配給車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/06 04:04 UTC 版)
配給車(はいきゅうしゃ)とは、鉄道車両の種類の一つ。主に車両工場と車両基地との間で、車両などの保守部品を配送するために使用される事業用車両である。
概要
日本国有鉄道(国鉄)での、車両記号は「ル」(部品をクバルことから)。この記号は、1953年(昭和28年)6月1日の車両形式称号規程改正により制定されたもので、それ以前から配給(保守部品の輸送のことで、国鉄内部の用語で「配給を受ける」と呼んでいた)用途に使用される事業用車両は存在しており、職用車「ヤ」に包含されていたものを独立させたものである。
(2006年撮影)
国鉄(JR)だけではなく、私鉄の一部でも使われていたことがあったが、道路事情の改善やダイヤの過密化、さらには配給部品輸送特有の輸送効率の悪さ[注釈 1]などによって次第にトラックなど自動車輸送に切り替えられたことにより使用機会は激減[1]しており、JR旅客各社では2021(令和3)年をもって鉄道車両としての配給車は消滅した。現在ではJR貨物において有蓋車・無蓋車による代用輸送(車両記号の変更はなし)がされるのみとなっている。
国鉄時代には、現存する電車や貨車(ただし現存するのは上記の代用車のみ)の他、客車である荷物車を転用した車両も存在した。また、一部車両は、工場や基地への従業員輸送用として使われたこともあった。
電車タイプは現存している国鉄101系電車から改造されたクモル145形も含め、旅客電車から改造されたものが多く、またほとんどの車両において、運転室のすぐ後ろには屋根のある部屋があるが、車両後部の屋根は取り払われて無蓋貨車のようなスタイルになっている。客車タイプは古くなった旅客車・荷物車・郵便荷物車などから改造され、屋根は取り払わず、中央部に1 - 2か所の物資搬入用の扉を設けたものが多かった。
私鉄では牽引車兼用として京浜急行電鉄、近畿日本鉄道に現存しており、事業用に使用されている。
配給車の形式一覧
電車

- 国鉄
客車
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- 国鉄
脚注
注釈
出典
- ^ “視線浴びて緊張気味? JR西、配給車を初展示”. 朝日新聞デジタル. (2017年12月22日)
関連項目
- 国鉄の車両形式一覧
- 国鉄トラ45000形貨車
配給車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 06:44 UTC 版)
オル30形スニ30形・スユ30形を種車として改造された配給車である。 郵便取扱設備や仕切壁などを撤去した車室の中央には配給物資を載せるための棚が設けられ、資材局から各区所に支給される配給物資などを載せて運用された。 配送先区所により貨物列車に併結されて移動することがあるため、車体側面には貨車と同様の票差しが取り付けられているのが特徴である。 また長期間の乗務に対応するために旧車掌室を拡大して設けられた添乗員室には寝台や執務用机、調理用の流し、石炭ストーブが設置されていた。 車内の設備の違いにより、下記の番台に区分される。 0番台1957年から1961年にかけて幡生・長野の各国鉄工場で改造されたグループで、スニ30 45・99、スユ30 3・6 - 8・11・13・22・29の計10両に施工された。 施工時に便所が撤去されていたのが特徴である。 一部の車両は荷物室の側扉が1800mm幅の両開き式に改造されていた。 改造後は各地の資材局に配置され、1985年(昭和60年)までに廃車となり形式消滅となった。 100番台1958年から1960年にかけて旭川・長野の各国鉄工場で改造されたグループで、スユ30 1・12・16・17・20に施工された。 施工時に便所が撤去されずに存置されていたのが特徴である。 1500mm幅の側扉を1000mm幅に改造したものとそのままとしたものが存在した。 改造後は各地の資材局に配置され、1971年までに廃車となり区分消滅した。 オル31形1957年から1966年にかけて旭川、幡生、松任、盛岡、長野、大船、大宮、多度津、土崎の各国鉄工場で改造された。 種車が座席車であることから施工時に資材搬出入用の側扉が設けられ、座席などを撤去した車室の中央には配給物資を載せるための棚が設けられ、資材局から各区所に支給される配給物資などを載せて運用された。 配送先区所により貨物列車に併結されて移動することがあるため、車体側面には貨車と同様の票差しが取り付けられていたのが特徴である。 また長期間の乗務に対応するために添乗員室が設けられ、寝台や執務用机、調理用の流し、石炭ストーブなどが設置されていた。 車内の設備の違いにより、下記の番台に区分される。 0番台改造施工時に便所が撤去されたグループである。 番号と種車の対照は下記のとおりである。 1 - 25・28 - 45・47・49 - 51種車がオハ31 1・5・20・38・67 - 71・77・79・98・109・110・127・131・145・149・151・152・155・186・190・192・208・209・228・232・238・270・273・285・288・308・331・332・353・388・389・412・461・470・474・475・484のグループである。 26・27種車がオハ30 1・2(初代)のグループである。 種車の出自が他の車両とは異なるため、厳密には本系列には属さない。 46オロ31 54を種車にして改造した車両である。 48・52・53種車がオハフ30 41・85・95のグループである。 改造後は各地の資材局に配置され、1972年までに廃車となり区分消滅した。 200番台改造施工時に便所が存置されたグループである。 番号と種車の対照は下記のとおりである。 201 - 220種車がオハ31 6・9・10・17・39・65・158・185・206・309・319・339・347・357・372・387・426・430・465・491のグループである。 221 - 223種車がオハフ30 1・3・12のグループである。 改造後は各地の資材局に配置され、1977年(昭和52年)までに廃車となり形式消滅となった。
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