国鉄分割民営化以降の61号機
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「国鉄EF58形電気機関車」の記事における「国鉄分割民営化以降の61号機」の解説
60が廃車・解体された後も61は1号編成の牽引機として稼働を続け、1987年の国鉄分割民営化に際し、国鉄から東日本旅客鉄道(JR東日本)田端運転所へ承継された。国鉄時代の1980年代以降は新幹線網や航空機の発達により速達化が図られたため、直流電化区間における61による1号編成の牽引回数も減ってきたこともあり、「お召列車けん引指定機」という来歴を買われ、NIOE(ノスタルジー・イスタンブール・オリエント急行)を使用した「オリエントエクスプレス88」などのイベント・団体臨時列車の牽引機にも多く用いられてきた。2004年に全般検査を終えてからも多くのイベント列車で運用され、特に2006年には10列車以上の牽引に充当された。2008年までは稼働可能状態で保持されていた。 61は東京機関区に新製配置されてから東京機関区の車両無配置化まで一貫して同区に配属されているが、1度の貸出歴と施設の廃止や運営会社の変更等の事情による2度の異動歴がある。 東京機関区車両無配置化による新鶴見機関区への異動、民営化による旅客鉄道会社向けの車両分散再配置による田端運転所への異動歴を除くと、一度だけ東京機関区から正式に貸出されお召列車牽引時に他区所所属機関車としてその機関区の区名札を挿して運行されたことがある。これは1971年10月の和歌山国体開会式行幸啓に伴うお召列車運転時に際し同年10月23日 - 26日の間に竜華機関区への正式な貸出措置手続きが取られ竜華機関区所属機関車としてお召列車けん引をしている。 これは、本来は直流電化区間はどの線区であっても平坦線を中心に走行できる区間では回送も含めすべて61の自力運行で東京機関区の臨A1仕業と呼ばれるお召運用として行われる(ただし運行する機関士はそれぞれの線区を担当する線区を担当する機関区の正・副機関士)が、このときは回送の途中線区に非電化の貨物線区間が存在したため自力での直通運転ができず、吹田(操)-竜華操車場間(現在のおおさか東線を含む区間)がディーゼル機関車による回送を必要としたことから、国鉄本社が本運用含む全線自走またはパンタグラフを上げての走行をすることとの原則に反するとして、この間のみ東京機関区から竜華機関区への貸出手続きが行われた。このため、61の車両履歴簿所属移動歴は東京区新製配置⇒竜華区貸出⇒東京区返却⇒(東京区車両無配置化のため)新鶴見区異動⇒(民営化による管理会社移管のための)田端所異動の記載となる。 しかし平成に入ってからはお召し列車の運転回数も極端に減少し、21世紀に入り本来牽引すべき御料車の一号編成客車ともども老朽化が進行していたため、平成時代に入ってから61がお召し列車の牽引に用いられたのは国賓接遇の為の延べ4回(往復はそれぞれ片道を1回とする)だけである。そして、速達化と老朽置き換えを目的として2007年に一号編成の後継車両となる電車形式のハイグレード車両(E655系電車)と特別車両(E655-1)が落成したことにより61と1号編成客車の本来の役目を譲る形で、お召し列車牽引活動に終止符を打った。 2008年に行われた台車検査Bでは、主台枠に経年劣化による金属疲労で亀裂が生じているのが発見され、単独走行は出来るものの車両を牽引しての運転が不可能となる。JR東日本はこれらの事情や社内管轄における牽引する客車の在籍状況などから、同年秋に61号機は修復を行わないことを決定し、検査継続をせずに車籍を有したままで現役を退いた。 現在、同機は東京総合車両センターの御料車庫に保管されている。書類上は2019年(平成31年)4月1日現在も廃車になっておらず、保留車として田端運転所に在籍している。同センターが一般公開される日には屋外に展示されることがあり、2010年及び2018年に展示されている。
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