馬込町_(東京府)とは? わかりやすく解説

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馬込町 (東京府)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/07 13:58 UTC 版)

まごめまち
馬込町
廃止日 1932年10月1日
廃止理由 編入合併
大森町入新井町池上町馬込町東調布町東京市
現在の自治体 大田区
廃止時点のデータ
日本
地方 関東地方
都道府県 東京府
荏原郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 4.13 km2
総人口 23,025
国勢調査、1930年10月1日)
隣接自治体 池上町、入新井町、大井町荏原町碑衾町
馬込町役場
所在地 東京府荏原郡馬込町字松原458番地
座標 北緯35度35分38秒 東経139度42分35秒 / 北緯35.59389度 東経139.70961度 / 35.59389; 139.70961座標: 北緯35度35分38秒 東経139度42分35秒 / 北緯35.59389度 東経139.70961度 / 35.59389; 139.70961
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馬込町(まごめまち)は、東京府荏原郡にかつて存在した町である。東京都大田区の北部に位置する。

沿革

地域

各項目内の箇条書きは、小字の一覧である。ふりがなは『馬込村誌』による。

東京市編入時に大森区馬込町東になった地域

東部逓信局編『東京府荏原郡馬込村』(1917)[7]によると、大字馬込となっている。一方、東京市役所編『大東京新区町名地番表』(1932)[8]によると、大字が設定されていない。

現在の町名:東馬込1・2丁目、南馬込1 - 6丁目、北馬込2丁目、中馬込2・3丁目、中央5丁目[9]

  • 小宿
  • 中井
  • 平張
  • 谷中
  • 久保 - 馬込小学校付近。
  • 北久保 - 現在横須賀線環七通りが交差する付近。
  • 松原
  • 堂寺
  • 霜田 - 現在の横須賀線霜田踏切付近。
  • 後谷 うしろや
  • 赤羽
  • 天沼

東京市編入時に大森区馬込町西になった地域

『東京府荏原郡馬込村』によると、平塚のみ大字池上、その他が大字馬込となっている。一方、『大東京新区町名地番表』によると、大字が設定されていない。

現在の町名:西馬込1・2丁目、南馬込4 - 6丁目、北馬込1・2丁目、中馬込1 - 3丁目、上池台4丁目[10]

  • 上䑓
  • 根古屋
  • 中田
  • 将監谷 しょうげんや
  • 道々女木 どどめぎ
  • 埋田
  • 塚越
  • 中丸
  • 大谷 おおやと
  • 大久保
  • 二本木 にほぎ
  • 宮下 - 長遠寺付近。
  • 和田
  • 入原 いりっぱら
  • 貝塚
  • 寺郷
  • 浅間丸
  • 山野
  • 平塚

東京市編入時に大森区北千束町・南千束町になった地域

『東京府荏原郡馬込村』によると、大字馬込となっている。一方、『大東京新区町名地番表』によると、大字北千束と大字南千束に分かれており、小字は設定されていない。

現在の町名:北千束1 - 3丁目、南千束1 - 3丁目[10]

  • 長原 - 洗足池の東側。
  • 石原
  • 八幡丸 - 洗足池の北側・西側。
  • 出穂山
  • 清水窪 - 大岡山駅付近。
  • 狢窪 - 現在の北千束駅付近。
  • 原丸

行政

村長

  • 加藤為太郎 - 初代村長。1889年7月1日就任。[11]
  • 平林重郎右衛門[12]
  • 岸田鈴太郎[12]

町長

  • 野村嘉七 - 1928年1月1日就任[13]

人口

江戸時代 - 明治初期

宗門人別帳に基づく人口推移は以下の通りであった。なお、町村制施行時に池上村から馬込村に編入した地区は含まない。1834年から1840年の人口減少について、『大田区史 中巻』459頁では、1836年の大凶作飢饉の影響だと推測している。

江戸時代 - 明治初期の人口推移[14]
人口 戸数
1834年(天保05年) 461人 91戸
1840年(天保11年) 439人 86戸
1845年(弘化02年) 455人 84戸
1850年(嘉永03年) 458人 85戸
1856年(安政03年) 470人 88戸
1861年(文久02年) 487人 88戸
1865年(慶応元年) 498人 90戸
1870年(明治03年) 564人 94戸

明治 - 昭和

関東大震災で被害が大きかった地域からの移住や、鉄道の発達により、人口が急増した[15][16]

明治 - 昭和の人口推移
人口 戸数 出典
1900年(明治33年) 2,208人 [17]
1905年(明治38年) 2,470人
1910年(明治43年) 2,365人
1915年(大正04年) 2,485人
1920年(大正09年) 2,725人 [18]458戸 国勢調査[19]
1925年(大正14年) 10,489人 2,368戸
1930年(昭和05年) 23,025人 4,985戸

産業

馬込村であった当時は農業が盛んであった。とくにキュウリ生産が盛んで[20]明治時代には馬込半白胡瓜という品種が作出され[21]地域の特産品になっていた。

施設

学校

  • 馬込尋常高等小学校 - 現大田区立馬込小学校[22][23]
  • 赤松尋常小学校 - 現大田区立赤松小学校[22][24]
  • 馬込第二尋常小学校 - 現大田区立馬込第二小学校[25][26]

交通

鉄道

目黒蒲田電鉄(現:東急電鉄

池上電気鉄道(現:東急電鉄池上線

そのほか、字平張・小宿などでは入新井町鉄道省京浜線(現:JR京浜東北線大森駅が最寄駅となる。

現在は都営地下鉄浅草線馬込駅西馬込駅が存在するが、馬込町が存在した当時は開業していなかった。

バス

  • 五反田乗合自動車
    • 五反田駅前 - 中延 - 馬込村 - 洗足池 - 丸子渡し:1923年4月開業、中延 - 丸子渡し間は1925年9月廃止[27]
    • 五反田駅 - 中延 - 馬込村 - 丸子多摩川:五反田 - 馬込間は1927年9月9日開通、馬込 - 丸子多摩川間は1928年5月19日延伸[28]
  • 城南乗合自動車(現:東急バス

道路

平安時代までにはすでに品川道が作られ、東京湾と武蔵国国府である府中を結ぶ街道になっていた[30][31]

現在は第二京浜国道国道1号)、環七通りが通過しているが、馬込町が存在した当時は開通していなかった。

脚注

  1. ^ 『大田区史 下巻』127,129-130頁。
  2. ^ 「村境界変更」『官報』1923年04月24日”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2025年2月18日閲覧。
  3. ^ 『荏原郡馬込町現状調査』5頁。
  4. ^ 荏原区史』荏原区役所、1943年7月5日、365-367頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1042115/1/203 
  5. ^ 「町村廃止市区域変更」「市ノ区設置」『官報』1932年05月28日”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2025年2月18日閲覧。
  6. ^ 東京都大田区役所 編『大田区史』1951年3月31日、191頁。NDLJP:3021827
  7. ^ 『地図でみる大田区(1)』86頁。
  8. ^ 『地図でみる大田区(1)』92頁。
  9. ^ 『地図でみる大田区(1)』140-141頁。
  10. ^ a b 『地図でみる大田区(1)』141頁。
  11. ^ 『大田区史 下巻』132頁。
  12. ^ a b 日本自治協会 編『市町村治績録』1929年6月25日、11頁。NDLJP:1268923
  13. ^ 『荏原郡馬込町現状調査』17頁。
  14. ^ 『大田区史 中巻』458頁。
  15. ^ 『荏原郡馬込町現状調査』7頁。
  16. ^ 『品川区史 通史編 下巻』東京都品川区、1974年8月25日、449頁。NDLJP:9641094 
  17. ^ 東京府史 行政篇 第一巻』東京府、1935年1月27日、102-103頁https://dl.ndl.go.jp/pid/1686820/1/86 
  18. ^ 世帯数及人員-市町村 01北海道〜19山梨県” (PDF). e-Stat. 大正9年国勢調査. p. 186. 2025年6月6日閲覧。
  19. ^ 『荏原郡馬込町現状調査』6頁。
  20. ^ 『荏原郡馬込町現状調査』23頁。
  21. ^ 馬込半白キュウリ(馬込半白節成キュウリ)|江戸東京野菜について”. JA東京中央会. 2025年2月17日閲覧。
  22. ^ a b 『荏原郡馬込町現状調査』14頁。
  23. ^ 沿革”. 馬込小学校. 大田区教育委員会 (2023年5月15日). 2025年6月30日閲覧。
  24. ^ 沿革”. 赤松小学校. 大田区教育委員会 (2018年9月21日). 2025年6月30日閲覧。
  25. ^ 『荏原郡馬込町現状調査』16頁。
  26. ^ 沿革”. 馬込第二小学校. 大田区教育委員会 (2025年3月7日). 2025年6月30日閲覧。
  27. ^ 東京市役所『東京市郊外に於ける交通機関の発達と人口の増加』1928年3月10日、166頁。NDLJP:1212764
  28. ^ 『大田区史 下巻』416頁。
  29. ^ 社会教育研究所 編『大東京年誌』1932年、1133頁。NDLJP:1688548
  30. ^ 「品川道 - 古を伝える道」『広報しながわ』1997号” (PDF). 品川区. p. 1 (2016年). 2025年2月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年6月14日閲覧。
  31. ^ 大田区史編さん委員会 編『大田区史(資料編)諸家文書5』東京都大田区、1995年1月31日、87頁。NDLJP:9644774 
  32. ^ 『自治団体之沿革』東京府勢一班115頁。

参考文献

  • 篠田皇民『自治団体之沿革』東京都民新聞社、1930年8月31日。NDLJP:1268915
  • 『荏原郡馬込町現状調査』東京市臨時市域擴張部、1931年11月。NDLJP:1900807
  • 鉄道省 編『鉄道停車場一覧』川口印刷所出版部、1935年3月27日。NDLJP:1212697
  • 『馬込村誌』1955年。
  • 大田区教育委員会社会教育部社会教育課 編『地図でみる大田区(1)』1988年3月31日。NDLJP:9644260
  • 大田区史編さん委員会 編『大田区史 中巻』東京都大田区、1992年3月31日。NDLJP:9644626 
  • 大田区史編さん委員会 編『大田区史 下巻』東京都大田区、1996年3月15日。NDLJP:9644818

関連項目




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