冷房改造
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「京急1000形電車 (初代)」の記事における「冷房改造」の解説
1976年(昭和51年)から非冷房で製造された車両を対象に冷房改造工事が行われた。冷房装置は東芝RPU-2209系が採用され、1両につき4台が設置された。内装も全面的に貼り替えられ、新製冷房車同様に極力無塗装化が図られた。冷房改造前に腐食対策として雨樋縦管を露出させる改造が施されていたが、これを耐食管とすることで本改造時に埋め込んだ。天井部は平天井構造となったが、パンタグラフ下部を除きダクトは設けられていない。電動発電機は容量75 kVAのものに交換され、1台で2両に給電する。方向幕は電動化されたが、側面方向幕は奇数車海側、偶数車山側のみに設置され、初期の改造車は種別幕のみで残った奇数車山側、偶数車海側に冷房改造前と同様「普通」が表示されなかったが、1983年(昭和58年)頃の改造車から「普通」が表示されるようになり、それ以前の車両も同様に改造された。1001 - 1048で側面種別幕位置が低かった編成は冷房改造時に他車と同位置に改造されている。冷房改造前から全車両側面に方向幕を持つラインデリア車は全車設置とされた。OK-18系台車は重量増加に対応して台車枠の補強が行われ、1977年(昭和52年)に台車枠だけをOK-18Mとして4両分製造している。OK-18系台車装備車で初の冷房改造車となった1137編成は冷房機本体を搭載せずに出場し、2週間後に冷房機を搭載している。 初の冷房改造車である1179編成は、改造当初冷房装置のキセ(カバー)がイボ付きビニールでコーティングされた鋼製の黒いタイプであり、その外観から一部で「装甲冷房車」と呼ばれていたが、1981年(昭和56年)9月に他編成と同じFRP製の白いキセに取り替えられた。改造は長期にわたったが、期間中大きな設計変更は行われず、末期に連結器交換準備工事が併施されたことによる変更がある程度である。1982年に冷房改造を受けた1029編成の1032は2000形の登場を前に試験的に静止形インバータを搭載したが、定期検査の際に電動発電機に戻されている。 全車冷房改造完了を目前にして廃車が始まり、1049・1095・1097の各編成には冷房改造が施工されなかったが、本形式の冷房化完了を以って、京急では関東大手私鉄では初めて冷房化率100%を達成した(実際には相模鉄道が1987年に冷房化率100%を達成していたが、当時相鉄は大手私鉄ではなかったため、関東大手私鉄での冷房化率100%を初達成したのは京急であった)。
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冷房改造
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103系冷房試作車の成功を受け、当時101系が主力だった中央線快速用として1972年(昭和47年)からAU75系列による冷房化が行われた。主に後期製造分が改造対象とされたが、翌1973年から103系冷房量産車が同線にも直接投入されたことや性能上の問題により少数に留まった。103系と違い、側面行先表示器は取り付けられていない。新宿 - 八王子・高尾間で京王線の特急と競合する関係から特別快速を中心にした運用に限定充当されたが、冷房改造による重量増により6M4Tでは各駅停車として運転されるダイヤに合わせることが性能上困難となるため、夏季以外も運用を限定した。なお、組成上の関係からクハ101形に冷房改造車は存在していない。また、クハ100形の冷房改造車はTR64形台車を履いた後期形のみであるほか、サハ100形は0番台2両のみが試作冷房改造車であった。 試作冷房改造車:1972年に改造された40両はクーラーが後位寄りに位置していること、冷房用電源として210 kVAのMGを1編成に2台搭載した5両給電方式であることが特徴である。なお、MGはクモハ・モハ100形に搭載されたが、後者は1編成に2両連結されているため冷房用MGありとMGなしが存在し、冷房用MGなしのモハ100形は基本的に付属編成に組み込まれた。そのため見かけは3+7編成であるが高圧三相引き通しが渡されているため、営業運転中は分割できなかった。 後年、試作冷房改造車は、大部分が中原電車区に集結し6両編成に組み換えられた。MGなしのモハ100形を組み込んだ編成は210 kVAのMG1台で6両に冷房電源を供給するよう組成したが、AU75の所要電力は35 kVAと計算されており、中央線快速では5両給電だった210 kVAのMGでも6両まで給電可能であった。 量産冷房改造車:1976年以降に改造された52両はクーラーが車体のほぼ中心に位置していること、冷房用電源が103系量産冷房車同様に160 kVAのMGとなりすべてのクモハ・モハ100形に装備されたことが試作冷房改造車と異なる。中央線快速のほか、中央・総武緩行線、南武線、片町線用としても改造された。 関東地区配置車は後にすべて中原電車区に集約されて南武線と鶴見線で使用された。また、片町線に配属された6連2本は同線の7連化に伴い非冷房車と混結の6M1Tになり、JR化後には6連化の上桜島線に転用された。これらの車両転配および車両需給の関係で、サハ101形の一部がサハ103形750番台に改造されている(後述)。101系冷房改造車は経年が比較的新しかったことから国鉄時代に廃車になった車両は皆無で、民営化の2年後である1989年に南武線で発生した踏切事故によりクハ100-91が101系冷房車で初の廃車になった。その後、首都圏のJR線の冷房化率がほぼ100 %になった1990年夏頃から老朽廃車が始まり、1992年5月までに全廃された。 なお、上記の車両とは別に南武支線用については分割民営化後の1989年に各車屋根上に設置したSIVを用いて給電するAU712での冷房改造が行われた。
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冷房改造
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「京急700形電車 (2代)」の記事における「冷房改造」の解説
1980年(昭和55年)から1988年(昭和63年)にかけて冷房改造が行われた。冷房能力12.2 kW(10,500 kcal/h)の三菱CU-126系冷房装置を各車3基搭載、FRP製通風機が撤去された。冷房機を均等に搭載するため、先頭車の誘導無線アンテナが非冷房時代の運転台側に受信用、中央側に送信用から前後逆配置に変更され、パンタグラフ脇のヒューズも車両中央側から車端側に移設された。サハ770形の冷房装置は品川方に寄って搭載された。側面に電動式種別幕・方向幕が取り付けられるとともに正面各幕の電動化が行われ、各幕の指令装置は品川方先頭車車掌台に設けられた。幕が取り付けられた部分は上段窓が固定化されたが、そのほかの側窓は全開する構造のままとされたため、窓の保護棒は残された。妻窓が上下段上昇から上段下降、下段固定に変更され、窓の保護棒が撤去された。 冷房改造によりデハ700形の全高が4,050 mm、自重が35.0 tに、サハ770形がそれぞれ4,005 mm、28.5 tとなった。デハ700形の車輪が一体波打車輪に交換されている。 品川寄りに連結されるサハ770形偶数車に搭載されていた7.5 kVA電動発電機と電動空気圧縮機を撤去、かわって800形と同一の容量100 kVAのブラシレス電動発電機、東洋製TDK-3320Aが1台搭載され、編成全車の冷房用電源と、品川寄り2両の低圧電源とされた。浦賀寄りに連結されるサハ770形奇数車に搭載されていた7.5 kVA電動発電機は残され、浦賀寄り2両の低圧電源用とされるとともに、偶数車から外された電動空気圧縮機も奇数車に搭載され、2台搭載となった。この機器配置の変更により、サハ770形1両を外した3両編成とすることができなくなった。7.5 kVA電動発電機は三菱製に統一されている。 天井は高さ2,200 mmの平天井となった。非冷房時代と同様に1両に5台首振り式扇風機が設置されたが、1000形冷房改造車の様に回転速度を落とす改造は行われず、非冷房時代と同じ回転数とされた。暖房用電源は直流1,500 Vから交流200 Vに変更されている。内装は全面的に張り替えられたが、色彩は変更されていない。扉類、蹴込板などがステンレス化されていなかった車両についてはステンレス化が行われた。 当初は朝ラッシュ時の特急増結用として1980年(昭和55年)、1981年(昭和56年)に711 - 721の6編成のみが改造され、のち1984年(昭和59年)に729編成が追加改造された。1985年(昭和60年)10月冷房改造出場の707編成から本格的な工事が始まり、行先表示器SPC方式化に伴う地色の黒色化、電気連結器付き密着連結器取り付け準備の実施、先頭車山側の冷房指令・自動幕指令用ジャンパ栓(青色)の廃止、電子警笛の設置などの仕様変更が行われた。 701 - 709編成は高運転台から標準の運転台に改造され、711編成以降と同様の前面窓配置となった。側面窓形状は変更されていない。 1988年(昭和63年)度改造分は車側灯がLED光源に交換され、1988年(昭和63年)9月出場の735編成で工事は完了した。 ← 浦賀 品川 → 改造年月 備考 形式デハ700 サハ770 サハ770 デハ700 区分Mu Tu Ts Ms 車両番号701703705707709711713715717719721723725727729731733735737739741 771773775777779781783785787789791793795797799761763765767769751 772774776778780782784786788790792794796798770762764766768760752 702704706708710712714716718720722724726728730732734736738740742 1987年3月1987年6月1987年8月1985年10月1986年7月1981年5月1980年5月1980年6月1982年3月1981年9月1981年2月1987年4月1986年12月1987年10月1984年7月1988年4月1988年6月1988年9月1988年8月1988年2月1987年12月 白地幕白地幕白地幕白地幕白地幕白地幕車側灯LED試用白地幕車側灯LED車側灯LED車側灯LED車側灯LED車側灯LED 搭載機器CON,PT BMG100 CP CPMG7.5 CON,PT 自重35.0 t 28.5 t 28.5 t 35.0 t 定員140 140 140 140
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