国鉄分割民営化後の動き
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「京阪神快速」の記事における「国鉄分割民営化後の動き」の解説
1987年(昭和62年)4月1日、国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)が発足した。発足時は国鉄最後のダイヤ改正(1986年11月1日)時のダイヤをそのまま継承した。 JR発足後は朝ラッシュ時にも新快速が運転されるようになった。1989年には221系が登場し、その大きな窓と明るい車内が新生JRの格好のPR材料となった。JR他社が新設計の特急車両をフラッグシップとする中、国鉄時代に実現しなかった関西地区向け211系の分も合わせて一挙に投入された221系は、すぐに京阪神エリアの顔となり、通勤輸送の改善や120 km/h運転の開始により、今日のアーバンネットワークの基礎を築きあげた。私鉄沿線よりも開発余地の大きかった国鉄・JR沿線の発展に伴い、当初新快速用が6両、快速用は4両同士連結の8両編成であった221系も、8両編成が主体となっていき、最長12両編成の列車も徐々に増加していった。 1995年1月17日の阪神・淡路大震災では、各鉄道が大きな被害を受け、長期運休を余儀なくされた。その中から、阪神間でもっとも早く開通したのがJRであった。貨物輸送も担う幹線であり、復旧が急がれ、またJR各社の応援を得られたことも大きかった。 復旧後のJR神戸線は、不通区間のあった他私鉄からの一時的な転移客に対応して、通勤時間帯を中心に増発・増結が行われた。特に輸送力が求められた新快速は予備車の活用や先代117系の投入により増発、その後223系1000番台を急遽追加投入して輸送力確保に努めた。被害の大きかった阪神間や神戸市内での沿線人口が減り、明石市方面への転居者が多かったこともJRに有利に働き、先述の通勤時間帯に増発された列車は、さらなる利用増加を見据えて運転が継続された。 さらに、京都駅ビルの集客力強化に成功したほか、京都を越えて直通運転する琵琶湖線沿線、特に草津市・守山市を中心とする地域では、新快速による時間短縮効果が大阪・京都への通勤客を中心とする人口増を呼ぶとともに、京都市内からの大学の新キャンパス設置や滋賀県内への企業誘致など、新たな需要の拡大を生んでいる。 阪神大震災後に乗客が急増したJR神戸線の増発用として急遽製作された223系1000番台は、扉間の座席を1列減らしてドア周囲を広く取ると同時に、その空間を利用した補助席を新たに設け、ラッシュ時の混雑緩和と日中時間帯の着席サービスの両立を図った。朝夕時間帯の新快速の増発は、130 km/h運転に対応する223系の増備が進むにつれて、朝ラッシュ時の快速も223系化されて足並みが揃えられ、神戸駅 → 大阪駅間で快速が先着になるなど、ダイヤにも手が加えられている。 2005年4月25日にJR福知山線脱線事故が発生、余裕のないダイヤが一因であるとの批判を浴びた。翌2006年3月18日のダイヤ改正では余裕時間の見直しが行われ、京都・大阪・三ノ宮駅での停車時間を約2分とし、余裕を持った折り返し運用などが実施され、京都駅 - 大阪駅間が27分10秒から28分20秒に、大阪駅 - 三ノ宮駅間では19分50秒から20分50秒に、それぞれ改正前より約1分の所要時間増となった。また、主要駅に設置されていた新快速の宣伝看板も、所要時間の延長を理由に撤去されるようになった。なお、新快速と朝の一部の快速の最高130 km/h運転は継続しており、車体の強度を高めるなどの安全対策や全車両0.5Mとすることなどの製造コスト削減を図った223系の後継225系が2010年12月から運用が開始されている。
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