車体塗色
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80系の車体塗色は湘南色もしくは関西急電色で、塗色バリエーションが少ない一方で、70系は他形式と混結されたため、併結する先行形式に合わせ、新製時から多様な塗色が採用された。 横須賀線・中央東線ほか各路線 「スカ色(横須賀色)」と呼ばれるクリーム色と青色の塗分け(当初は青2号とクリーム2号)で、同線では1950年から32系や40系、42系などが順次この塗色に変更されていた。1963年以降は青15号とクリーム1号に変更している。中央東線ではモハ71001 - 71007が当初は従来車と混結して運用するためぶどう色2号であったが、後にモハ71形・クハ76形ともにスカ色となったほか、中央西線、両毛地区、長野地区、広島地区でもスカ色が採用された。 京阪神緩行線 51系の増備として投入されたこともあり、従来からのぶどう色2号一色で、クハ76形の外観から「茶坊主」とも呼ばれた[要出典]。また、後述の代用「急電」運用に投入された一部のモハ70形は、誤乗防止のため関西急電色となった。 阪和線 緑1号と肌色に近いクリーム3号のツートンカラーで「阪和色」と呼ばれた。当初の塗り分けは横須賀線向けとはやや異なり、幕板部分までクリーム色で、上部の緑色は雨樋の部分のみであったが、後に横須賀線と同じ塗り分け線に変更し、1967年以降にはスカ色に変更された。 新潟地区 1962年から長岡運転所(現・長岡車両センター)に転配された車両は当初はぶどう色2号1色であったが、新津工場で電車の修理を行うことになったことに伴い、雪の中での視認性等を考慮して赤2号と黄5号の「新潟色」と呼ばれる塗装を採用、1963年9月13日に新塗色の2両の試乗会が開催され、その後拡大していった。。 その他 仙石線で中間車として使用されたモハ70形は、他の51系・72系と同じウグイス色(黄緑6号)であった。 飯田線で流電編成の中間車として使用されたサハ75形は、当初湘南色となったが、1968年以降スカ色に戻った。 福塩線向け車両は、当初は置換え対象の51系などと同じ青20号の単色となる計画であった[要出典]が、廃車までスカ色のままであった。
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車体塗色
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原則として赤色、法令上の呼称では「朱色」である。地域によっては白色の帯などを張っている。日本において朱色となったのは、最初に輸入された英国製の蒸気ポンプ車が朱色でそれに統一したものと考えられている。ちなみにドイツは紫、米国は朱・白・黄・青など様々である。 蛍光色 名古屋市消防局、松本広域消防局(本部:長野県松本市)や福井市消防局、永平寺町消防本部が最近導入している蛍光朱赤色(スカーレット)がある。名古屋市の場合は市内の自動車の交通量が多く、車両同士の事故防止を目的とした事情などからこの塗色が採用されている。イタリアのイヴェコ社製の「マギルスはしご車」の一部でも蛍光色が導入されている。 黄色 関西国際空港には、黄色の空港用科学消防車(フランスのシデス社製)が配備されている。 市販車の赤色で導入された広報車(館林地区消防組合)
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