職用車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/21 14:29 UTC 版)

職用車(しょくようしゃ)は、日本国有鉄道・JRで、営業用ではなく自社内の業務用(事業用)に使用される鉄道車両で、救援車や配給車など他に分類されない車種の総称。電車、気動車、客車、貨車のいずれにも存在し、車種記号は「ヤ」(役所のヤ。もしくは「やくにん」のヤ[1])で表される。
解説
事業用用途の車両がまとめられたグループのため、当時の国鉄の体制などもあり、多くの用途の車両が存在した。 狭義の職用車は車種記号「ヤ」の車両のうち、試験車、工事車、教習車、保健車、広報車以外のものを指すが、ここでは車種記号「ヤ」で表されるもの全般について記載する。
- 牽引車 - 単独で自走できない車両を牽引するための車両。固定編成の電車では、工場への検査入場などで車両単位に切り離した場合そのままでは自走できないため、牽引車が必要となる。
- 職員輸送車 - 最寄駅から離れた車両基地や貨物駅などに職員を輸送するための車両。営業用車両で代用されることも多い。
- 試作車 - 高速、走行性能など
- 電源車 - ブルートレインに客室用の電力を供給する車両のうち、荷物車やロビーカー・ラウンジカーなどと兼用でないもの。定期運用を持ち営業用の列車に連結される職用車として特筆すべき存在であった。現在はJR東日本E26系客車の予備電源車、「カヤ27 501」のみが在籍する。
- 試験車 - 軌道設備の各種測定車
- 建築限界測定車 - 建築限界を測定する車両
- 工事車 - 各種の工事などに用いられる車両。
- 教習車、訓練車 - 車両の構造や動作部分を車内設置または一部露出させて仕組みを見せ、教育や訓練を行う。
- 保健車 - 各地を巡回し、職員に対する健康診断や診察を行う車両で、検診用の各種設備を備える。1970年代まで北海道や東北・山陰などの地方で使用された。
- 広報車 - 鉄道事業PR活動用の車両。鉄道開業80周年の際にナハ13500の内部を改装したホヤ16800が短期間存在したのみ。なお職用車扱いではないが、ポンパ号やサイエンストレイン、アメリカントレインなどの類似車両がある。
職用車に使用される車両
新幹線
職員輸送車
建築限界測定車
工事車
- 国鉄スヤ39形客車 (0番台)
- 国鉄オヤ27形客車
- 国鉄スヤ39形客車 (10番台)
- 国鉄オヤ41形客車
- 国鉄オヤ10形客車
- 国鉄スヤ33形客車
- JR東海キヤ97系気動車(レール運搬車)
- JR東日本GV-E197系気動車(バラスト運搬車)
教習車
- 国鉄クモヤ92形電車
- 国鉄クヤ153形電車
- 国鉄クヤ165形電車
- 国鉄スヤ9960型・オヤ9970(後のオヤ9840)型客車(「或る列車」で知られる九州鉄道ブリル客車を改造したもの)
- 国鉄オヤ33形客車 (3代・2000番台・50番台(51))
- 国鉄マヤ43形客車
訓練車
- JR東日本モヤ102形電車
- JR東日本モヤ113形電車
- JR東日本モヤ115形・モヤ114形・クモヤ115形・クモヤ114形電車
- JR東日本クヤ455形電車
- JR東日本モヤ484形電車
- JR東日本キヤ28形気動車
保健車
その他
- 国鉄オヤ35形客車 (0番台)(補機連結用控車)
脚注
- ^ 福原俊一『日本の電車物語 旧性能電車編 創業時から初期高性能電車まで』JTBパブリッシング、2007年、ISBN 978-4-533-06867-6、p.80。
なお、ここの「やくにん」は「役人」ではなく「職員」のこと。
職用車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 02:23 UTC 版)
939-201形 - 工事車 1972年浜松工場でオロハネ10 4から改造された宿泊用の工事車。 旧A寝台室は12人分の寝台を持つ休憩室とし、他の部分は機材室とし、発電機、準備室、流し台、シャワー室、資材置場、推進運転時の前方監視室などを設置し、台車をTR8006Cに換装した。 車体塗色は、黄5号に青20号の側帯を窓上と窓下に1本ずつ巻いていた。1983年に廃車となった。 >新旧番号対照 オヤ10形 - 工事車 1974年 (1 - 3)オロネ10形から改造された宿泊用の工事車。車体塗色はぶどう色2号。 1、2は名古屋工場において改造した車両で、東京第二工事局三島操機区に配属され、オヤ41形と組んで使用された。外観は切妻形で、種車時代とあまり変化がないが、オヤ41形に冷風を送るためのダクトが妻面貫通扉上部に付いているのが特徴。また末期には、従来の固定窓からユニットサッシによる2段窓に改造された。車内は通路の両側に畳敷きの2段寝台3組、12人分が用意された寝室、事務室、折り畳みテーブルが窓際に備え付けられた食堂、調理室からなる。 3は小倉工場において改造した車両で、鳥栖のレールセンターで単独で使用された。こちらは種車の2段A寝台を4組、16人分残し、厨房と一体化した食堂やシャワー室が設置されている。 >新旧番号対照 オヤ17形 - 教習車 1974年 (1, 2)土崎、新津の両工場でオシ17形から改造された教習車。外観、室内は2両で異なっていた。 1は旧休憩室部分に出入口を追設し、旧厨房側の妻面に運転台用の3枚窓が設けられていた。室内は講習室、高圧機器室、シミュレータ運転台で構成されていた。 2の外観は種車時代とあまり変化がないが、室内は旧厨房側寄りからEF81形電気機関車のシミュレータ運転台を設置していた訓練室、講習室、信号取扱室、車掌室で構成されていた。 2両とも種車の冷房は撤去されていたが、室内に据置形クーラーを設置していた。車体塗色は1がぶどう色2号、2が青15号に黄1号の側帯を窓上と窓下に1本ずつ巻いていた。1987年に廃車となった。 >新旧番号対照 ナヤ11形 - 教習車 1976年 (1, 2, 3)郡山、新津の両工場でナハフ11形 (1, 2) とオロネ10形 (3) から改造された教習車であった。 1・2の2両は水戸に配置され、交直流電車の教習用車両として水戸鉄道学園で使用された。車端部には運転台のシミュレータが設置されたため、外観は大きく変化している。 3は広島区に配置され、電気機関車の教習用として使用された。外観は種車時代とあまり変化がない。また冷房機は撤去されている。 車体塗色は、3両ともに青15号に黄1号の側帯を窓上と窓下に1本ずつ巻いていた。1987年に廃車となった。 >新旧番号対照
※この「職用車」の解説は、「国鉄10系客車」の解説の一部です。
「職用車」を含む「国鉄10系客車」の記事については、「国鉄10系客車」の概要を参照ください。
- 職用車のページへのリンク