大田区の前史と行政区画の移り変わり
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「大田区の町名」の記事における「大田区の前史と行政区画の移り変わり」の解説
1.品川町 2.大井村 3.大崎村 4.目黒村 5.碑衾村 6.平塚村 7.大森村 8.入新井村 9.調布村 10.池上村 11.馬込村 12.羽田村 13.蒲田村 14.六郷村 15.矢口村 16.駒沢村 17.世田ヶ谷村 18.玉川村 19.松沢村 (青:品川区 紫:目黒区 赤:大田区 橙:世田谷区) 東京都大田区は、昭和22年(1947年)3月15日、従前の大森区と蒲田区の区域をもって成立した。「大田」は大森と蒲田から1字ずつ取った合成地名である。以下、明治時代初期から大田区成立までの行政区画の変遷について略述する。 現在の大田区の区域は、かつては武蔵国荏原郡に属し、明治2年から4年(1869 - 1871年)までは品川県に属していた。荏原郡の区域は、現在の品川区・大田区・目黒区のほぼ全域と世田谷区の一部に相当する。 明治4年7月(1871年8月)、廃藩置県が実施された。同年11月(1872年1月)、従来の東京府、品川県、小菅県が廃止されて、新しい東京府が設置され、荏原郡の区域は東京府に属することとなった。同時に府内は6大区・97小区に分けられた(いわゆる大区小区制)。明治7年(1874年)3月、区割りが見直され、あらためて11大区・103小区が設置された。後に大田区となる区域は、このうちの第7大区第3・4・5小区に属していた。 その後、郡区町村編制法の施行に伴い、大区小区制は廃止され、明治11年(1878年)11月2日、東京府下に15区6郡(荏原、南豊島、北豊島、東多摩、南足立、南葛飾)が置かれた。後に大田区となる区域は、このうちの荏原郡に属していた。 明治22年(1889年)、市制・町村制が施行され、東京市(15区からなる)が成立、府下の6郡は、既存の町村が整理統合されて85町村となった。このうち荏原郡に属していたのは1町(品川町)18村であり、現在の大田区の区域に該当するのは大森村、入新井村、馬込村、池上村、調布村、蒲田村、矢口村、六郷村、羽田村の9村である。これら9村は明治30年(1897年)から昭和3年(1928年)の間に相次いで町制を施行し、大森町、入新井町、馬込町、池上町、東調布町、蒲田町、矢口町、六郷町、羽田町となった。 昭和7年(1932年)10月1日、東京市は周辺の5郡(荏原、北豊島、豊多摩、南足立、南葛飾)に属する82町村を編入し、いわゆる大東京市が成立した。なお、従前の6郡のうち、南豊島郡と東多摩郡が明治29年(1896年)に合併して豊多摩郡となっている。編入された82町村は20区に編成され、東京市は既存の15区と合わせ、35区から構成されることとなった。大田区の前身である大森区と蒲田区はこの時に成立したもので、大森町、入新井町、馬込町、池上町、東調布町の区域が大森区、蒲田町、矢口町、六郷町、羽田町の区域が蒲田区となった。 昭和18年(1943年)7月1日、東京府と東京市が廃止されて、新たに東京都が設置された。この時、大森区、蒲田区を含む35区は東京都直轄の区となった。昭和22年(1947年)3月15日、前述のとおり、これら2区の廃置分合により大田区が成立した。
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