大田区の前史と行政区画の移り変わりとは? わかりやすく解説

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大田区の前史と行政区画の移り変わり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 05:02 UTC 版)

大田区の町名」の記事における「大田区の前史と行政区画の移り変わり」の解説

1.品川町 2.大井村 3.大崎村 4.目黒村 5.碑衾村 6.平塚村 7.大森村 8.入新井村 9.調布村 10.池上村 11.馬込村 12.羽田村 13.蒲田村 14.六郷村 15.矢口村 16.駒沢村 17.世田ヶ谷村 18.玉川村 19.松沢村 (青:品川区 紫:目黒区 赤:大田区 世田谷区東京都大田区は、昭和22年1947年3月15日従前大森区蒲田区区域をもって成立した。「大田」は大森蒲田から1字ずつ取った合成地名である。以下、明治時代初期から大田区成立までの行政区画変遷について略述する。 現在の大田区区域は、かつては武蔵国荏原郡属し明治2年から4年(1869 - 1871年)までは品川県属していた。荏原郡区域は、現在の品川区大田区目黒区のほぼ全域世田谷区一部相当する明治4年7月1871年8月)、廃藩置県実施された。同年11月1872年1月)、従来東京府品川県小菅県廃止されて、新し東京府設置され荏原郡区域東京府属することとなった同時に府内は6大区97小区分けられた(いわゆる大区小区制)。明治7年1874年3月区割り見直されあらため11大区103小区設置された。後に大田区となる区域は、このうちの第7大区第34・5小区属していた。 その後郡区町村編制法施行に伴い大区小区制廃止され明治11年1878年11月2日東京府下に15区6郡(荏原南豊島、北豊島、東多摩南足立、南葛飾)が置かれた。後に大田区となる区域は、このうち荏原郡属していた。 明治22年1889年)、市制・町村制施行され東京市15区からなる)が成立府下の6郡は既存町村整理統合され85町村となったこのうち荏原郡属していたのは1町(品川町18であり、現在の大田区区域該当するのは大森村入新井村馬込村池上村調布村蒲田村矢口村六郷村羽田村の9である。これら9明治30年1897年)から昭和3年1928年)の間に相次いで町制施行し大森町入新井町馬込町池上町東調布町蒲田町矢口町六郷町羽田町となった昭和7年1932年10月1日東京市周辺の5郡(荏原、北豊島豊多摩南足立、南葛飾)に属す82町村編入しいわゆる大東京市が成立した。なお、従前の6郡のうち、南豊島郡東多摩郡明治29年1896年)に合併して豊多摩郡となっている。編入され82町村20区編成され東京市既存15区合わせ35区から構成されることとなった大田区前身である大森区蒲田区はこの時に成立したもので、大森町入新井町馬込町池上町東調布町区域大森区蒲田町矢口町六郷町羽田町区域蒲田区となった昭和18年1943年7月1日東京府東京市廃止されて、新たに東京都設置された。この時、大森区蒲田区を含む35区は東京都直轄の区となった昭和22年1947年3月15日前述のとおり、これら2区廃置分合により大田区成立した

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