寝台特急さくらトレーラー衝突事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:16 UTC 版)
「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「寝台特急さくらトレーラー衝突事故」の解説
1992年(平成4年)4月8日 0時0分ごろ(鉄道人身障害事故、列車衝突事故) 兵庫県神戸市須磨区一ノ谷町の国道2号で、四輪駆動車が突然Uターンしようとしたため、後続の大型トレーラーがハンドルを切ったところ、牽引車と荷台車の連結部分が折れ曲がる「ジャックナイフ現象」が発生し、制御不能に陥り四輪駆動車に衝突後、道路わきの山陽本線(須磨 - 塩屋間)に転落。その直後に走行してきた東京発長崎・佐世保行き下り寝台特急「さくら」(電気機関車と客車12両の計13両編成)が衝突。「さくら」を牽引していた電気機関車EF66 55が脱線転覆、客車12両のうち5両が脱線したうえに、トレーラーの荷台に積まれていた鋼材36トンの一部が客車側壁に突き刺さった。この時トレーラーの運転席が機関車に巻き込まれ炎上した。さらに隣線を走行してきた下り西明石行き普通電車(201系電車7両編成)運転士は、進路を支障している客車を発見して非常ブレーキを執ったが、停止及ばず接触・脱線した。 この事故による負傷者は20名で、転覆した機関車などの撤去や復旧工事のため山陽本線のダイヤが復旧したのは20時間後であり、459本が運休し38万人の足に影響した。また復旧作業に転覆した電気機関車を解体撤去するクレーン車が使用され、作業のために国道2号も全面通行止めになり、神戸市内の道路も渋滞することになった。なお、「さくら」の乗客は事故現場で停車した客車で一夜を明かした後、代行バスで西明石駅まで向かいそこから臨時新幹線で西行した。 なお、事故を引き起こした運転者2名は過失往来危険罪などで逮捕、起訴され、執行猶予付きの禁錮刑を言い渡されたほか、乗用車の運転者とトレーラーの運送会社はJR各社から事故で喪失した電気機関車や復旧費用など15億円あまりの賠償を請求された。 被災した編成のうち、大破した客車先頭のスハネフ14 2は廃車され、5月末までに解体された。また、EF66 55は修理の後に運用に復帰したが、蛇行動など不具合の頻発により乗務員に忌避され、早期に廃車されている。
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