朝倉希一とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 朝倉希一の意味・解説 

朝倉希一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/16 13:52 UTC 版)

朝倉 希一(あさくら きいち 1883年(明治16年)3月12日 - 1978年(昭和53年)4月20日)は、明治から昭和期の機械工学者、鉄道技術者。

略歴

1883年、東京府荏原郡馬込町に旧薩摩藩士で、東京府士族・朝倉本生の長男として生まれる[1]。父は維新後警視庁に入り、鍛治橋監獄(後の市谷刑務所)の副典獄[2]東京博善監査役[3]などを務めた。

1908年東京帝国大学機械科を卒業し、帝国鉄道庁に入庁。1910年、海外留学。1912年12月に帰国し、鉄道院運輸部工作課長 島安次郎の構想に基づき製造したのが9600形蒸気機関車であった。1919年ヨーロッパ出張。その後、朝倉が設計主任となってC51形蒸気機関車を設計した。1922年、工学博士を取得。1924年、鉄道省工作局車両課員。1933年、鉄道省工作局長就任。1936年、鉄道省を退官。1949年神奈川大学教授に就任。1957年十河信二日本国有鉄道(国鉄)総裁、島秀雄国鉄技師長と共に東海道幹線調査会委員に就任。日本機械学会会長、衛生工業協会会長、日本鉄道技術協会会長、日本ボイラ協会会長等を歴任。1978年4月20日死去。享年95。

家族

著書

晩年まで多くの鉄道技術に関する著書を執筆した。

  • 『技術随筆 汽車』
  • 『解説工業標準化』
  • 『機関車抵抗並牽引力』
  • 『金属の磨耗』
  • 『技術生活五十年』
  • 『工場実践道徳』
  • 『人生を考えよう』
  • 『鉄道車両(上、下)』
  • 『東京十五区物語』
  • 『よだれ物語百話』

出典

  1. ^ a b c d 朝倉希一『人事興信録』第8版、昭和3(1928)年
  2. ^ 警視庁史稿 下巻(巻之2−巻之15)
  3. ^ 銀行会社要録 : 附・役員録 第四版 206コマ
  4. ^ 人事興信録 第11版 上、1937年、朝倉希一の項
  5. ^ 明治日本における初期電気技術者の分析恒川 清爾、科学史研究42巻 (2003) 225 号


先代
竹村勘悟
日本機械学会会長
1931年 - 1932年
次代
加茂正雄
先代
関口八重吉
衛生工業協会会長
1934年 - 1935年
次代
茂庭忠次郎



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「朝倉希一」の関連用語

朝倉希一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



朝倉希一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの朝倉希一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS