譲渡後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/02 15:01 UTC 版)
3306 - 3309 → 京福電気鉄道モハ281形電車3307 - 3309が281 - 283に、3306が284となった。番号順に2両編成を組んだことから、284(3306)は京福ではじめて貫通前面が先頭に立つことになった。なお、東急時代に外板張替えが未施工だった281は1979年(昭和54年)に車体のノーシル・ノーヘッダ化改造が行われた。1986年(昭和61年)11月末にモハ2201形に代替され全車廃車となった。 3301・3304・3305 → 福島交通デハ3300形電車入線に際し3301が3306に改番されている。東急時代同様の3両編成を組み、主にラッシュ時に使用された。1982年()のデハ5000形5022・5023入線に伴って3305・3306が廃車され、3304も1986年に廃車された。 3310 → 上田交通デハ3300形電車3310は1975年にクハ3661とともに上田交通に貸し出されていたが、1979年に正式に譲渡。正式譲渡後に両運転台化されたが、単行で使用されることはごく稀であった。また屋根を修理したため、外観がわずかに変化した。1986年に同社別所線架線電圧の直流1,500V昇圧に伴い廃車された。
※この「譲渡後」の解説は、「東急3300系電車」の解説の一部です。
「譲渡後」を含む「東急3300系電車」の記事については、「東急3300系電車」の概要を参照ください。
譲渡後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/26 09:57 UTC 版)
「草軽電気鉄道モハ100形電車」の記事における「譲渡後」の解説
新潟県栃尾市に草軽電気鉄道と同様の軌間762 mmの路線を有していた栃尾鉄道(→栃尾電鉄→越後交通栃尾線)へ譲渡されて以降、元モハ100形は下記のように全車両とも多様な改造や運用が行われる事となった。以下、栃尾線時代の車両番号を基準に、車両ごとの譲渡後の経緯を解説する。
※この「譲渡後」の解説は、「草軽電気鉄道モハ100形電車」の解説の一部です。
「譲渡後」を含む「草軽電気鉄道モハ100形電車」の記事については、「草軽電気鉄道モハ100形電車」の概要を参照ください。
譲渡後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/07 05:51 UTC 版)
「大阪市交通局1601形電車」の記事における「譲渡後」の解説
南海電気鉄道→阪堺電気軌道 - 121形(2000年までに廃車) 広島電鉄 - 貨50形(車体上半分を取り払う。花電車として現存。)、750形(1987年までに廃車)、2500形(譲渡時に2車体連接車へ改造。台車は元のまま大阪市電形が利用された。1985年までに廃車)
※この「譲渡後」の解説は、「大阪市交通局1601形電車」の解説の一部です。
「譲渡後」を含む「大阪市交通局1601形電車」の記事については、「大阪市交通局1601形電車」の概要を参照ください。
譲渡後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 14:22 UTC 版)
「南海C10001形蒸気機関車」の記事における「譲渡後」の解説
片上鉄道へ譲渡されたC10001・C10002は1949年9月に大阪・安治川口の汽車製造へ持ち込まれ、整備と改造工事が実施された。 この際、ボイラー側面への水タンクの取り付け、台枠延長による運転台後部への石炭庫追加、その直下への2軸イコライザー式従台車の装着、デフレクター追加などが実施され、片上鉄道が当時保有していた国鉄制式機と同等のC11形およびC12形に準じた仕様の車軸配置2-6-4(1C2)の60t級タンク機関車となった。 ここまで手をかけて改造を実施したのは、当時急速に復興しつつあった日本の産業界にとって同社沿線の柵原にある硫化鉄鉱が非常に重要な資源であり、迅速な輸送力強化が求められていたにもかかわらず、物資難で適切な性能のタンク機関車の入手が困難であったことに理由があった。当時の片上鉄道の機関車事情は貨物輸送量に比して極端に悪く、本形式就役開始直前には機関車不足が致命的な状況に陥ったため、国鉄から4110形Eタンク機関車を借り入れたほどであった。 こうしてこれら2両は1949年11月にC13形C13-50・C13-51として竣工し、以後1965年のDD13形ディーゼル機関車の導入開始まで同線の主力機関車として使用され、その間の1954年と1956年に運転台の拡幅と天井の嵩上げ、1964年にデフレクターの取り外し工事を実施している。 しかし、戦時設計で工作も材質も低レベルであったらしく、より製造時期の古い自社発注のC11形・C12形に先駆けて1966年に2両とも廃車解体された。
※この「譲渡後」の解説は、「南海C10001形蒸気機関車」の解説の一部です。
「譲渡後」を含む「南海C10001形蒸気機関車」の記事については、「南海C10001形蒸気機関車」の概要を参照ください。
- 譲渡後のページへのリンク