 1505 2017.05.25 K5391629 1529 1529 1529 2017.07.05 K5291606 1506 1506 1506 2017.08.04 K5421632 1532 1532 1532 2017.10.11 K5431633 1533 1533 1533 2017.11.16 JR九州 2016年3月に小倉総合車両センター門司港派出配置車両を南福岡車両区へ集約。2020年3月14日付で2本8両(1501・1521編成)、2021年3月13日付で4本16両(1509 - 1512編成)が大分車両センターに転属した。2021年4月1日現在では南福岡車両区に8編成32両が、大分車両センターに6編成24両が配置されている。 九州所属車は車内つり革やベンチレーターの撤去などの更新工事が実施されている。
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1500番台
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「国鉄DE15形ディーゼル機関車」の記事における「1500番台」の解説
1971年(昭和46年)から1973年(昭和48年)にかけて日本車輌製造・川崎重工業で製造されたグループで、SGの代わりに死重を搭載した、DE10形1500番台に相当する機関車である。DE15 1501 - 1504・1507・1509 - 1512・1514 - 1516・1518が複線形単頭式、DE15 1505・1506・1508・1513・1517が単線形単頭式で、1976年(昭和51年)製のDE15 1519以降は複線形両頭式で製造された。しかし単頭式で製造されたがのちに両頭式に改造されたものがあり、単線用両頭化改造車は2550番台に改番された。
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1500番台
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「JR九州キハ200系気動車」の記事における「1500番台」の解説
キハ220-1503 キハ220-1503 車内(トイレ設置前) 追加されたトイレ キハ220-1502 車内(トイレ設置後) 1997年(平成9年)、香椎線向けに4両が製造された区分番台。座席はロングシートで、製造当初からワンマン運転に対応している。トイレは落成時には設置されていなかったが、2008年(平成20年)3月までに1503と1504へ、1101と同様の車椅子対応トイレが設置された。 当初は筑豊篠栗鉄道事業部(博多運用)に配置されたが、2003年(平成15年)に豊肥久大車両センター(現・大分車両センター)へ転属した。
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