蒲田区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/09 06:21 UTC 版)
かまたく 蒲田区 |
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廃止日 | 1947年3月15日 |
廃止理由 | 特別区の設置 大森区、蒲田区 → 大田区 |
現在の自治体 | 大田区 |
廃止時点のデータ | |
国 | ![]() |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 東京都 |
面積 | 22.15km2 |
総人口 | 252,799人 (国勢調査、1940年10月1日) |
隣接自治体 | 【東京都】大森区 【神奈川県】川崎市 |
蒲田区役所 | |
所在地 | 東京都蒲田区本蒲田二丁目二六 |
ウィキプロジェクト |
蒲田区(かまたく、旧字体:蒲田區)は、東京府東京市(後に東京都)にかつて存在した区である。1932年(昭和7年)から1947年(昭和22年)までの期間(35区の時代)に存在した。現在の大田区南部。
地理
歴史
旧蒲田区に該当する区域は、1878年(明治11年)の郡区町村編制法施行の時点では、荏原郡に属し、蒲田新宿村(単に「新宿村」とも)、北蒲田村、御園村、女塚村(おんなづかむら、おなづかむら)、八幡塚村(はちまんづかむら)、高畑村、雑色村(ぞうしきむら)、町屋村、古川村、羽田村、羽田猟師町、鈴木新田、麹谷村(こうじやむら)、浜竹村、下袋村、萩中村、矢口村、古市場村、下丸子村、道塚村、蓮沼村、今泉村、原村、小林村、安方村の1町24村があった。このうち麹谷村、浜竹村、下袋村は1879年(明治12年)に合併して新たな麹谷村となり[3]、この区域の町村数は1町22村となった。
1889年(明治22年)の市制町村制施行に際し、これら1町22村は廃置分合され、荏原郡蒲田村、六郷村、羽田村、矢口村の4村に編成された。
羽田村は1907年(明治40年)、蒲田村は1922年(大正11年)、六郷村と矢口村は1928年(昭和3年)、それぞれ町制を施行し、羽田町、蒲田町、六郷町、矢口町となった[4]。
沿革
- 1932年(昭和7年)10月1日 - 荏原郡全域が東京市に編入[5]。羽田町、蒲田町、矢口町、六郷町 の区域に蒲田区を設置[5]。尚、1932年(昭和7年)4月26日に、東京市から東京府へと提出(内申)された市域拡張案では、蒲田町・池上町・東調布町・矢口町・六郷町で蒲田区、羽田町は大森区となる予定であった。
- 1934年(昭和9年)6月1日 - 大森区との境界を変更[6]。
- 1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制が施行され、東京市と東京府が廃止され、東京都を設置。
- 1947年(昭和22年)3月15日 - 大森区と合併して大田区を新設[7]。
行政
役所は舊蒲田町役場を使用する。市會議員は増員選擧も總選擧の場合も同じく定數二名で、區會議員は定員三十六名の豫定である。 — 1932年刊『市域拡張記念 大東京概観』より
歴代区長
代 | 氏名 | 就任年月 | 退任年月 | 備考 |
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1 | 戸室康吉 | 1932年(昭和7年)10月 | 1933年(昭和8年)11月 | 蒲田区発足 |
2 | 加藤守道 | 1933年(昭和8年)11月 | 1936年(昭和11年)10月 | |
3 | 三宅亀吉 | 1936年(昭和11年)10月 | 1938年(昭和13年)12月 | |
4 | 松倉恒次郎 | 1938年(昭和38年)12月 | 1940年(昭和15年)12月 | |
5 | 栗田敏 | 1940年(昭和15年)12月 | 1942年(昭和17年)9月 | |
6 | 増田武雄 | 1942年(昭和17年)9月 | ||
不詳 | 好士金之助 | 1946年時点 |
名所・施設
交通
鉄道
- 国鉄(現JR東日本)
- 東海道本線(京浜線(現京浜東北線)) : 蒲田駅
- 京浜電気鉄道(→東京急行電鉄(大東急)、現京浜急行電鉄)
- 目黒蒲田電鉄(→東京横浜電鉄→東京急行電鉄(大東急)、現東急電鉄)
- 池上電気鉄道(→目黒蒲田電鉄→東京横浜電鉄→東京急行電鉄(大東急)、現東急電鉄)
羽田整備場駅(現整備場駅)、旧・東京モノレールの羽田駅(廃駅)(東京モノレール羽田空港線)、新・羽田駅(現天空橋駅)(京急空港線、モノレール羽田空港線)は開業していなかった。なお、蒲田区域内に羽田空港第3ターミナル駅(京急空港線、モノレール羽田空港線)、新・京浜急行の羽田空港駅(現羽田空港第1・第2ターミナル駅)(京急空港線)および新整備場駅、東京モノレールの羽田空港駅(現羽田空港第1ターミナル駅)、羽田空港第2ターミナル駅(モノレール羽田空港線)が、そして蒲田区域周辺に昭和島駅(モノレール羽田空港線)があるが、蒲田区が存在していた頃は駅周辺の土地の埋め立てが完了していなかった[10]。
道路
脚注
- ^ 『昭和十六年 東京府統計書 第一編』統計表29頁。
- ^ a b 『市域拡張記念 大東京概観』516頁。
- ^ 東京市企画局都市計画課 編『東京市町名沿革史 下巻』1938年8月19日、297頁。NDLJP:1231157。
- ^ 東京都大田区史編さん委員会 編『大田区史年表』東京都大田区、1979年3月10日、432,445,452頁。NDLJP:12195114。
- ^ a b “「町村廃止市区域変更」「市ノ区設置」『官報』1932年05月28日”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2025年6月3日閲覧。
- ^ “「区境界変更」『官報』1934年5月18日”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2025年7月2日閲覧。
- ^ 東京都大田区役所 編『大田区史』1951年3月31日、191頁。NDLJP:3021827。
- ^ “歴代区長一覧” (PDF). 東京都. p. 19. 2025年7月9日閲覧。
- ^ 『市域拡張記念 大東京概観』513頁。
- ^ 社会教育部社会教育課文化財係 編『地図でみる大田区(1)』大田区教育委員会〈大田区の文化財〉、1988年3月31日、32-33頁。NDLJP:9644260。
参考文献
- 『昭和十六年 東京府統計書 第一編』東京府、1943年6月25日 。
- 『市域拡張記念 大東京概観』東京市役所、1932年10月1日 。
関連項目
- 東京都の廃止市町村一覧
- 大田区
- 梅ちゃん先生 - 戦中戦後の蒲田区が舞台
- 蒲田区のページへのリンク