JR化以降
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1987年(昭和62年)6月1日:この日から食堂車の営業担当を日本食堂長崎営業所から日本食堂新博多営業所に移行し、名物メニュー「長崎ちゃんぽん」と「皿うどん」がメニューから消滅する。 1988年(昭和63年)3月13日:この時のダイヤ改正に伴い、「さくら」編成の一部変更を行う。詳細はこちらを参照されたい。 1989年(平成元年)4月1日:食堂車の営業担当がJダイナー上野営業所に移行。 1990年(平成2年)12月1日:食堂車営業担当がJダイナー新東京営業所に移行するが、後の食堂車の売店営業後も1999年(平成11年)12月ダイヤ改正前の終了まで担当する。 なお、その前の1990年(平成2年)10月1日から上り列車の翌朝の食堂車営業開始時間が6時から7時に短縮。 1991年(平成3年)3月:「成田エクスプレス」運行開始に伴う人員確保のため、国鉄時代から担当していたJR東日本東京車掌区が乗務を降り、JR九州門司車掌区に移管。 1992年(平成4年)4月8日:山陽本線須磨 - 塩屋間で下り「さくら」と山陽本線と並行して走る国道2号から転落したトレーラーとの衝突脱線事故発生(寝台特急さくらトレーラー衝突事故を参照)。 1993年(平成5年)3月18日:「さくら」の食堂車が売店営業に差し代わる。 1994年(平成6年)12月3日:このときのダイヤ改正により「あさかぜ」1・4号を臨時列車に格下げ、「みずほ」の廃止。これに伴う「さくら」での変更は以下の通り。「さくら」が小倉駅 - 博多駅間を朝のラッシュ時間帯に通過することを回避するため、「さくら」と「富士」のダイヤを入れ替え、下り「さくら」を東京発16時台から18時台へ変更。これにより、従来「さくら」が列車番号として使用していた1列車及び2列車が「富士」に変更。3・4列車となる。 また、佐世保編成を長崎編成と同一のJR九州車両の編成に変更。これにより、「あさかぜ1・4号」の廃止とともにJR東日本車両のJR九州への定期列車での乗り入れが消滅。なお、このため、従来熊本運転所所属の14系客車を長崎運転所 へ転属。これにより、長崎編成・佐世保編成双方にオロネ14形、オハネ14形700番台、オシ14形を連結。 なお、売店営業は長崎発着の編成のみで営業し、佐世保編成ではカーテンが閉められていた。 担当車掌区をJR西日本下関乗務員センターに変更。 「さくら」単独運転末期の編成図さくら ← 長崎・早岐 佐世保/東京 → 1994年12月3日 - 1997年11月29日号車1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 座席B A B4 B D B A B4 B D B 車両形式スハネフ14 オロネ14 オハネ14700番台 オハネ14 オシ14 オハネ14 スハネフ14 オロネ14 オハネ14700番台 オハネ14 オシ14 オハネ14 スハネフ14 運転区間下り:長崎駅←東京駅間 下り:佐世保駅←東京駅間 上り:佐世保駅→東京駅間 上り:長崎駅→東京駅間 1997年11月30日 - 1999年11月号車1 2 3 4 (5) 6 7 8 9 10 11 (12) 13 14 座席種別B A B D B A B D B 使用車両スハネフ14 オロネ14 オハネ14 オシ14 オハネ14 スハネフ14 オロネ14 オハネ14 オシ14 オハネ14 スハネフ14 運行区間下り:長崎駅←東京駅間 下り:佐世保駅←東京駅間 上り:佐世保駅→東京駅間 上り:長崎駅→東京駅間 ( )は多客時に連結 座席種別凡例(共通) A=開放式A寝台 B=開放式B寝台 B4=B寝台4人用個室「カルテット」 D=食堂車ただし、食堂車は弁当販売を行うのみでロビーカー並みの扱いとしていた 1996年(平成8年)末:臨時寝台特急「みずほ」廃止。 1997年(平成9年)11月29日:「さくら」への「カルテット」(オハネ14形700番台)の連結を終了。また、同年12月以降「さくら」の編成中のオハネ14形が、オハネ25形100番台を改造したオハネ15形1100番台に順次置き換えられ、1997年(平成9年)度末をもってオハネ14形の置き換えを完了する。
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JR化以降
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分割民営化直後の1987年4月、広島駅 - 下関駅間にて、JR西日本が「しおじ」(485系を使用)を運転したが、これが民営化後初のリバイバルトレインである。そして、横軽廃止から間もない1997年(平成9年)11月に東日本旅客鉄道(JR東日本)が上越新幹線(新潟駅 - 大宮駅間)開業15周年・JR東日本発足10周年を記念して「懐かしのとき」(新潟→上野間)や12月の「懐かしの佐渡」(新潟駅 - 上野駅間)を復活運転したころからブームが再燃した[要出典]。 翌1998年4月には東海旅客鉄道(JR東海)が身延線開業70周年を記念して急行「富士川」、「身延線115系(ワインレッド色)」を、同年7月には東日本旅客鉄道(JR東日本)が高崎支社主体で「ゆけむり」(使用車種は169系)を、翌8月には同水戸支社主体で常磐線開業100周年を記念して「おもいでのひたち」を復活運転。いずれも好評に終わると、1999年のゴールデンウィーク中には「あまぎ」が、8月には北海道旅客鉄道(JR北海道)により「天北」が運転され、ブームの兆候はより顕著になっていく。2000年(平成12年)8月に至り西日本旅客鉄道(JR西日本)が山陽新幹線博多開業25周年を記念して新大阪駅→博多駅間で「はと」(団臨扱)を運転すると、以降はJR東海を除くJR5社がこれを熱心に行うようになった。 2000年代前半までは特急形車両や急行形車両を使用することが多かったが、近年は113系や115系、キハ40系などといった近郊形車両を用いたリバイバルトレインが運転されることも多い。
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JR化以降
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「山陽本線優等列車沿革」の記事における「JR化以降」の解説
1987年(昭和62年)4月 国鉄分割民営化に伴い、山陽本線および東海道本線米原駅以西は西日本旅客鉄道(JR西日本)が所有することとなる。ただし、関門トンネルを介して下関駅 - 門司駅間は九州旅客鉄道(JR九州)が所管する。 1990年(平成2年)12月ごろ 品川駅・新大阪駅 - 博多駅・西鹿児島駅・長崎駅間に臨時急行「玄海」・「霧島」・「雲仙」運転開始。これは、もともと臨時寝台特急「あさかぜ81・82号」・「明星81・82号」(「明星」は、1986年(昭和61年)11月に臨時列車に格下げ)・「あかつき81・82号」だったが、使用されていた車両が20系客車だったため、急行に格下げられたものである。 1994年(平成6年)12月 博多駅発着の「あさかぜ」1往復と「みずほ」が臨時列車に格下げ(後に消滅)。また、臨時急行「霧島」・「雲仙」の運転を取りやめ。 1999年(平成11年)12月 「さくら」と「はやぶさ」が併結運転(東京駅 - 鳥栖駅 - 長崎駅・熊本駅間)となる。 2000年(平成12年)3月 「あかつき」と「彗星」が併結運転(京都駅 - 門司駅 - 長崎駅・南宮崎駅)となる。
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JR化以降
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国鉄分割民営化に際しては、京阪神地区への投入車は全車JR西日本に、名古屋地区への投入車は全車JR東海に承継された。
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