2車体連接車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 10:13 UTC 版)
「筑豊電気鉄道2000形電車」の記事における「2車体連接車」の解説
2車体連接車は2101~2118の18編成が在籍していた。各編成ともA車・B車に分かれており、A車にパンタグラフを装備していたが、3車体連接車と異なり、A車が黒崎駅前側、B車が筑豊直方側となっていた。 西鉄北九州線の輸送力調整により余剰となった1000形を譲受したもので、ほぼ無改造のまま使用された。1985年に譲受した15編成は当初は元の番号のまま使用されていたが、1987年3月に3編成を追加譲受したのとほぼ同時に改番され(元のナンバーの上からプレートをかぶせていたが、後にペンキ塗りのナンバーになった)、2100番台を名乗る。改造車である3両連接車と区別する意味で2100形と呼ばれることもあった。 塗装は北九州線時代の赤色地にクリーム色帯のままで、「赤電」と呼ばれていた。西鉄時代には冷房・暖房とも設置されていなかった。2114~2118を除き譲受時に暖房が設置されたが、最後まで冷房改造はされなかった。 18編成が在籍していたが、1988年から1996年にかけて2110~2118の9編成が3000形に台車や機器を転用し廃車となり、2101~2109も1995年以降、ダイヤ合理化により順次廃車されていった。最後は2103編成のみが残り「使用休止中」の札が貼られて黒崎車庫に留置状態だったが、2006年6月に超低床電池駆動路面電車(SWIMO)開発計画の試験車両として川崎重工業に譲渡された。このため、2100形は形式消滅となった。 2101~2103は1988年から1989年にかけ、3車体連接車と同じように窓をユニット窓に改造する工事が実施されていた。このうち試作車として最初に改造された2102は前面両側の窓までアルミサッシのユニット窓に交換されて異彩を放っていた。
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