国鉄分割民営化後とは? わかりやすく解説

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国鉄分割民営化後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:42 UTC 版)

飯田線」の記事における「国鉄分割民営化後」の解説

1987年4月1日国鉄分割民営化により東海旅客鉄道JR東海)が承継日本貨物鉄道JR貨物)が豊橋駅 - 豊川駅間、元善光寺駅 - 辰野駅間の第二種鉄道事業者となる。豊川駅 - 元善光寺駅間の貨物営業廃止1988年昭和63年2月1日東海旅客鉄道静岡支社飯田線営業所発足3月13日急行かもしか廃止1989年平成元年4月13日北殿駅にて列車衝突事故発生負傷者138 - 157名)。 9月13日飯田線全線PRC自動進路制御装置使用開始1990年平成2年3月1日飯田線営業所本社東海鉄道事業本部移管飯田支店格上げ1991年平成3年12月14日湯谷駅湯谷温泉駅改称1992年平成4年12月29日豊橋駅 - 飯田駅間に臨時急行伊那路」が新設1996年平成8年3月16日:「伊那路」を定期特急化。 9月30日元善光寺駅 - 辰野駅間の貨物列車がこの日限り運転終了2001年平成13年3月3日天竜峡駅 - 辰野駅間ワンマン運転開始4月1日治水工事に伴う天竜峡駅 - 時又駅間の全面的な線路付替、改キロ (-0.1 km)。 2002年平成14年2月28日:「元祖ゲタ電号」、車両クモハ12041)の廃車に伴い運転終了2006年平成18年5月7日:「トロッコファミリー号」がこの日限り運転終了2010年平成22年3月13日豊橋駅 - 豊川駅間でTOICA導入2011年平成23年11月27日213系5000番台電車投入2012年平成24年3月17日豊橋駅 - 中部天竜駅間でワンマン運転開始3月31日119系電車運用がこの日限り終了2013年平成25年4月1日鼎駅元善光寺駅沢渡駅伊那北駅無人化飯島駅駒ケ根駅伊那松島駅自治体による簡易委託化長野県内においてJR東海管理する有人駅直営駅)は、天竜峡駅飯田駅伊那市駅(およびJR東日本管轄辰野駅)のみとなる。 9月16日台風18号影響で数箇所土砂流入路盤流失門島駅 - 唐笠駅間の土砂流入量が大きく水窪駅 - 飯田駅間が不通となる。特急伊那路」が全区間運休となる。 9月17日水窪駅 - 平岡駅間、天竜峡駅 - 飯田駅間が復旧平岡駅 - 天竜峡駅間でバス代行開始10月10日平岡駅 - 天竜峡駅復旧9日限りバス代行終了2018年平成30年3月ラインカラー及び豊橋駅 - 豊川駅間で駅ナンバリング導入当路線の路線コードは「CD」、ラインカラースカイブルー豊橋駅は、既に付与されている名鉄名古屋本線駅番号「NH01」と併記される)。 2020年令和2年7月5日令和2年7月豪雨影響土砂流入長山駅 - 駒ケ根駅間が不通となる。 7月11日天竜峡駅 - 駒ケ根駅間で運転を再開不通区間長山駅 - 天竜峡駅間となる。 7月12日長山駅 - 水窪駅間、平岡駅 - 天竜峡駅間で運転を再開不通区間水窪駅 - 平岡駅間となる。 7月27日水窪駅 - 大嵐駅間で平日の2往復のみ暫定的な運転を実施予定であったが、25日から続く大雨影響取りやめとなったまた、運休区間大海駅 - 天竜峡駅間に拡大となった7月28日運休区間水窪駅 - 平岡駅間になる。 7月29日水窪駅 - 大嵐駅間で平日の2往復のみ暫定的な運転を開始9月28日水窪駅 - 平岡駅間で運転を再開2021年令和3年8月14日大雨影響で、宮木駅 - 辰野駅間の横川橋損傷伊那松島駅 - 辰野駅間が不通となる。 8月19日大雨影響大海駅 - 平岡駅間が不通となる。 8月23日大海駅 - 平岡駅間、伊那松島駅 - 伊那新町駅間で運転再開バス代行輸送伊那新町駅 - 岡谷駅間で開始辰野駅 - 岡谷駅間は25日まで)。 11月15日伊那新町駅 - 辰野駅間で運転を再開14日限りバス代行輸送終了2022年6月1日湯谷温泉駅 - 三河槇原駅間で5月31日夜に発生した落石による影響本長篠駅 - 中部天竜駅間が不通になる。

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国鉄分割民営化後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/13 08:47 UTC 版)

国鉄客車の車両形式」の記事における「国鉄分割民営化後」の解説

国鉄の分割民営化後は、フリークエンシーサービス強化収益性改善のため電車・気動車増備更新急がれた。一方で客車長期わたって既存系列のみが保有された。新形式が登場しても、それらは12系14系24系50系いずれかグループ属するものだった例外としてJR北海道スハ44形の改造スハシ44形を、C62ニセコ号用のカフェカーとして登場させている。 また、国鉄時代には「暗黙の了解」として同一等級同一番号形式使用しないこととしていたが、JR化後各社ブルートレイン体質改善のための改造形式登場したため、この慣例破られることになった客車列車全体減少傾向にあり、国鉄形式消化改造終焉するかに思われたが、1999年平成11年)に寝台特急カシオペア用としてJR東日本E26系客車登場する。この形式では、JR東日本がすでに電車・気動車採用していた、形式記号形式番号の間にJR東日本形式であることを示す「E」をつけた形式とした。一方で形式番号自体国鉄時代までに使用していた25続いて2627番号使用された。 2001年平成13年)には、もはや二度と登場しない思われていた2軸車展望車「テ」の形式を持つハテ8000形JR北海道誕生する。これ以降いわゆる観光用イベント列車用の展望車形式として再び「テ」が使用されるうになる等級号も長く1960年改正以降の「ロ」「ハ」のみを使用してきたが、ブルートレイン北斗星」の「ロイヤル登場後、「明らかにサービス格が違うにもかかわらず等級号が同じ」という現象続いていた。2013年平成25年)、JR九州クルーズトレインななつ星 in 九州用にJR九州77客車新製する際、現状A寝台車よりもさらに上のサービスであることを示すため「イネ」を採用国鉄時代のように等級税がかかるわけではないが、実質的に3等制の復活となった

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国鉄分割民営化後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 09:29 UTC 版)

富山地域鉄道部」の記事における「国鉄分割民営化後」の解説

1995年平成7年10月1日北陸地域鉄道部発足富山運転所統合される2008年平成20年6月1日北陸地域鉄道部富山鉄道部統合される。これにより富山鉄道部転科北陸地域鉄道部富山運転センター転入する形となり廃止される2009年平成21年6月1日北陸地域鉄道部高岡鉄道部とが統合され富山地域鉄道部になる。北陸地域鉄道部富山運転センター北陸地域鉄道部富山転派出・高鉄道部転科それぞれ富山地域鉄道部富山運転センター富山地域鉄道部富山転派出・富山地域鉄道部高岡転派出に継承2015年平成27年3月14日北陸新幹線長野 - 金沢間の開業に伴い廃止富山運転センター車両管理室金沢総合車両所統合され同所富山支所改組城端線氷見線高山本線管轄区間は北陸広域鉄道部移管北陸本線管轄区間をあいの風とやま鉄道経営移管

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国鉄分割民営化後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 11:57 UTC 版)

国鉄485系電車」の記事における「国鉄分割民営化後」の解説

JR北海道JR西日本JR九州からは所属車両が既に全廃JR東日本所属車2022年4月1日現在で12両が車籍を有するが、定期運用終了しており臨時運用のみに充当される。 分割民営化時(1987年4月1日)→2022年4月1日 車両数推移 483系485系489系会社残存JR北海道 7→0 0 %JR東日本8→0 42512 28→0 2.6 %JR西日本 327→0 1080 0 %JR九州3240 0 %系列総計8→0 1,083→12 1360 系列別残存率0 %1.1 %0 %分割民営化後会社車両数推移西暦JR北海道JR東日本JR西日本JR九州総計485系483系485系489系485系489系485系1987年7 8 425 28 327 108 324 1,2271988年7 8 423 27 331 102 324 1,2221989年7 8 425 27 333 100 324 1,2241990年6 2 399 27 334 99 302 1,1691991年0 0 382 29 309 98 302 1,1201992年 380 29 300 95 288 1,0921993年370 29 299 95 263 1,0561994年368 29 291 95 256 1,0391995年361 29 291 95 231 1,0071996年361 29 250 94 216 9501997年361 29 244 94 203 9311998年342 4 241 92 182 8611999年326 4 238 86 180 8342000年296 4 234 86 110 7302001年283 2 234 86 76 6362002年260 2 206 61 76 6052003年252 2 193 55 76 5782004年244 2 120 43 73 4822005年238 2 93 40 73 4462006年238 2 85 39 73 4372007年228 2 85 39 73 4272008年226 2 85 39 73 4252009年224 2 85 39 73 4232010年224 2 58 32 73 3892011年224 0 27 9 69 3292012年201 0 9 33 2432013年191 1 8 2002014年173 1 8 1822015年135 0 5 1402016年93 1 942017年75 0 752018年54 542019年26 262020年16 162021年16 162022年12 12

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国鉄分割民営化後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:43 UTC 版)

かもめ (列車)」の記事における「国鉄分割民営化後」の解説

1988年昭和63年3月13日「かもめ」を1往復増発し14往復となる。同時に下り1本で「みどり」との連結運転を再開小倉駅発着列車は再び消滅1989年平成元年3月11日「かもめ」14往復から18往復増発下り4本・上3本「みどり」併結)。また、2往復783系電車ハイパーサルーン)の使用開始。またこの列車ではカフェテリア営業行われた1990年平成2年3月10日「かもめ」を3往復増発し21往復下り7本・上り5本は「みどり」連結)となる。783系充当の5往復を「ハイパーかもめ」と命名また、この頃から485系使用した「かもめ」を赤い外観の「KAMOME EXPRESS」(7・8編成)・「RED EXPRESS」(5両編成)にリニューアルする。なお、原則としてKAMOME EXPRESS」は単独運転の列車に、「RED EXPRESS」は「みどり」との連結列車用いられた。この頃には高速バスへの対抗策として、途中停車駅鳥栖駅佐賀駅諫早駅の3駅のみとした列車存在した1992年平成4年3月25日「みどり」併結列車一部ハウステンボス駅発着の「ハウステンボス併結開始6月1日:「ハイパーかもめ」のカフェテリア営業終了7月15日「かもめ」を1往復増発し、「ハイパーかもめ」と合わせて22往復とする。また、この日以降多良駅湯江駅通年停車する列車はなくなる。 1994年平成6年2月1日いわゆるホームライナー的な運行毎日運行臨時列車として博多駅 - 肥前山口駅間を運行する「かもめ」101102号を新設使用車両は主に「ハウステンボス」に使用する485系3月1日単独運行の5往復787系投入ビュッフェ営業行われた)。先に投入された「にちりんシーガイア」と異なり787系充当列車特別な愛称設定され「かもめ」として運転された。 7月1日:「ハイパーかもめ」の名称を廃止し「かもめ」統合。ただし、一部の駅の発車標などでは「赤いかもめ」と区別するために783系使用列車には「ハイパーかもめ」と表示されることがあった。 1995年平成7年4月20日「かもめ」101102号を定期列車化し車両783系とする。 1996年平成8年3月16日「かもめ」単独運転列車783系17往復)、「みどり」連結する列車485系(5往復)に統一783系一部編成「つばめ」・「にちりん」で使用していた編成から転用これに伴い787系撤退してビュッフェ営業終了485系に関しては「RED EXPRESS編成のみの運転となる。 1997年平成9年11月29日「かもめ」5号門司港始発とする。 485系国鉄特急「かもめ」1991年 鳥栖駅783系ハイパーかもめ」(1992年 博多駅485系KAMOME EXPRESS」(1992年12月 博多駅787系「かもめ」1996年 長崎駅

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国鉄分割民営化後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 03:31 UTC 版)

自動車駅」の記事における「国鉄分割民営化後」の解説

発券業務を行わなくなった自動車駅霞ヶ浦線・江戸崎駅) 改築の上物産販売店入居させている例(平庭高原線葛巻駅分割民営化後JRバス分社化に伴い、同じJR同士であっても鉄道バス連絡運輸扱いとなったまた、連絡運輸のうち、取り扱い少ないものについては廃止されている。鉄道との連絡乗車券発売しなくなったため、自社乗車券類のみを発券するようになったり、窓口営業自体廃止されるケース増加している。窓口営業廃止された後も、待合室乗務員宿泊設備などが設置されている場合は、建物そのまま残されJRバスから他の事業者に移管された後も継続して使用されることもあるが、近年駅舎老朽化に伴い解体されるケースや、交通量の多い道路沿いにあることから賃貸店舗改築されるケースもある。 移転改築された後も営業継続されている例(北薩線薩摩郡山駅JRバス撤退した後も駅施設のみが残る例(天竜線[現:遠鉄バス北遠本線]・瀬尻駅) 一方営業所支所操車所などの運行拠点併設されていた自動車駅場合は、定期券回数券などの発売のために窓口営業継続されている。北薩線薩摩郡山駅のように、移転改築された後も窓口営業継続されているケースもある。また、塩原線の塩原温泉駅京鶴線周山駅のように、JRバス撤退した後の代替交通機関との乗り継ぎターミナルとして機能させるケースもある。 変わったケースでは、瀬戸南線瀬戸記念橋駅瀬戸追分駅窓口閉鎖同時期に別の場所(名鉄瀬戸線尾張瀬戸駅前の「パルティせと」内)でチケットカウンターとして営業開始した例もある。

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国鉄分割民営化後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 03:52 UTC 版)

日本の客車史」の記事における「国鉄分割民営化後」の解説

客車列車寝台車含めて国鉄分割民営化による各社意思統一の困難、普通列車短編成・高頻度運転の深度化に伴う電車化気動車化の更なる進行JR旅客鉄道会社における機関車運転要員縮小・廃止などで衰退著しく客車用いた定期普通列車2002年快速海峡廃止によりJRから消滅し定期優等列車2016年の「はまなす廃止により消滅した一方で首都圏 - 北海道連絡寝台特急について、東日本旅客鉄道JR東日本)により設備一新した系列客車としてE26系客車1999年投入された。車体大幅に軽量ステンレス用いボギー台車間をバスタブ式に床面落とし込んだ2階建て構造採用している。ブレーキ電気指令式常用として装備し台車は軸式の軽量ボルスタレス台車である。中間車連結器電車同様の密着連結器採用している。集中電源方式であり、客室設備全車A寝台個室とされている。 詳細は「JR東日本E26系客車」を参照 九州旅客鉄道JR九州)が超豪華クルーズトレイン「ななつ星in九州」専用77客車2013年投入された。 詳細は「JR九州77客車」を参照 寝台車以外では、西日本旅客鉄道JR西日本)が「やまぐち専用35系4000番台客車2017年投入された。日本国内普通鉄道において座客車新造されるの35年ぶりである。 詳細は「JR西日本35系客車」を参照

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