JR化以降の展開
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1987年(昭和62年)3月21日:熊本駅発着の「有明」2往復が豊肥本線水前寺駅乗り入れを開始。豊肥本線乗り入れに際しては、以下のとおり。 ダイヤ上では、6月30日まで毎日運転の臨時普通列車扱いとした。 運行上では、DE10形ディーゼル機関車で牽引し、電源車としてスハフ12形客車を下り水前寺方に連結。上り列車は推進運転とした。この際専用機として使用された、DE10形1755号機は国鉄特急色に塗装を変更。 4月25日:水前寺駅乗り入れ列車の本数を5往復とする。基本的な運行方法は3月時点と変わらないが、ゴールデンウイーク・お盆休み時期に当該列車が西鹿児島方面への臨時延長に充当される場合には、水前寺駅への乗り入れは行わず、豊肥本線側には気動車列車が充当された。そのため、増発した3往復については運行をゴールデンウイーク明けの5月6日とした。 なお、7月1日以降期間を更新する形で毎日運転の臨時普通列車扱いを実施し、電源車もスハフ12形から、貨物列車用車掌車であったヨ8000形にディーゼル発電機を搭載したヨ28000形に変更した。 1988年(昭和63年)3月13日:このときのダイヤ改正で「有明」は28往復に増発。同時に一部列車に783系電車「ハイパーサルーン」投入開始。783系電車使用の有明を「ハイパー有明」として運転する。このうち博多駅 - 西鹿児島駅間を最少の停車駅で運行する1往復を「スーパー有明」として運転。 また、豊肥本線内も正式に定期列車とする。DE10は新たに1756号機も専用機となり、ヨ28000形ともども783系に合わせた塗装となった。 1989年(平成元年)3月11日:このときのダイヤ改正により、以下のように変更。783系でカフェテリアが設置され、食堂車廃止の1980年10月ダイヤ改正以来、9年振りに温かい料理を提供するサービスが復活。 「有明」が「スーパー有明」と合わせて31往復に増発。また、八代駅発の列車と、熊本駅 - 西鹿児島駅間列車を設定。 4月29日:「有明11号」において、佐世保行きの「オランダ村特急」を門司港駅 - 博多駅間で併結開始。史上初となる営業列車での電車・気動車動力協調運転を実施。 「桜島」の運転を終了。 1990年(平成2年)3月10日:ダイヤ改正により以下のように変更。「スーパー有明」が「ハイパー有明」に編入される形で消滅。 「ハイパー有明」の3往復、「有明」の1往復を小倉駅発着とする。なお、北九州市内に乗り入れる「有明」の中で西鹿児島駅まで行く列車は従来の門司港駅発着の1往復に限られていた。 「有明11号」と「オランダ村特急」の併結を鳥栖駅まで延長する。 1991年(平成3年)3月16日:「有明」・「ハイパー有明」と合わせて32往復となる。水俣駅発着列車を設定。このときが「有明」の本数の最多記録となった。 1992年(平成4年)3月24日:「有明11号」と「オランダ村特急」の併結を終了。 6月1日:783系「有明」のカフェテリア営業を終了。 7月15日:ダイヤ改正により以下のように変更。「有明」の西鹿児島駅発着列車(14往復)が「つばめ」として独立。「有明」は18往復での運転となる。 「ハイパー有明」の呼称は廃止し、「つばめ」用の787系電車1往復、783系11往復、485系6往復の充当とする以後、全列車783系に統一されていた時期を除き、「有明」の1往復のみ787系が充当される時期が1999年3月12日まで続いた。 小倉駅発着の「有明」を博多駅発着に見直し。同時に門司港駅発着の「有明」が「つばめ」に編入されたため、「有明」は博多駅発着に統一された。 1993年(平成5年)3月18日:このときのダイヤ改正により以下のように変更。「有明」に八代行き列車を設定。 「かいもん」は特急に昇格し「ドリームつばめ」に改称。運行区間を博多駅 - 西鹿児島駅間とする。なお、この時に日豊本線夜行急行「日南」が特急に昇格し「ドリームにちりん」に改称、これにより定期列車でのJR九州管内での客車急行・特急列車は本州を発着する列車のみとなる。 1994年(平成6年)7月1日:「有明」は783系に車種統一。豊肥本線水前寺駅乗り入れを中止。「有明」が抜ける分の熊本駅 - 水前寺駅間の列車に関しては普通列車を増発して対応した。 1995年(平成7年)4月20日:「有明」に787系を投入。 1997年(平成9年)3月22日:「有明」の1往復を「つばめ」に変更。 1999年(平成11年)3月13日:「有明」を下り25本・上り27本に増強の上、783系15往復、787系下り10本・上り12本の充当とする。「つばめ」と合わせて博多駅 - 熊本駅間では20分ヘッドでの運転となる。在来線特急で1時間3本の運転は全国初であった。 この改正で「有明」専用の787系4両編成が誕生。787系充当列車の内下り7本・上り10本が4両編成で運行された。 10月1日:豊肥本線熊本駅 - 肥後大津駅間電化完成に伴い、豊肥本線乗り入れ再開。熊本駅発着列車の一部が水前寺駅・肥後大津駅発着に延長。この時点では豊肥本線に乗り入れる列車は783系に限られていた。 豊肥本線区間では機関車牽引列車では普通列車扱いであったが、「有明」が乗り入れない間に普通列車の本数が増発されたことから、乗り入れ再開にあたっては全区間特急扱いとした。 2000年(平成12年)3月11日:「有明」を27往復に増強。同時に787系に統一される。「有明」から撤退した783系は主に「かもめ」に回された。 2001年(平成13年)3月3日:「有明」8往復を小倉駅発着とする。この改正で完全に1時間2本運転となった「ソニック」と合わせて、小倉駅 - 博多駅間では特急が1時間3本運転されるようになった。 2002年(平成14年)3月23日:「有明」の下り1本を増発。同時に小倉行きの「有明」のうち1本を土曜・休日に限り(2003年3月15日からは毎日)門司港行きに延長。
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JR化以降の展開
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「くろしお (列車)」の記事における「JR化以降の展開」の解説
1987年3月13日当時の編成図くろしお ← 新宮 天王寺 → 1 2 3 4 7 8 9 指 指 指 G 自 自 自 1 2 3 4 5 6 指 指 指 自 自 自 1号車と9号車および6両編成の6号車は禁煙 編成・座席種別は変更される場合があった 凡例 G=グリーン車座席指定席 指=普通車座席指定席 自=普通車自由席 1987年(昭和62年)12月 - 1988年(昭和63年)1月:京都駅 - 白浜駅間で「ふれ愛紀州路」(ふれあいきしゅうじ)が運転。 1988年(昭和63年)3月13日:「一本列島」をキャッチコピーにダイヤ改正により、「しらはま」が運行開始。新宮駅発着の「くろしお」の季節列車が定期列車化。 1989年(平成元年)3月11日:「しらはま」が廃止され、白浜駅発着の「くろしお」が1往復増発、季節列車3往復が定期列車化され、「くろしお」は16往復(1往復は季節列車)になる。 7月22日:このときのダイヤ改正により、以下のように変更する。グリーン車をパノラマ型に改造した特急「スーパーくろしお」4往復が運行開始(1往復は白浜駅 - 新宮駅間は毎日運転の臨時列車)。「くろしお」は12往復(1往復は季節列車)になる。 「くろしお」「スーパーくろしお」のうち2往復を京都駅・5往復を新大阪駅に乗り入れ開始。なお、京都駅乗り入れは「スーパーくろしお」のみであった。 白浜・新宮方面行きが「下り列車」、天王寺方面行きが「上り列車」になる。これに伴い、列車号数が新宮駅方面を奇数、京都駅・新大阪駅方向が偶数に変更。 車内チャイムが更新。新たに沿線案内放送も加えてテープで流すようになる。 1991年(平成3年)3月16日:「くろしお」1往復が「スーパーくろしお」に変更。「スーパーくろしお」は5往復(1往復は白浜駅 - 新宮駅間季節列車)になる。 1993年(平成5年):京都駅 - 白浜駅・新宮駅間に臨時特急「マリンくろしお」(夏季)・「春咲きくろしお」(冬季)が運転される。 1994年(平成6年)9月4日:関西国際空港開港に伴い、一部列車が日根野駅に停車。 1996年(平成8年)3月16日:季節列車として天王寺発白浜行きの「くろしお」が1本増発。 7月31日:283系電車が投入され「スーパーくろしお(オーシャンアロー)」3往復が運行開始。 12月:平日に紀伊田辺発天王寺行の臨時特急「おはようくろしお」が運行開始。 1997年(平成9年)3月8日:「スーパーくろしお(オーシャンアロー)」の列車名が、「オーシャンアロー」に変更。地上設備改良が完了し、和歌山駅 - 新宮駅間の所要時間が約19分短縮、京都駅 - 新宮駅間の所要時間が最速4時間3分走破。 3月:「おはようくろしお」の一部が新大阪行きに変更。 1998年(平成10年):381系がアコモ改良され塗装が変更、さらに車内チャイムと沿線案内が更新された。これによりグリーン車は全列車1号車に統一。 1999年(平成11年)10月2日:「くろしお」の2往復が季節列車化。
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JR化以降の展開
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「みどり (列車)」の記事における「JR化以降の展開」の解説
1988年(昭和63年)3月13日:「みどり」の下り1本で「かもめ」との連結運転を再開。この列車のみ号車番号は9 - 12号車とした。また、それまでグリーン車は佐世保・博多向き先頭車の1両であったが、この改正より早岐向き先頭車0.5両になった。 3月20日:長崎オランダ村への観光誘致のため、小倉駅 - 佐世保駅間で特急「オランダ村特急」がキハ183系気動車1000番台により運行開始。運転区間は全線電化区間にもかかわらず気動車が用いられたが、これは183系1000番台が「オランダ村特急」運転日以外もオランダ村のPR車両として九州各地を走っていたからである。この1000番台は展望車を両端に備えていた。 1989年(平成元年)3月11日:ダイヤ改正により以下のように変更。「みどり」が1往復増発されて14往復になる。また下り4本・上り3本が「かもめ」との連結運転になったことから、号車番号が全列車11 - 14号車に変更される。 「オランダ村特急」が門司港駅発着になる。 4月29日:「オランダ村特急」の下り列車について、門司港駅→博多駅間で485系電車の「有明11号」と連結運転開始。この際、世界初の電車・気動車の動力協調運転を実施。 1990年(平成2年)3月10日:「オランダ村特急」と「有明」11号との連結運転区間が鳥栖駅まで延長する。1990年前後に、JR九州保有の485系は自社のコーポレートカラーである赤色に塗装された。そのため、「みどり」という愛称でありながら赤い車体塗装を行った「赤いみどり」が登場することとなり、名称とのずれが生じることとなった。その後、塗装変更を行うこととなり、緑のラインを入れたりしていた。この車両は「MIDORI EXPRESS」というロゴをあしらった「みどり」専用車両となった。 1992年(平成3年)3月14日:「オランダ村特急」が廃止され、新たに博多駅 - ハウステンボス駅間を485系電車で運転する特急「ハウステンボス」が運転開始(博多駅 - 早岐駅間は「みどり」に連結)。これにより、列車によっては「かもめ」・「ハウステンボス」との3階建て列車を組むことになった。電車特急による3階建て列車は日本初であった。 1996年(平成8年)3月16日:「みどり」が1往復増発され、15往復になる。また、一部列車で「ハウステンボス」編成の併結を開始(下り1本のみ「ハウステンボス」編成は早岐駅で切り離していた)。 7月 - 10月:有田町・西有田町(現在は合併して有田町)で行われた世界・焱の博覧会に合わせて、臨時特急「炎博号」を博多駅 - 早岐駅間で運行。
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