行政組織の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/06 08:37 UTC 版)
「雪ヶ谷」は明治初年には東京府荏原郡雪ヶ谷村であった。しかし、この頃の村はいかにも規模が小さく、行政単位として不十分だったので、明治18年には、道々橋村、雪ヶ谷村、池上村の3村が戸長役場組合を作って協同する動きがあった。 1888年(明治21年)に新しい市町村制が公布、実施された。そこで翌1889年(明治22年)に10ヶ村が合併し、新池上村が誕生した。 その時の合併に参加したのは何れも荏原郡の、下池上村、桐ヶ谷村、久ヶ原村、徳持村、堤方村、市野原村、池上村、雪ヶ谷村、石川村、道々橋村の10ヶ村である。 合併後も構成各村は大字としてその名を残し、雪ヶ谷村は荏原郡池上村大字雪ヶ谷となった。 1926年(大正15年)に池上村は町制を施行して池上町になった。その結果、雪ヶ谷は荏原郡池上町大字雪ヶ谷となった。 1932年(昭和7年)に荏原郡は東京市に編入され、池上町は馬込町、東調布町、入新井町、大森町と一緒になって大森区を形成した。そして雪ヶ谷は東京市大森区雪ヶ谷町になった。 1943年(昭和18年)に東京市は東京府と合体して東京都になった。 1947年(昭和22年)に大森区は蒲田区と合併して大田区を作った。そこで雪ヶ谷は東京都大田区雪ヶ谷町となった。 1960年(昭和35年)に住居表示が実施され、その際に次のように町の境界整理と分割とがなされて、現在に至っている。北は中原街道が境界となり、西部では調布大塚町の街道以南が雪ヶ谷町に取り込まれ、東部では雪ヶ谷町の街道以北が石川町に編入された。 南は東海道新幹線・横須賀線が境界となり、道々橋近辺で町域の出入りがあった。 東は洗足池駅の近傍で雪ヶ谷側へ湾入していた境界を洗足池から流れ出る水路に沿うように改めた。その結果、北池上町地内だった洗足池駅と東電洗足変電所が雪ヶ谷町地内に入った。 その上で雪ヶ谷町は呑川を境に2分され、南雪谷一丁目 - 五丁目と東雪谷一丁目 - 五丁目とになった。
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