寝台特急「紀伊」機関車衝突事故
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 23:16 UTC 版)
「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事における「寝台特急「紀伊」機関車衝突事故」の解説
1982年(昭和57年)3月15日 2時16分ごろ【列車衝突事故】 機関車付け替えのため名古屋駅に運転停車中の東京発紀伊勝浦行き寝台特急「紀伊」(14系客車6両編成)に、連結しようとしていたディーゼル機関車(DD51形717号機)が約20 km/hで衝突し、客車3両が脱線した。負傷者14名。事故を起こした機関士は当該仕業前の仮眠時間に飲酒しており、それによる居眠り運転をしたことが原因だった。この事故は、当時マスメディアを中心に展開されていた、国鉄職員のモラル欠如への批判キャンペーンをさらに強めることとなり、国鉄と国労などでは、本社職員幹部を更迭するなどし、マル生運動破綻以来の労使癒着関係を解消させることにもつながった。またこのころ相次いだ「たるみ事故」に「職場規律を正します」との中吊りが車内に掲示され、一部組合も協力して職場規律の修復が行われた。機関車と事故列車の先頭車(スハネフ14 102)が廃車となった。
※この「寝台特急「紀伊」機関車衝突事故」の解説は、「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の解説の一部です。
「寝台特急「紀伊」機関車衝突事故」を含む「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の記事については、「日本の鉄道事故 (1950年から1999年)」の概要を参照ください。
- 寝台特急「紀伊」機関車衝突事故のページへのリンク