日本の客車史とは? わかりやすく解説

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日本の客車史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/01 03:12 UTC 版)

日本の客車史(にほんのきゃくしゃし)では、日本の鉄道における客車の歴史について述べる。本項目では、時代を大きく次の7つに区分して概説する[注釈 1]。個々の客車については、各系列、形式等の項目に詳細を譲り、客車全体の発達と歴史的背景に重点を置いて記述する。


注釈

  1. ^ 第6期までは、青木栄一1993の区分に従う。
  2. ^ 下層階級の人は鉄道を利用しないと予想したため下等車を用意しなかったがやはり必要になったため中等車から改造したと、官設鉄道新橋工場の汽車監察方であったフランシス・ヘンリー・トレビシックが英国の雑誌に寄稿している。青木1994 pp.265-266
  3. ^ 定員は『日本鉄道史 上編』大正10年(国会図書館デジタルコレクション)より。なお下等客車の定員30人は「最古客車」の定員。
  4. ^ 同形車は計9両。青木1994 p.279、『客車略図 下巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)1910年頃の図面、なお廃車後柏駅で倉庫として1959年まで残っていた。
  5. ^ ちなみに日本の客車では二軸車とボギー車に対し三軸車は非常に少なく、関西鉄道の3等手荷物合造車2両、三宮鉄道の手荷物車4両、前述の関西鉄道の引継ぎ材料から鉄道院神戸工場が作った2等車2両と3等車5両のみにとどまった。((星1962)p.15図33・略史p.6
  6. ^ その後、しばらくは2軸車は定員のわりに自重が軽いことを生かして戦時は兵員輸送に必要ではないかという考えなどから残していたものの、機関車の発達に伴いこの必要もなくなり昭和期には二軸客車は大半処分され、まず昭和3年(1928年)に大正末期の貨車への空気ブレーキ搭載で車掌車が必要になったので660余両をヨフ6000・7000形(後のヨ1・1500形)に改造し、残ったもの(昭和11年12月時144両)も昭和12年度から積極的に廃車したため、昭和30年度には人を乗せる客車では2軸の物は国鉄から消失した(暖房車ではもう少し後まで2軸車残存)。
  7. ^ 広義の「雑形」客車は、規格型以前のこれら古典車両に加え、以後の私鉄買収などで国鉄籍を有することになった買収車両(木造、鋼製を問わず)、および電車気動車から用途変更で客車に編入されたものの一部が該当する。規格型以降、国鉄により量産された「旧型客車」について、1970年代から1980年代にかけて一部の鉄道紀行作家(種村直樹など)が「雑客車」「雑客」と呼んだ事例があったが、国鉄の分類からすると誤用である。
  8. ^ しかし実際には分かりやすさのために記号を前につけた形で呼ばれることが多く、本項でも原則としてそれに従う。また以下では「xx系」と称することがあるが、10系までは正式の系列呼称ではなくある程度共通な構造の車体を持つ客車を総称する、趣味的・便宜的な呼称である。
  9. ^ なお、私設鉄道ブームの第1次は明治20年代前半の日本鉄道や山陽鉄道が生まれた今日の幹線網の母体となった大手私鉄誕生期、第2次は日清戦争後の好況で施設鉄道条例が私設鉄道法された(明治33年)頃。( (星1962)付録p.15
  10. ^ 朝倉もこの直前に述べているが、当時すでに私鉄の電車には鋼製車(正確には半鋼製)が存在しており、大正12年(1923年)に川崎造船所で製造された神戸市電200形(初代、G車)が第1号で翌年には阪神急行・阪神電気・京浜電気鉄道などでも半鋼製車を使用し始めている。(なお全鋼製車は1925年(大正14年)に同じく川崎造船所で製造された阪神急行電鉄510が第1号)。((福原2007)p.74-77「2-1 鋼製車体と電動発電機の誕生」
    なお「客車として運用された全鋼製車第1号」は、大正15年(1926年)製造の東武鉄道ホハ59・60だが、これは電装前の電車を客車として使用したものでその後電車(クハ7・8)に改造されている。((星1962)付録p.16
  11. ^ 但し、配給車救援車などの事業用客車としてはその後もしばらく残存し、国鉄から事業用も含めて木造客車が完全に消えたのはヨンサントオ改正時である。
  12. ^ 書籍によっては急行形車両に分類されることもあるが(グランプリ出版 塚本雅啓『戦後日本の鉄道車両』p.88)、岡田誠一は当形式は正式な意味で急行形に分類された客車ではないことを述べている(交友社『鉄道ファン』No.413 p.50)。当形式に限らず、10系以前の客車は三等車(普通車)に関してはそのほとんどがデッキ付きの2ドアクロスシートで製造されており、独立した便所と洗面所も備え、登場後しばらくは優等列車に使用され、後継車両の増備や置き換えにつれて普通列車にも使用されるようになっている。したがって、10系以前の客車には明確な意味で急行形、一般形に分類される車両区分の概念がない(ネコ・パブリッシング『Rail Magazine』No.336 p.9、JTBパブリッシング 岡田誠一『国鉄鋼製客車Ⅰ』 p.239)。
  13. ^ ここではRP 580の特集の定義に従う。
  14. ^ ただし、自動ドアの開閉機構の都合で50系編成はこれだけでまとめ、間に他の形式を間に挟むようなことはせず「50系編成+ナハフ11+ナハ11+マニ60」のように別形式は端にまとめられた。

出典

  1. ^ 「線路里程停車場及諸車現在表」『工部省沿革報告』1889年(国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 日本鉄道史 上編』大正10年(国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ 青木 1968。
  4. ^ (星1962)p.1
  5. ^ 青木1993 p.12
  6. ^ 長船 p.45
  7. ^ (星1962)略史p.6・付録p.8-9
  8. ^ (星1962)p.60
  9. ^ 1919年9月29日付報知新聞(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
  10. ^ (星1962)p.76・略史p.8-9「4.2 大型ボギー客車時代」
  11. ^ (星1962)付録p.15-18「3.変革期の産物「電車型客車」」、p.84写真183・184
  12. ^ 「本年の新造車全部を鋼鉄製に」1927年2月17日付中外商業新報(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
  13. ^ 半鋼製客車の配属『鉄道省年報. 昭和2年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ^ (星1962)略史p.10「5.1 最初の鋼製客車」
  15. ^ a b (朝倉1980-1)p.106
  16. ^ (朝倉1980-1)p.106-107
  17. ^ (星1962)略史p.11-12「5.2 長形客車の誕生」
  18. ^ (星1962)略史p.13「5.3 丸屋根の採用」
  19. ^ 山本弘文編『交通・運輸の発達と技術革新:歴史的考察』国連大学、1986年、137-8頁。
  20. ^ (星1962)略史p.12
  21. ^ (星1962)略史p.14-15「5.4 広窓の採用」
  22. ^ 混雑緩和のため座席を取り外した客車登場 (昭和18年2月7日 毎日新聞(東京 夕刊)『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p606 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  23. ^ (星1962)略史p.16-17「6.2 戦災復旧車」
  24. ^ (星1962)略史p.21-22
  25. ^ RP88 p.28。
  26. ^ (星1962)略史p.22-23「8.1 軽量客車の新製」
  27. ^ 山崎喜陽・橋本真・TMS編集部 編集・製作『NゲージBOOK No.2 鉄道模型趣味別冊』株式会社機芸出版社、1984年、雑誌06456-5、p.39「新型客車の編成と方向 50系」。





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