国鉄分割民営化後
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1987年4月1日:国鉄分割民営化により東海旅客鉄道(JR東海)が承継。日本貨物鉄道(JR貨物)が豊橋駅 - 豊川駅間、元善光寺駅 - 辰野駅間の第二種鉄道事業者となる。豊川駅 - 元善光寺駅間の貨物営業廃止。 1988年(昭和63年)2月1日:東海旅客鉄道静岡支社飯田線営業所が発足。 3月13日:急行「かもしか」廃止。 1989年(平成元年)4月13日:北殿駅にて列車衝突事故発生(負傷者138 - 157名)。 9月13日:飯田線全線でPRC(自動進路制御装置)使用開始。 1990年(平成2年)3月1日:飯田線営業所を本社東海鉄道事業本部に移管、飯田支店に格上げ。 1991年(平成3年)12月14日:湯谷駅を湯谷温泉駅に改称。 1992年(平成4年)12月29日:豊橋駅 - 飯田駅間に臨時急行「伊那路」が新設。 1996年(平成8年)3月16日:「伊那路」を定期特急化。 9月30日:元善光寺駅 - 辰野駅間の貨物列車がこの日限りで運転終了。 2001年(平成13年)3月3日:天竜峡駅 - 辰野駅間でワンマン運転開始。 4月1日:治水工事に伴う天竜峡駅 - 時又駅間の全面的な線路付替、改キロ (-0.1 km)。 2002年(平成14年)2月28日:「元祖ゲタ電号」、車両(クモハ12041)の廃車に伴い運転終了。 2006年(平成18年)5月7日:「トロッコファミリー号」がこの日限りで運転終了。 2010年(平成22年)3月13日:豊橋駅 - 豊川駅間でTOICA導入。 2011年(平成23年)11月27日:213系5000番台電車投入。 2012年(平成24年)3月17日:豊橋駅 - 中部天竜駅間でワンマン運転開始。 3月31日:119系電車の運用がこの日限りで終了。 2013年(平成25年)4月1日:鼎駅、元善光寺駅、沢渡駅、伊那北駅が無人化。飯島駅、駒ケ根駅、伊那松島駅が自治体による簡易委託化。長野県内においてJR東海が管理する有人駅(直営駅)は、天竜峡駅、飯田駅、伊那市駅(およびJR東日本管轄の辰野駅)のみとなる。 9月16日:台風18号の影響で数箇所で土砂流入、路盤流失。門島駅 - 唐笠駅間の土砂流入量が大きく水窪駅 - 飯田駅間が不通となる。特急「伊那路」が全区間で運休となる。 9月17日:水窪駅 - 平岡駅間、天竜峡駅 - 飯田駅間が復旧。平岡駅 - 天竜峡駅間でバス代行を開始。 10月10日:平岡駅 - 天竜峡駅が復旧、9日限りでバス代行終了。 2018年(平成30年)3月:ラインカラー及び豊橋駅 - 豊川駅間で駅ナンバリングを導入。当路線の路線コードは「CD」、ラインカラーはスカイブルー(豊橋駅は、既に付与されている名鉄名古屋本線の駅番号「NH01」と併記される)。 2020年(令和2年)7月5日:令和2年7月豪雨の影響で土砂が流入、長山駅 - 駒ケ根駅間が不通となる。 7月11日:天竜峡駅 - 駒ケ根駅間で運転を再開。不通区間は長山駅 - 天竜峡駅間となる。 7月12日:長山駅 - 水窪駅間、平岡駅 - 天竜峡駅間で運転を再開。不通区間は水窪駅 - 平岡駅間となる。 7月27日:水窪駅 - 大嵐駅間で平日の2往復のみ暫定的な運転を実施予定であったが、25日から続く大雨の影響で取りやめとなった。また、運休区間が大海駅 - 天竜峡駅間に拡大となった。 7月28日:運休区間が水窪駅 - 平岡駅間になる。 7月29日:水窪駅 - 大嵐駅間で平日の2往復のみ暫定的な運転を開始。 9月28日:水窪駅 - 平岡駅間で運転を再開。 2021年(令和3年)8月14日:大雨の影響で、宮木駅 - 辰野駅間の横川橋梁が損傷、伊那松島駅 - 辰野駅間が不通となる。 8月19日:大雨の影響で大海駅 - 平岡駅間が不通となる。 8月23日:大海駅 - 平岡駅間、伊那松島駅 - 伊那新町駅間で運転再開。バス代行輸送を伊那新町駅 - 岡谷駅間で開始(辰野駅 - 岡谷駅間は25日まで)。 11月15日:伊那新町駅 - 辰野駅間で運転を再開、14日限りでバス代行輸送終了。 2022年6月1日:湯谷温泉駅 - 三河槇原駅間で5月31日夜に発生した落石による影響で本長篠駅 - 中部天竜駅間が不通になる。
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国鉄分割民営化後
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「国鉄客車の車両形式」の記事における「国鉄分割民営化後」の解説
国鉄の分割民営化後は、フリークエンシーサービス強化と収益性改善のため電車・気動車の増備と更新が急がれた。一方で客車は長期にわたって既存の系列のみが保有された。新形式が登場しても、それらは12系・14系・24系・50系のいずれかのグループに属するものだった。 例外としてJR北海道がスハ44形の改造でスハシ44形を、C62ニセコ号用のカフェカーとして登場させている。 また、国鉄時代には「暗黙の了解」として同一等級・同一番号の形式を使用しないこととしていたが、JR化後は各社でブルートレインの体質改善のための改造形式が登場したため、この慣例は破られることになった。 客車列車全体が減少傾向にあり、国鉄形式の消化と改造で終焉するかに思われたが、1999年(平成11年)に寝台特急カシオペア用としてJR東日本E26系客車が登場する。この形式では、JR東日本がすでに電車・気動車で採用していた、形式記号と形式番号の間にJR東日本形式であることを示す「E」をつけた形式とした。一方で、形式番号自体は国鉄時代までに使用していた25に続いて26・27の番号が使用された。 2001年(平成13年)には、もはや二度と登場しないと思われていた2軸車、展望車「テ」の形式を持つハテ8000形がJR北海道で誕生する。これ以降、いわゆる観光用イベント列車用の展望車形式として再び「テ」が使用されるようになる。 等級号も長く1960年改正以降の「ロ」「ハ」のみを使用してきたが、ブルートレイン「北斗星」の「ロイヤル」登場後、「明らかにサービスの格が違うにもかかわらず等級号が同じ」という現象が続いていた。2013年(平成25年)、JR九州がクルーズトレインななつ星 in 九州用にJR九州77系客車を新製する際、現状のA寝台車よりもさらに上のサービスであることを示すため「イネ」を採用。国鉄時代のように等級税がかかるわけではないが、実質的に3等制の復活となった。
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国鉄分割民営化後
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1995年(平成7年)10月1日:北陸地域鉄道部が発足。富山運転所が統合される。 2008年(平成20年)6月1日:北陸地域鉄道部に富山鉄道部が統合される。これにより富山鉄道部運転科は北陸地域鉄道部富山運転センターに転入する形となり廃止される。 2009年(平成21年)6月1日:北陸地域鉄道部と高岡鉄道部とが統合され、富山地域鉄道部になる。北陸地域鉄道部富山運転センター・北陸地域鉄道部富山運転派出・高岡鉄道部運転科はそれぞれ富山地域鉄道部富山運転センター・富山地域鉄道部富山運転派出・富山地域鉄道部高岡運転派出に継承。 2015年(平成27年)3月14日:北陸新幹線長野 - 金沢間の開業に伴い廃止。富山運転センター車両管理室は金沢総合車両所へ統合され、同所の富山支所へ改組。城端線・氷見線・高山本線の管轄区間は北陸広域鉄道部に移管、北陸本線の管轄区間をあいの風とやま鉄道に経営移管。
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国鉄分割民営化後
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「国鉄485系電車」の記事における「国鉄分割民営化後」の解説
JR北海道・JR西日本・JR九州からは所属車両が既に全廃。JR東日本所属車は2022年4月1日現在で12両が車籍を有するが、定期運用は終了しており臨時運用のみに充当される。 分割民営化時(1987年4月1日)→2022年4月1日 車両数推移 483系485系489系会社別残存率JR北海道 7→0 0 %JR東日本8→0 425→12 28→0 2.6 %JR西日本 327→0 108→0 0 %JR九州324→0 0 %系列別総計8→0 1,083→12 136→0 系列別残存率0 %1.1 %0 %分割民営化後会社別車両数推移西暦JR北海道JR東日本JR西日本JR九州総計485系483系485系489系485系489系485系1987年7 8 425 28 327 108 324 1,2271988年7 8 423 27 331 102 324 1,2221989年7 8 425 27 333 100 324 1,2241990年6 2 399 27 334 99 302 1,1691991年0 0 382 29 309 98 302 1,1201992年 380 29 300 95 288 1,0921993年370 29 299 95 263 1,0561994年368 29 291 95 256 1,0391995年361 29 291 95 231 1,0071996年361 29 250 94 216 9501997年361 29 244 94 203 9311998年342 4 241 92 182 8611999年326 4 238 86 180 8342000年296 4 234 86 110 7302001年283 2 234 86 76 6362002年260 2 206 61 76 6052003年252 2 193 55 76 5782004年244 2 120 43 73 4822005年238 2 93 40 73 4462006年238 2 85 39 73 4372007年228 2 85 39 73 4272008年226 2 85 39 73 4252009年224 2 85 39 73 4232010年224 2 58 32 73 3892011年224 0 27 9 69 3292012年201 0 9 33 2432013年191 1 8 2002014年173 1 8 1822015年135 0 5 1402016年93 1 942017年75 0 752018年54 542019年26 262020年16 162021年16 162022年12 12
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国鉄分割民営化後
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「かもめ (列車)」の記事における「国鉄分割民営化後」の解説
1988年(昭和63年)3月13日:「かもめ」を1往復増発し、14往復となる。同時に下り1本で「みどり」との連結運転を再開。小倉駅発着列車は再び消滅。 1989年(平成元年)3月11日:「かもめ」を14往復から18往復に増発(下り4本・上り3本は「みどり」併結)。また、2往復で783系電車(ハイパーサルーン)の使用を開始。またこの列車ではカフェテリアの営業も行われた。 1990年(平成2年)3月10日:「かもめ」を3往復増発し、21往復(下り7本・上り5本は「みどり」を連結)となる。783系充当の5往復を「ハイパーかもめ」と命名。また、この頃から485系を使用した「かもめ」を赤い外観の「KAMOME EXPRESS」(7・8両編成)・「RED EXPRESS」(5両編成)にリニューアルする。なお、原則として「KAMOME EXPRESS」は単独運転の列車に、「RED EXPRESS」は「みどり」との連結列車に用いられた。この頃には高速バスへの対抗策として、途中停車駅を鳥栖駅・佐賀駅・諫早駅の3駅のみとした列車も存在した。 1992年(平成4年)3月25日:「みどり」併結列車の一部でハウステンボス駅発着の「ハウステンボス」併結開始。 6月1日:「ハイパーかもめ」のカフェテリアの営業終了。 7月15日:「かもめ」を1往復増発し、「ハイパーかもめ」と合わせて22往復とする。また、この日以降多良駅と湯江駅に通年停車する列車はなくなる。 1994年(平成6年)2月1日:いわゆるホームライナー的な運行で毎日運行の臨時列車として博多駅 - 肥前山口駅間を運行する「かもめ」101・102号を新設。使用車両は主に「ハウステンボス」に使用する485系。 3月1日:単独運行の5往復に787系を投入 (ビュッフェ営業も行われた)。先に投入された「にちりんシーガイア」と異なり787系充当列車に特別な愛称は設定されず「かもめ」として運転された。 7月1日:「ハイパーかもめ」の名称を廃止し「かもめ」に統合。ただし、一部の駅の発車標などでは「赤いかもめ」と区別するために783系使用列車には「ハイパーかもめ」と表示されることがあった。 1995年(平成7年)4月20日:「かもめ」101・102号を定期列車化し、車両を783系とする。 1996年(平成8年)3月16日:「かもめ」は単独運転列車を783系(17往復)、「みどり」を連結する列車を485系(5往復)に統一。783系の一部編成は「つばめ」・「にちりん」で使用していた編成から転用。これに伴い787系は撤退してビュッフェ営業も終了。485系に関しては「RED EXPRESS」編成のみの運転となる。 1997年(平成9年)11月29日:「かもめ」5号を門司港始発とする。 485系国鉄特急色「かもめ」(1991年 鳥栖駅) 783系「ハイパーかもめ」(1992年 博多駅) 485系「KAMOME EXPRESS」(1992年12月 博多駅) 787系「かもめ」(1996年 長崎駅)
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国鉄分割民営化後
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発券業務を行わなくなった自動車駅(霞ヶ浦線・江戸崎駅) 改築の上物産販売店を入居させている例(平庭高原線・葛巻駅) 分割民営化後、JRバス分社化に伴い、同じJR同士であっても鉄道とバスは連絡運輸の扱いとなった。また、連絡運輸のうち、取り扱いの少ないものについては廃止されている。鉄道との連絡乗車券を発売しなくなったため、自社の乗車券類のみを発券するようになったり、窓口営業自体が廃止されるケースも増加している。窓口営業が廃止された後も、待合室や乗務員の宿泊設備などが設置されている場合は、建物はそのまま残され、JRバスから他の事業者に移管された後も継続して使用されることもあるが、近年は駅舎の老朽化に伴い解体されるケースや、交通量の多い道路沿いにあることから賃貸店舗に改築されるケースもある。 移転改築された後も営業が継続されている例(北薩線・薩摩郡山駅) JRバスが撤退した後も駅施設のみが残る例(天竜線[現:遠鉄バス北遠本線]・瀬尻駅) 一方、営業所や支所、操車所などの運行拠点と併設されていた自動車駅の場合は、定期券や回数券などの発売のために窓口営業が継続されている。北薩線の薩摩郡山駅のように、移転改築された後も窓口営業が継続されているケースもある。また、塩原線の塩原温泉駅や京鶴線の周山駅のように、JRバスが撤退した後の代替交通機関との乗り継ぎターミナルとして機能させるケースもある。 変わったケースでは、瀬戸南線の瀬戸記念橋駅と瀬戸追分駅の窓口閉鎖と同時期に、別の場所(名鉄瀬戸線尾張瀬戸駅前の「パルティせと」内)でチケットカウンターとして営業を開始した例もある。
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国鉄分割民営化後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 03:52 UTC 版)
客車列車は寝台車を含めて国鉄分割民営化による各社の意思統一の困難、普通列車の短編成・高頻度運転の深度化に伴う電車化・気動車化の更なる進行、JRの旅客鉄道会社における機関車運転要員の縮小・廃止などで衰退が著しく、客車を用いた定期普通列車は2002年の快速「海峡」廃止によりJRから消滅し、定期優等列車も2016年の「はまなす」廃止により消滅した。 一方で、首都圏 - 北海道連絡の寝台特急について、東日本旅客鉄道(JR東日本)により設備を一新した新系列の客車としてE26系客車が1999年に投入された。車体は大幅に軽量ステンレスを用い、ボギー台車間をバスタブ式に床面を落とし込んだ2階建て構造を採用している。ブレーキは電気指令式を常用として装備し、台車は軸梁式の軽量ボルスタレス台車である。中間車の連結器は電車と同様の密着連結器を採用している。集中電源方式であり、客室設備は全車がA寝台の個室とされている。 詳細は「JR東日本E26系客車」を参照 九州旅客鉄道(JR九州)が超豪華クルーズトレイン「ななつ星in九州」専用の77系客車が2013年に投入された。 詳細は「JR九州77系客車」を参照 寝台車以外では、西日本旅客鉄道(JR西日本)が「やまぐち」専用の35系4000番台客車が2017年に投入された。日本国内の普通鉄道において座席客車が新造されるのは35年ぶりである。 詳細は「JR西日本35系客車」を参照
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