3車体連接車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/21 10:13 UTC 版)
「筑豊電気鉄道2000形電車」の記事における「3車体連接車」の解説
3車体連接車は各編成ともA車・B車・C車に分かれており、A車は筑豊直方側の先頭車でパンタグラフを装備する。B車は黒崎駅前側の先頭車で、C車は中間車である。 西鉄福岡市内線の第1次廃止により余剰となった1300形4編成と1200形1編成の計5編成を1976年10月に譲り受け、2車体連接車の2001AB - 2005ABとして使用開始した。この5編成は翌1977年10月に北九州線1000形2編成と福岡市内線1000形1両の車体を改造した中間車を組み込み、3車体連接車の2001ACB - 2005ACBとなっている。 1980年には北九州線1000形3編成を改造した3車体連接車2編成(2006ACB・2007ACB)を増備し、計7編成となった。 中間車は北九州線に存在していた1000形3車体連接車と違い、車体長が長く扉があるため、重量が増している。このため電動機を55kWのものに交換している。 3車体連接化改造時より西鉄天神大牟田線2000形のような黄色地に赤帯の塗装を施されており、「黄電(きなでん)」と呼ばれている。また、2001 - 2005は竣工当初は前照灯が窓下1灯のままであったが、2006・2007登場時に前照灯が尾灯と一体型のケースに収められて左右に配置された。 2006・2007は北九州線1000形の中でも福岡市内線1000形に近い形態をした最終グループ(1062AB~1064AB)を改造したため、前面中央窓1枚・大型方向幕という種車時代の特徴を色濃く残している。 編成の向きは、1977年(昭和52年)の最初の編成の改造導入時から、筑豊直方側をA車とする向きである。1985年(昭和60年)の西鉄北九州線部分廃止以後、2車体連接車は筑豊電鉄所属車・西鉄所属車とも黒崎駅前・砂津側をA車とする向きとなった(のちに改造された3000形も同じ)ため、3車体連接車とは逆向きとなった。 大きな改造としては1984年から1985年にかけて冷房改造が行われたほか、1990年から1998年にかけて更新工事が実施され、窓が従来の上段Hゴム支持固定・下段上昇式(いわゆるバス窓)から上段下降・下段上昇式のアルミサッシのユニット窓に交換されるとともに、乗降口のステップを改造して床面との間の段差を380mmから290mmに縮めている。2004年にはATS取り付け工事が行われ、「2003A-1」のようにハイフンの付いた番号になった(完了後は元に戻されている)。また、後述の塗り替えとほぼ同時、または先行する形で2001 - 2005の前面中央窓のワイパーを窓下に移設、同時に前面窓も上方に移動したため2006・2007と同じスタイルとなった。これにより2001 - 2005と2006・2007の相違点は方向幕のみとなった。また2015年春のnimoca導入などにあわせて、順次改造工事が施されている。以下のように車内の設備を更新している。 音声合成装置による自動放送の導入(2015年3月より英語放送開始) 自動両替機付運賃箱、ICカードリーダーの設置 車内に整理券発行機を設置 運賃表を幕式から液晶式に更新、従来の次駅案内装置の撤去 運転士の車内放送用ヘッドセットマイク設置 なお冷房改造時より全ての編成にブラウン管テレビが設置されたが、2003年頃に4編成が液晶テレビに交換され、残りの3編成はテレビが撤去された。現在はすべて3000形に移設し撤去している。テレビでは、初期の頃はNHKの地上波放送を流していた。1990年代は福岡ダイエーホークスのプロ野球中継が始まると、チャンネルを変えることもあった。その後、ビデオによる次駅案内や沿線企業のCMなどが流されるようになった。末期にはビデオテープからDVDに変更された。 2007年度から2008年度にかけて、「レインボー電車」と称して7編成全車をそれぞれ虹を構成する7色(紫・藍・青・緑・黄・橙・赤)に塗り替える計画が発表された。その第1弾は2001編成の「紫」で、2007年10月28日から運用を開始した。なお、レインボー電車となった編成には前面左下に「Nishitetsu Group」のロゴが、ドア横にレインボー電車の概要ステッカーが施されている。2008年度末に完了とされていたが、映画「おっぱいバレー」の撮影に使用された2004編成は、この編成のみの特別日程が組まれ、塗り替えをせずに運行されていた。2009年12月4日、最後まで残っていた2004編成も緑色に塗り替えられて営業運転を開始。これをもって黄電カラーは消滅した。 本形式の特徴として、中間車にも車掌台を設けている点がある。ラッシュ時を中心に混雑する同線において乗降時間の短縮のためラッシュ時には「中部車掌」が乗務する運転士1名、車掌2名乗務の運行を行っていた。本来は中間車のドアは乗車専用であるが、中部車掌乗務時には中間車でも降車できるようになっていた。車掌2名乗務時には後部車掌は後部車両のドア操作のみを行い、中部車掌が中間車と先頭車後ろのドア操作を行う。発車時は中部車掌から後部車掌に合図用の電子ブザーが鳴らされ、その後後部車掌から運転士に電鈴合図を送っていた。中部車掌は合理化により順次縮小され、2003年11月には午後の中部車掌が廃止、そして2008年2月には朝のラッシュ時における中部車掌も廃止された。代替として黒崎駅前駅に集札係員を配置し、引き続き黒崎駅前駅に関しては降車時間の短縮を図っている。 2001編成「紫」 2002編成「藍」 2003編成「青」 2004編成「緑」 2005編成「黄」 2006編成「橙」 2007編成「赤」
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