車体変更とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/26 00:20 UTC 版)
「小田原急行鉄道モニ1形電車」の記事における「車体変更とその後」の解説
1960年頃になると、荷物室が狭いことから学期末や学期始めの時期、また手小荷物の多い月曜日や木曜日には2両連結を余儀なくされ、時にはデニ1101形を増結した3両編成での運行になることもあった。また、車両自体も更新が必要な時期であった。荷物電車の更新にあたっては車体延長の要求があったが、当時1500形が車体更新で1900形に編入され、余剰となった車体2両分が東急車輛製造で保管されていたことから、これを活用して1960年秋よりデニ1000形の車体更新を行った。主な改造は以下の通り。 1001は車体をデハ1500形1501の車体に、1002はクハ1550形1551の車体にそれぞれ交換。車体長は1001が16690mm、1002は15910mm。 デハ1500形、クハ1550形であった際に片運転台に改造されていたものを両運転台に復元することとして、1001の小田原側、1002の新宿側に全室式の運転室、乗務員室扉を設置し、反対側の運転台も半室運転台であったものを全室式に改造。 車体中央にもともとの中央部の扉を拡幅した幅2000mmの両開き扉を設置し、この扉は戸袋窓を埋め、前記の乗務員室扉設置と合わせて窓扉配置をd1D(1)2D2D(1)dとした。 室内の小田原方に長さ4325mm(1001)、4233mm(1002)の郵便室を、新宿方に長さ9470mm(1001)、9143mm(1002)の荷物室を設置。荷重は両車とも郵便3.00tと荷物7.00tの合計10.00tとなり、荷物室は2倍以上の荷重に対応が可能となった。 台車の基礎ブレーキ装置を片押式から両抱式踏面ブレーキに改造し、台車形式がKS-30-Laとなった。 貨車の牽引を考慮して連結器の解放てこをデハ1500形、クハ1550形の下作用式から上作用式に変更。 単行での運行を考慮して基礎ブレーキ装置の中央引棒を強化。 正面窓上左右の標識灯を通過表示灯(白)と尾灯(赤)兼用のものに交換。 車体色は従来と変更なく、緑色をベースカラーにして、黄色の帯を車体裾に入れたものであった。 台車、主電動機、機器類はもとのデユニ1形のものを使用。改造前は一部車体内に搭載されていた機器類も改造後は床下に搭載した。また、1002は屋根上新宿方に集電装置を搭載。 1962年12月3日のダイヤ改正で早朝の新聞輸送列車が廃止となり、一方で従来旅客列車に混載されて荷物輸送を行っていた江ノ島線に荷物輸送列車が設定された。これは小田原線の2往復の荷物列車のうち朝の1往復の新宿 - 相模大野間に併結し、相模大野で分割併合する運用であった。このダイヤ改正における荷物列車の列車番号および運行区間は以下の通りで、このほか、デハ1200-1400形などを使用した夕刊用の新聞輸送列車が運転されていた。 8501:新宿5:42発 - 相模大野6:40発(江ノ島線の8521を分割) - 小田原7:50着 8521:相模大野6:49発 - 片瀬江ノ島7:35着 8502:小田原8:23発 - 相模大野9:29発(江ノ島線の8522を併結) - 新宿10:52着(10:57発 - 新宿駅貨物ホーム) 8503:(新宿駅貨物ホーム - 11:33着)新宿11:38発 - 小田原14:12着 8504:小田原14:44発 - 経堂16:38着 その後の改造等の履歴は以下の通り 1960-63年頃:1001は1960-63年の間に、1002も同時期に連結器の解放てこを上作用式から下作用式に再改造した。 1960年代半ば頃:屋根の改修を実施し、屋根中央に歩み板、その左右にガーランド式ベンチレーター各1列の配列から、屋根中央にガーランド式ベンチレーター2列、その左右に歩み板各1列の配列に変更。 1967-70年:1967-68年の間には1001の(竣工図表では1970年認可)、1970年には1002の台車をKS-30-Laから、1966-69年に廃車となったデハ1200・1400形が使用していたKS-31-Lに交換し、同様に駆動装置も交換して歯車比を従来の62:21=2.95からデハ1200・1400形の59:24=2.46に変更。 1970年:OM-ATSを搭載。 1971年:郵便輸送の廃止に伴い、郵便室を荷物室に改造し、形式・番号をデニ1000形1001・1002とした。この際の改造内容は以下の通り。郵便室内の区分棚等の設備、郵便室と荷物室間の仕切壁を撤去して全室を荷物室に変更。 上記に伴い、荷重は荷物10.00tに変更。 車体色を赤13号と同じローズレッド1色に変更。 1973年:9月1日時点での装備品は1001・1002とも台車はKS-31-L、主制御装置はHB、主電動機はHB車の主電動機を流用した4000形4001×3-4017×3の編成と同じMB-416AR、歯車比は59:24=2.46となっており、制動装置はAMM-Cであった。 1973-76年:1973年7月には1002に、その後1975-76年の間に1001に、車体の一般旅客車の青帯に相当する位置に白い帯が入った。 1974年:1001・1002に列車無線装置を搭載。 時期不明:1001の前照灯を2400形以降の通勤車両に装備されていた2灯式(常用1灯、予備1灯)のものに交換。 1976年:1001の機器類を、1975年に廃車となった2100形からの流用品に交換する改造が実施された。主な改造内容は以下の通り。台車をFS-14形台車に交換、これに併せて手ブレーキ装置を撤去、保安ブレーキ装置を新設。 主制御器をABF単位スイッチ式自動加速制御器を流用した、自動加速のNABに変更。 1982年:4月時点での1001の装備品は、台車がFS-14、主制御装置がNAB、主電動機がMB-416ARで歯車比は59:24=2.46、制動装置がAMM-Rであった。 この間の運行の変遷は以下の通り。 1970年:郵便物の輸送は9月30日をもって終了し、翌1971年に廃止された。 1972年:9月2日からは社内用品輸送も荷物電車で行うこととし、荷物列車、新聞列車と共に、運行時に車両正面に掲げられる運板が”配送”となった。 1984年:3月20日限りで、最終的には12駅で扱われていた荷物・小手荷物輸送は廃止され、さらに同年3月31日限りで配送列車も廃止となり、社用品輸送はトラックに切り替えられた。
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