大形客車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 03:52 UTC 版)
1918年の第一次世界大戦の終結後、鉄道省は旅客輸送力増強のために制式客車の大形化を企画した。まず、1919年に試作車を製造、これらを試運転後に実際の運用に投入して評価試験を行い、翌1920年には「大形客車車両限界」を制定、実際の車両運用に必要となる法規上の条件整備が実施された。 最大幅2,900 mm、車体幅2,800 mmの大断面を採用し、天井も最大高が拡大されたこれらの客車は、大形基本形客車と呼ばれ、この系列は最終的に1927年のオハ31系客車への切り替えに伴う製造打ち切りまで大量生産され、第二次世界大戦後の鋼体化実施まで使用された。 なお連結器は、当初から緩衝器(バッファ)を併用するねじ式連結器を使用していたが、1925年(大正14年)7月に他の車両とともに一斉に自動連結器に交換された。これに伴い車端衝撃や車体重量を台枠中バリが集中して負担する(木製車ではここしか負荷をかけられる部位がない)ことから、トラスロッド式から魚腹形中バリを用いた台枠が1926年度からの新製車に用いられた。 以上の時期の客車は1928年の称号規程の改正では、大形に区分され20000 - 29999の番号が付されることになった。 詳細は「国鉄22000系客車」を参照 詳細は「国鉄28400系客車」を参照
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