運用開始後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 08:10 UTC 版)
運用開始当日の2007年10月1日2時21分ごろ、神奈川県西部を震源とするM4.9で最大震度5強の地震が発生した。当日午前9時に一般向け緊急地震速報の提供が開始される予定だったため、この地震では一般向けは発表されず、字幕スーパーのみを予定していた局と地図表示を予定していた局のいずれも字幕スーパーのみで従来通りの地震速報を行った。 なおNHK、在京キー局(日本テレビ、テレビ朝日、TBS、テレビ東京、フジテレビ)の5局などでは地図と字幕スーパーを表示しているが、一部地方局、その他独立局では字幕スーパーのみ表示する場合もある。テレビで地図表示を行った場合、番組の内容として重要な部分が地図表示によって隠れてしまう事態が予想されている。「表示字幕スーパーだけは許せるが、地図表示されると困る」といった意見も考えられ、特にシリーズ物のドラマ番組・バラエティ番組・アニメ番組では苦情が殺到する可能性もある。そのため、折衷案として従来の字幕スーパー方式を使う局が増える可能性がある。 「一般向け」速報が初めて発表された例は、2008年4月28日2時32分の沖縄県宮古島近海を震源とする地震だった。NHKではラジオ第2放送(この時間は放送休止中で停波していたため流れなかった)および国際放送NHKワールド(テレビ・ラジオ)を除く全メディアで初めて緊急地震速報が流れた。しかし、この地震速報では震源地が海上であったため、海底に震度計がなく、陸地に到達してから地震波が観測された。そのため計算が間に合わず、ほぼ島全体にS波が到達したあとに警報が発表された。地震発生時、深夜だったために多くの人が緊急地震速報の発表を知ることができなかった。 また、2008年5月8日1時45分の茨城県沖を震源とする地震の緊急地震速報は、揺れが始まってから約58秒後に発表された。総合テレビでは、ニュース放送中に緊急地震速報が発表されたため、アナウンサーが緊急地震速報発表に関して報道中に、突然画面が切り替わり、同時に緊急地震速報のテロップも消え、『JAPANナビゲーション』の放送を開始するなどの手違いも発生している。これは、後番組の放送開始直前に発表されたことから、ニュースの延長対応ができなかったことなどが原因である。
※この「運用開始後」の解説は、「緊急地震速報」の解説の一部です。
「運用開始後」を含む「緊急地震速報」の記事については、「緊急地震速報」の概要を参照ください。
運用開始後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 09:45 UTC 版)
ベルーガの最初の実用飛行は、納入の翌年となる1996年1月15日に行われた。ベルーガは、欧州各地で製造されるエアバス機のパーツやコンポーネントを最終組み立て工場へ輸送する任務に従事し、全5機の導入によりスーパーグッピーは完全に退役した。 ベルーガの新しい大型貨物扉や貨物搭載システム(#機体の特徴参照)により、スーパーグッピー時代と比べて、貨物の積み下ろしに要する人員が18人から2人に省力化され、所要時間が1時間半から45分に短縮された。 エアバス社はベルーガを用いたチャーター輸送事業へも進出することとし、1996年6月30日、ベルーガの運航を担当する専門会社の設立を発表した。この専門会社は「エアバス・トランスポート・インターナショナル」(Airbus Transport International、以下ATI)社と名付けられ、同年9月20日に登記された。ATIは1996年11月にフランスの航空当局から航空運送事業の認可を取得し、11月24日に最初の請負輸送業務を行った。全5機のベルーガはATI社が運航するようになり、1997年には全機で合わせて年間1,400回、2,500時間の飛行を行なった。 ベルーガの運航開始以降も、エアバス機の生産数は拡大の一途をたどり、2011年にエアバスは社輸送量の増加に対応するため「フライ10000」と呼ばれる計画を開始した。この計画では、積み荷、積み降ろし方法を含めた物流インフラの最適化を目的とし、2017年までにエアバス社の輸送機の年間総飛行時間を1万時間に増やすことを目指したものだった。2014年の時点では欧州11カ所の工場間を結び、1日あたり2から4便、1週間に60回以上飛行した。2017年には、1日あたり5便、週6日の飛行を行うようになり、飛行時間が8,000時間を超えたが、飛行スケジュールには遅れが目立つようになり、増便はほぼ限界に達した。
※この「運用開始後」の解説は、「エアバス ベルーガ」の解説の一部です。
「運用開始後」を含む「エアバス ベルーガ」の記事については、「エアバス ベルーガ」の概要を参照ください。
運用開始後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 16:16 UTC 版)
「近江鉄道デハ1形電車」の記事における「運用開始後」の解説
運用開始後は近江鉄道の主力形式として、単行あるいは付随車を1~2両引いて運転され、終着駅で折り返す際は連結位置を先頭に付け替えられた(機回し)。
※この「運用開始後」の解説は、「近江鉄道デハ1形電車」の解説の一部です。
「運用開始後」を含む「近江鉄道デハ1形電車」の記事については、「近江鉄道デハ1形電車」の概要を参照ください。
運用開始後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/29 06:58 UTC 版)
「上信電鉄100形電車」の記事における「運用開始後」の解説
102編成(クモハ102-クハ102)は1984年12月21日に発生した正面衝突事故の被害を受け、翌1985年に廃車。この時点で451系は西武鉄道で全車廃車されていたが、最後まで在籍したモハ461-クハ1662がまだ解体されていなかったため、急きょ下回りなどはそのまま同年3月にクモハ105-クハ105として入線した。なお、105編成は種車の出自から、クモハの前面はクモハ451形に由来する3枚窓、クハの前面は西武時代にクモハ451形と編成を組んだ元西武601系電車のクハ1651形に由来する湘南形2枚窓の相違があった。 上記の事故以降塗装が変更され、デザインはそのままに赤とクリーム基調となり、103編成の晩年は200形と同じく旧標準塗装から紺色の帯を省いたコーラルレッド一色となり、これは廃車後も長らくそのままであった。 近代化事業は想定したほどの収益改善効果は上げられず、本系列の置き換えは新造車ではなく同じく西武鉄道の中古車両である150形の導入によって行われることになり、1993年(平成5年)から1996年(平成8年)にかけて順次廃車された。最後まで運用されていたクモハ103-クハ103は廃車後、高崎駅構内で倉庫として使用されていた。車体は長らく野ざらし状態であったため荒廃が著しかったが、2012年11月に廃車後初めて塗りなおしが行われた。塗装はコーラルレッドの地に紺色の帯が追加され、デハ205と同じ旧標準塗装となったが、2017年5月から6月にかけて解体された。なお、このカラーリングで営業運転に就いた事はない。 往時はJR高崎線と上信線にはさまれた番線に留置されていたため、高崎駅に倉賀野駅および南高崎駅方面から発着する双方の列車から見ることが可能であった。西武鉄道から各私鉄に譲渡された元451系のほとんどは解体されており、現存車両は倉庫代用とされていたこの2両のみであった。
※この「運用開始後」の解説は、「上信電鉄100形電車」の解説の一部です。
「運用開始後」を含む「上信電鉄100形電車」の記事については、「上信電鉄100形電車」の概要を参照ください。
運用開始後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 22:57 UTC 版)
「静岡鉄道1000形電車」の記事における「運用開始後」の解説
静岡清水線においては1975年(昭和50年)9月からワンマン運転を開始し、それ以前に竣工した車両にも以下の改造工事が施工された。 列車無線装置の設置 テープ再生機を用いた自動放送装置の導入 車両用信号炎管の設置 車内非常通報装置の設置 車側ミラーの設置 連結面妻部にドア閉時警告用の警報装置の設置 1979年以降に導入された新製冷房車は冷房装置を搭載するために構体部分の設計変更が行われたほか、主制御装置がES769-A1-Mへ主電動機がTDK806/6-Jへとそれぞれ機種が変更されている。 前述の様に当初車体は無塗装であったが、1985年より一部の編成の前面にストライプ状の警戒塗装が施され、のちに全編成に波及した。その後全面裾にオレンジ色の反射素材による警戒塗装が追加されている。 また、2008年(平成20年)の1006編成を皮切りに前面に排障器(スカート)の設置が開始されている。また、2011年から車側ミラーの撤去が実施された。[要出典] 1011編成は2015年(平成27年)7月27日からちびまる子ちゃんのラッピング車両として運用を開始した。当初は2016年(平成28年)7月26日まで一年間の運行予定であったが、度々延長され2021年3月現在も「ちびまる子ちゃんラッピングトレイン」として運用されている。運用時間は公表されており、平日/金曜ダイヤの10時-16時、土日ダイヤの終日の運用列車において主人公のまる子(声:TARAKO)の車内アナウンスが使用される。
※この「運用開始後」の解説は、「静岡鉄道1000形電車」の解説の一部です。
「運用開始後」を含む「静岡鉄道1000形電車」の記事については、「静岡鉄道1000形電車」の概要を参照ください。
運用開始後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 08:38 UTC 版)
「上信電鉄250形電車」の記事における「運用開始後」の解説
6000形とともに1981年5月20日付でデハ251、デハ252の2両が竣工し、同年内に運用を開始した。これによって100形導入完了後も残存していたデハ10形、クハ20形、クハニ10形の各形式を一掃し、在来旧型車の定期運用は消滅した。また、同年11月25日には近代化事業完了後初のダイヤ改正が行われ、高崎-下仁田間の所要時間は改正前よりも10分以上短縮されることとなった。本形式は計画通り200形の増結に使用されたほか、単行にて同改正後の最優等種別である急行の運用にも使用された。 デハ251は1997年(平成9年)にクハ303と共に当時の在来非冷房車の中で最初に冷房化改造が行われ、バスタイプの床置き式のものが高崎側運転台の車掌台側直後に搭載された。デハ252は2003年に屋根上に分散式冷房装置を4基搭載する形で冷房化された。また1992年付で列車無線の取り付けが行われた他、1996年にはワンマン化のため運転台直後の座席の撤去と整理券発行機など関連機器の設置が行われた。また、本形式の特徴の一つであった可動式のバンパーは増解結の手間になるため撤去されたほか、車体塗装は1990年代には省力化で2両共にシンプルなコーラルレッド1色になった。 のちに座席モケットは両者ともに赤色のものに交換されている。
※この「運用開始後」の解説は、「上信電鉄250形電車」の解説の一部です。
「運用開始後」を含む「上信電鉄250形電車」の記事については、「上信電鉄250形電車」の概要を参照ください。
- 運用開始後のページへのリンク