病客車
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病客車(びょうきゃくしゃ)とは、傷病患者輸送用の鉄道客車である。日本では日中戦争勃発により大量増備され、傷病兵輸送用に運用されるようになった。
- ^ Marble, Sanders; Barr, Justin (2023-06-23). “Ambulance Trains—From the Crimean War to Ukraine” (英語). JAMA Network Open 6 (6): e2319687. doi:10.1001/jamanetworkopen.2023.19687. ISSN 2574-3805 .
- ^ 1883年(明治16年)日本鉄道は「病者乗車の節枕等を要せざるを得ざる者は上等車半室を買い切り」『読売新聞』1883年12月21日(ヨミダス歴史館)
- ^ 1908年(明治41年)鉄道庁は病人輸送に対する規則をさだめ「寝台釣台若くは駕籠等に載せる病人を手荷物車を以って輸送すること」とした「病人輸送賃金」『読売新聞』1908年10月4日(ヨミダス歴史館)
- ^ 『日本国有鉄道百年史』第3巻、563頁
- ^ 日本鉄道株式会社年報 明治38年(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「病人専用客車が出来た」『東京朝日新聞』1914年5月6日(聞蔵2ビジュアル)
- ^ 鉄道院にては従来疾病患者の輸送に適当なる車両なく、往々一等車若しくは二等車の一室を貸切りとして病人輸送をなし来たりたるが今回三十二人乗二等客車(四輪車)を改造し、病人輸送車を新製したるが、同車両は雙方の側面に約四尺の入口を設け担架のまま病人の出入りに便し、一方には日本畳三畳を敷きて以って病室に充て、一方には医師並びに看護婦、付添人等の四五人乗りの腰掛を設け一端には便所、洗面所等の装備をなしたる「病人輸送客車」『婦人衛生雑誌』NO.296、1914年7月
- ^ 客車を貸切にするか、三等病客車または代用車を使用することと定められている。(旅客及荷物運送取扱細則第154条)
- ^ 『倶会一処』には癩患者輸送の使用例が掲載されている。所用車は「ハヘ」1両とし着駅まで直通使用するものとす。大正15年5月21日付名古屋鉄道局「局報(乙)第56号」癩患者輸送の件
- ^ (旅客及荷物運送取扱細則第157条)
- ^ 暗殺された原敬の遺体の故郷盛岡への搬送や二高ボート部の遭難者の遺体の東京への搬送に使用されたという。瀬古龍雄「東北の古典ボギー客車について」『復刻RomanceCar』No.21.22合併号、アテネ書房、1983年
- ^ 「特殊客車の貸切」『鉄道物語』極東書院、1920年(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 例:スヘ30、スヘフ30(傷病兵用病客車、同緩急車)、スヘセ30(傷病兵用保護室付病客車)
- ^ 「日本の客車90年略史」『写真で見る客車の90年 日本の客車』、5頁
- ^ 「質問に答える」『鉄道ピクトリアル』No.50 1955年9月号、44頁 (再掲『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション16 国鉄の客車 1950-60』140頁)
- ^ 鈴木啓之「霊柩輸送用一等車イ114についての覚書」『鉄道史料』No.115 2007年、11-12、34頁
- ^ 鈴木啓之「霊柩輸送用一等車イ114についての覚書」『鉄道史料』No.115 2007年、7-8、34頁
- ^ 瀬古龍雄「木製客車メモランダム」『鉄道ピクトリアル』No.366 1979年10月号 事業車時代の昭和30年の写真には屋根に油灯入れが残されているのが確認できる。
- ^ 瀬古龍雄「木製客車メモランダム」『鉄道ピクトリアル』No.369 1979年12月号 ハホロヘセ6550と表記され、列車デパートとなっている写真が掲載されている
- ^ a b 小熊米雄「客車を尋ねて」『鉄道ピクトリアル』No.116 1961年3月号
- ^ 小熊米雄「客車を尋ねて」『鉄道ピクトリアル』No.125 1961年12月号
- ^ 瀬古龍雄「木製客車メモランダム」『鉄道ピクトリアル』No.364.365 1979年8.9月号
- ^ 瀬古龍雄「木製客車メモランダム」『鉄道ピクトリアル』No.371 1980年1月号
- ^ 『写真で見る客車の90年 日本の客車』、51頁
- ^ 『写真で見る客車の90年 日本の客車』、66頁にナロヘフ21280の外観と内部写真が掲載
- ^ 『写真で見る客車の90年 日本の客車』、74頁にスヘ28811の外観と畳敷きの内部写真が掲載
- ^ 宮松丈夫「草軽電鉄を訪ねて」『鉄道ピクトリアル』No.108 1960年7月号
- ^ 『草津電気鉄道』プレスアイゼンバーン、1981年、138頁
- ^ 1932年(昭和7年)草津町に国立療養所栗生楽泉園が開園する
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