JR化以降とは? わかりやすく解説

JR化以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 00:53 UTC 版)

さくら (列車)」の記事における「JR化以降」の解説

1987年昭和62年6月1日:この日から食堂車営業担当日本食堂長崎営業所から日本食堂博多営業所移行し名物メニュー長崎ちゃんぽん」と「皿うどん」がメニューから消滅する1988年昭和63年3月13日:この時のダイヤ改正に伴い「さくら」編成一部変更を行う。詳細はこちらを参照されたい。 1989年平成元年4月1日食堂車営業担当がJダイナー上野営業所移行1990年平成2年12月1日食堂車営業担当がJダイナー新東京営業所移行するが、後の食堂車売店営業後も1999年平成11年12月ダイヤ改正前の終了まで担当する。 なお、その前の1990年平成2年10月1日から上り列車翌朝食堂車営業開始時間6時から7時短縮1991年平成3年3月:「成田エクスプレス運行開始に伴う人員確保のため、国鉄時代から担当していたJR東日本東京車掌区乗務降りJR九州門司車掌区移管1992年平成4年4月8日山陽本線須磨 - 塩屋間で下り「さくら」山陽本線並行して走る国道2号から転落したトレーラーとの衝突脱線事故発生寝台特急さくらトレーラー衝突事故参照)。 1993年平成5年3月18日「さくら」食堂車売店営業差し代わる1994年平成6年12月3日:このときのダイヤ改正により「あさかぜ1・4号臨時列車格下げ「みずほ」廃止。これに伴う「さくら」での変更以下の通り「さくら」小倉駅 - 博多駅間を朝のラッシュ時間帯に通過することを回避するため、「さくら」と「富士」のダイヤ入れ替え下り「さくら」東京発16時台から18時台変更。これにより、従来「さくら」列車番号として使用していた1列車及び2列車が「富士」に変更3・4列車となる。 また、佐世保編成長崎編成同一JR九州車両編成変更。これにより、「あさかぜ1・4号」の廃止とともにJR東日本車両JR九州への定期列車での乗り入れ消滅。なお、このため従来熊本運転所所属14系客車長崎運転所転属。これにより、長崎編成佐世保編成双方にオロネ14形、オハネ14700番台オシ14形を連結。 なお、売店営業長崎発着編成のみで営業し佐世保編成ではカーテン閉められていた。 担当車掌区JR西日本下関乗務員センター変更「さくら」単独運転末期編成図さくら ← 長崎早岐 佐世保東京1994年12月3日 - 1997年11月29日号車1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 座席B A B4 B D B A B4 B D B 車両形式スハネフ14 オロネ14 オハネ14700番台 オハネ14 オシ14 オハネ14 スハネフ14 オロネ14 オハネ14700番台 オハネ14 オシ14 オハネ14 スハネフ14 運転区間下り長崎駅東京駅間 下り:佐世保駅東京駅上り佐世保駅東京駅上り長崎駅東京駅1997年11月30日 - 1999年11月号車1 2 3 4 (5) 6 7 8 9 10 11 (12) 13 14 座席種別B A B D B A B D B 使用車両スハネフ14 オロネ14 オハネ14 オシ14 オハネ14 スハネフ14 オロネ14 オハネ14 オシ14 オハネ14 スハネフ14 運行区間下り長崎駅東京駅間 下り:佐世保駅東京駅上り佐世保駅東京駅上り長崎駅東京駅( )は多客時に連結 座席種別凡例(共通) A=開放式A寝台 B=開放式B寝台 B4=B寝台4人用個室カルテット」 D=食堂車ただし、食堂車弁当販売を行うのみでロビーカー並み扱いとしていた 1996年平成8年)末:臨時寝台特急「みずほ」廃止1997年平成9年11月29日「さくら」への「カルテット」(オハネ14700番台)の連結終了また、同年12月以降「さくら」編成中のオハネ14形が、オハネ25形100番台改造したオハネ15形1100番台順次置き換えられ1997年平成9年)度末をもってオハネ14形の置き換え完了する

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JR化以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 03:06 UTC 版)

リバイバルトレイン」の記事における「JR化以降」の解説

分割民営化直後1987年4月広島駅 - 下関駅間にて、JR西日本が「しおじ」(485系使用)を運転したが、これが民営化後初のリバイバルトレインである。そして、横軽廃止から間もない1997年平成9年11月東日本旅客鉄道JR東日本)が上越新幹線新潟駅 - 大宮駅間)開業15周年JR東日本発足10周年記念して懐かしのとき」(新潟上野間)や12月の「懐かし佐渡」(新潟駅 - 上野駅間)を復活運転したころからブーム再燃した[要出典]。 翌1998年4月には東海旅客鉄道JR東海)が身延線開業70周年記念して急行富士川」、「身延線115系ワインレッド色)」を、同年7月には東日本旅客鉄道JR東日本)が高崎支社主体で「ゆけむり」(使用車種169系)を、翌8月には同水戸支社主体常磐線開業100周年記念しておもいでのひたち」を復活運転いずれも好評に終わると、1999年ゴールデンウィーク中には「あまぎ」が、8月には北海道旅客鉄道JR北海道)により「天北」が運転されブーム兆候はより顕著になっていく。2000年平成12年8月至り西日本旅客鉄道JR西日本)が山陽新幹線博多開業25周年記念して新大阪駅博多駅間で「はと」(団臨扱)を運転すると、以降JR東海を除くJR5社がこれを熱心に行うようになった2000年代前半までは特急形車両急行形車両使用することが多かったが、近年113系115系キハ40系などといった近郊形車両用いたリバイバルトレイン運転されることも多い。

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JR化以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 01:12 UTC 版)

山陽本線優等列車沿革」の記事における「JR化以降」の解説

1987年昭和62年4月 国鉄分割民営化に伴い山陽本線および東海道本線米原駅以西西日本旅客鉄道JR西日本)が所有することとなる。ただし、関門トンネルを介して下関駅 - 門司駅間九州旅客鉄道JR九州)が所管する1990年平成2年12月ごろ 品川駅新大阪駅 - 博多駅西鹿児島駅長崎駅間に臨時急行玄海」・「霧島」・「雲仙運転開始。これは、もともと臨時寝台特急あさかぜ8182号」・「明星8182号」(「明星」は、1986年昭和61年11月臨時列車格下げ)・「あかつき8182号」だったが、使用されていた車両20系客車だったため、急行格下げられたものである1994年平成6年12月 博多駅発着の「あさかぜ」1往復「みずほ」臨時列車格下げ(後に消滅)。また、臨時急行霧島」・「雲仙」の運転を取りやめ。 1999年平成11年12月 「さくら」「はやぶさ」併結運転(東京駅 - 鳥栖駅 - 長崎駅熊本駅間)となる。 2000年平成12年3月あかつき」と「彗星」が併結運転(京都駅 - 門司駅 - 長崎駅南宮崎駅)となる。

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JR化以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 00:06 UTC 版)

国鉄117系電車」の記事における「JR化以降」の解説

国鉄分割民営化に際しては、京阪神地区への投入車は全車JR西日本に、名古屋地区への投入車は全車JR東海承継された。

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