国鉄分割民営化後の展開
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「サンライズ出雲」の記事における「国鉄分割民営化後の展開」の解説
・1998年3月(「出雲」2往復体制末期)時点の編成図出雲 ← 浜田・出雲市 東京 → 1・4号(JR東日本管轄)編成浜田発着編成 出雲市発着編成 号車1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 座席A1 B B B 売 B B B B B B 2・3号(JR西日本管轄)号車1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 座席B A1 B1/B2 3B BC B B B B B 1・4号の9 - 11号車は連結しない場合がある。 1・4号の米子 - 浜田間、2号の出雲市 → 鳥取間、3号の香住 → 出雲市間では、開放式B寝台の一部車両で座席開放(いわゆる「ヒルネ」)を行う。 凡例 A1=1人用個室A寝台「シングルデラックス」 B1/B2=1人用個室B寝台「シングルツイン」・2人用個室B寝台「ツイン」合造車 BC=簡易4人用B寝台「Bコンパートメント」 B=開放式B寝台 3B=3段式寝台(開放式B寝台) 売=売店(旧 食堂車) 1987年(昭和62年)3月3日「出雲」1・4号に電源車&荷物車のカニ24形100番台とB寝台車のオハネフ25形100番台と200番台とオハネ25形0番台とオハネ25形100番台と200番台を種車にしたグレートアップしたグレートアップ車両の連結を開始オシ24形0番台(2両)からの改造車オシ24形700番台食堂車の連結を開始A寝台車のみオロネ25形0番台(3両)からの一人用A個室寝台車オロネ25形0番台を使用4月1日:国鉄分割民営化に伴い、「出雲」1・4号はJR東日本が、「出雲」2・3号はJR西日本が管轄する共同運行列車になる。6月1日:「出雲」1・4号の食堂車の担当を日本食堂本社(上野営業所)に移行。なお、人気が高い限定メニュー「大山おこわ定食」の販売は1988年(昭和63年)6月30日まで続けられる。 1989年(平成元年):「出雲」2・3号に3段式B寝台車が1両のみ復活。前年に現れた高速バスに価格対抗した「出雲B3きっぷ」が山陰側で発売されるのに合わせたもの。 1991年(平成3年)ト3月:「出雲」2・3号に1人用B寝台個室「シングルツイン」、2人用B寝台個室「ツイン」を連結。なお、A寝台は開放式から1人用A寝台個室「シングルデラックス」へ変更。 6月1日:「出雲」1・4号の食堂車が営業を休止して売店営業に差し替える。その理由は、朝食時間帯の食堂営業が下りは1時間30分と短いばかりか上りでは東京到着が7時台と営業としては成立できないことに加え、郷土メニュー廃止などで夕食時間帯の食堂利用者が減少した面もあった。 1993年(平成5年)9月1日:山陰本線園部 - 福知山間電化・高速化工事に伴い、下り「出雲」1号のみ伯備線経由に変更。 1994年(平成6年)12月3日:品川運転所の車両無配置化に伴い「出雲」1・4号の受持ちが尾久客車区(現・尾久車両センター)に変更。 1995年(平成7年)1月17日 - 3月31日:阪神・淡路大震災により「出雲」1・4号の運転を取りやめ。これによって使用されない機関車は「なは」「あかつき」の迂回運転用に捻出。 4月1日 - 4月16日:「出雲」2号は「出雲」4号の時刻で運転。臨時列車「出雲」84号は「出雲」2号の時刻で運転される。 12月1日:「出雲」1号が元の山陰本線経由に変更。
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国鉄分割民営化後の展開
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「なは (列車)」の記事における「国鉄分割民営化後の展開」の解説
1990年(平成2年)3月10日:「なは」に普通車座席指定席として「レガートシート」を熊本発着の付属編成に連結開始。また、同年より新大阪 - 西鹿児島間に臨時急行「霧島」を運行開始。これは臨時寝台特急「明星」81・82号として運行されていた列車であったが、使用車両が20系客車であったため、車両の陳腐化・経年化それに伴うサービスの低下により格下げされたものであり、この時点で「明星」の愛称名が消滅する。 1991年(平成3年)3月29日:「なは」がこの日の上り始発よりB個室寝台「デュエット」を連結開始。 1992年(平成4年)7月14日:「なは」がこの日の上り始発よりB個室寝台「ソロ」を連結開始し、付属編成に連結していた「レガートシート」を西鹿児島発着の基本編成へ移動。 1993年(平成5年)3月18日:臨時夜行座席特急「金星」が利用客減少により、事実上の廃止となる。 1995年(平成7年)1月17日:阪神・淡路大震災により東海道・山陽本線(JR神戸線)が不通となったため、「なは」は当分の間運休となる。 1月30日 - 3月31日:福知山線・山陰本線・播但線経由で不通区間を迂回する臨時寝台特急「なは」81・82号を熊本発着で運行(同様の迂回列車「あかつき」81・82号も運転)。播但線の有効長が8両であったため、なるべく輸送力が確保できるよう、電源車を必要としない14系寝台車7両の編成で運転された。 姫路以西は同様に震災の影響によって運休していた「はやぶさ」のダイヤがほぼ踏襲された。81号の停車駅 新大阪駅 - 大阪駅 - 岡山駅 - 倉敷駅 - 福山駅 - 尾道駅 - 広島駅 - 柳井駅 - 下松駅 - 徳山駅 - 防府駅 - 宇部駅 - 下関駅 - 門司駅 - 小倉駅 - 博多駅 - 鳥栖駅 - 久留米駅 - 大牟田駅 - 熊本駅 82号の停車駅 熊本駅 - 大牟田駅 - 久留米駅 - 鳥栖駅 - 博多駅 - 小倉駅 - 門司駅 - 下関駅 - 厚狭駅 - 小郡駅 - 徳山駅 - 下松駅 - 岩国駅 - 広島駅 - 西条駅 - 三原駅 - 尾道駅 - 福山駅 - 倉敷駅 - 岡山駅 - 大阪駅 - 新大阪駅 4月1日:JR神戸線の開通により、「なは」運転再開。新大阪 - 西鹿児島間運行の臨時急行の名称を「霧島」から「桜島」に変更。これは、JR九州が同年から運行開始した日豊本線宮崎 - 西鹿児島間の電車エル特急「きりしま」の運行に伴う措置。 1996年(平成8年)3月16日:臨時急行「桜島」廃止。なお、この年以降夜行列車の多客時での臨時列車の運行は行われない。 1997年(平成9年)11月29日:東京発着の「はやぶさ」が運行区間を熊本駅までに短縮。西鹿児島駅に乗り入れる唯一の寝台特急となり、「なは」の全区間利用客が増加する。また、「はやぶさ」の熊本 - 西鹿児島間でも行われた西日本トラベル担当の車内販売が下り「なは」の熊本 → 西鹿児島間に移行し、冬シーズンには紅茶の販売が行われた。
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