バリとは? わかりやすく解説

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bury

別表記:バリ

「bury」の意味

「bury」とは、何かを地中に埋める、隠す、または覆うという意味である。主に死体や遺体を地中に埋めることを指すが、比喩的には秘密や感情などを隠すことも表す。また、他のものに圧倒的な勝利を収めることを意味する場合もある。

「bury」の発音・読み方

「bury」の発音は、IPA表記では /ˈbɛri/ であり、IPAのカタカナ読みでは「ベリ」となる。日本人が発音するカタカナ英語では「バリ」と読むことが一般的である。発音によって意味や品詞が変わる単語ではない。

「bury」の定義を英語で解説

英語での「bury」の定義は次のようになる。"To put a dead body into the ground, or to hide something in the ground"(死体を地中に埋める、または何かを地中に隠すこと)。また、"To cover something completely so that it cannot be seen"(何かを完全に覆って見えなくすること)とも定義される。

「bury」の類語

「bury」に類似した意味を持つ単語には、"inter"(埋葬する)、"entomb"(墓に納める)、"conceal"(隠す)、"hide"(隠す)などがある。これらの単語は、それぞれニュアンスや用途が異なるため、文脈に応じて適切な単語を選ぶことが重要である。

「bury」に関連する用語・表現

「bury」に関連する用語や表現には、"burial"(埋葬)、"grave"(墓)、"tomb"(墓)、"funeral"(葬式)、"cemetery"(墓地)などがある。これらの単語は、死や埋葬に関連する場面で使用されることが多い。

「bury」の例文

1. They decided to bury their dog in the backyard.(彼らは裏庭に犬を埋めることに決めた。) 2. The treasure was buried deep in the ground.(宝物は地中深く埋められていた。) 3. She buried her face in her hands and cried.(彼女は顔を両手で覆って泣いた。) 4. He tried to bury his past and start a new life.(彼は過去を埋めて新しい人生を始めようとした。) 5. The snowstorm buried the entire town under a thick layer of snow.(吹雪が町全体を厚い雪の層で覆った。) 6. The company buried the scandal to protect its reputation.(その企業は評判を守るためにスキャンダルを隠した。) 7. The archaeologists discovered a buried city beneath the sand.(考古学者たちは砂の下に埋もれた都市を発見した。) 8. The government decided to bury the nuclear waste deep underground.(政府は核廃棄物を地下深く埋めることを決定した。) 9. The team buried their opponents with a 10-point lead.(そのチームは10点リードで相手を圧倒した。) 10. Many ancient civilizations practiced burial rituals to honor the dead.(多くの古代文明では、死者を敬うために埋葬の儀式が行われていた。)

ばり

金属やプラスチックの加工過程で、製品の縁(へり)などにはみ出したりしてできる余分な部分。「プラモデルの―」「鋳(い)―」


バリ【Bari】

読み方:ばり

イタリア南東部、アドリア海に臨む港湾都市。果樹栽培や金属・機械などの工業が盛ん。かつて十字軍の船出港で、東方貿易により発展。聖ニコラス教会など古い建築物がある。


ばり【▽尿】

読み方:ばり

《「ゆばり」「いばり」の音変化》小便。

「蚤(のみ)虱(しらみ)馬の―する枕もと」〈奥の細道〉


ばり【張り】

読み方:ばり

[接尾]

1 人数を表す語の下に付いて、その人数によって弓の弦が張られるという意を表す。多い人数で張る弓ほど強い弓ということになる。「十人―の弓」

2 名詞や人名を表す語の下に付いて、それに似ている、または、それに似せているという意を表す。「西鶴―の文」「左翼―の主張」


ば‐り【罵×詈】

読み方:ばり

[名](スル)口汚くののしること。また、その言葉。ののしり。「口を極めて人を―する」


バリ

※「大車林」の内容は、発行日である2004年時点の情報となっております。

バリ

広義な使われ方をする言葉であるが、金属等の切断時、切口に残るギザギザの突起物もバリの一種。

バ リ

・菓子のヘタ(袴)、余分な部分。

バリ

名前 Bari; Barry; Barrie; Bali; Balit; Bary; Barye; Valli

バリ島

(バリ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/09/29 00:18 UTC 版)

バリ島
主要地域の位置関係
所在地 インドネシアの旗 インドネシア
所在海域 小スンダ列島
座標 南緯8度22分9秒 東経115度8分18秒 / 南緯8.36917度 東経115.13833度 / -8.36917; 115.13833 (バリ島)座標: 南緯8度22分9秒 東経115度8分18秒 / 南緯8.36917度 東経115.13833度 / -8.36917; 115.13833 (バリ島)
面積 5,632.86 km2
海岸線長 - km
最高標高 3,142 m
人口 4,317,404人(2020年)
最大都市 デンパサール
 プロジェクト 地形
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インドネシアにおけるバリ島の位置
パゴダのような形状をしたメル塔は、ウルン・ダヌ・ブラタン寺院およびバリ島の寺院を象徴する独特の特徴である。

バリ島(バリとう、バリ語:ᬩᬮᬶ、インドネシア語: Pulau Bali)は、東南アジアのインドネシア共和国バリ州に属する島である。首都ジャカルタがあるジャワ島のすぐ東側に位置し、周辺の諸島とともに第一級地方自治体(Provinsi)であるバリ州を構成する。州都のデンパサール[1]は小スンダ列島最大の都市であり、大デンパサール地域にある高原都市ウブドは、バリの文化的中心地とみなされている。

バリ島では毎年インドネシア国際映画祭が開催されるほか、ミス・ワールド2013、2018年の国際通貨基金・世界銀行グループ年次総会、2022年のG20バリ・サミットなどの国際行事も開催されてきた。

2017年3月、旅行サイト「Tripadvisor」はトラベラーズ・チョイス・アワードにおいてバリを世界最高の旅行先に選出した[2]。さらに2021年[3]および2026年にも同賞を受賞した[4][5][6]。

バリはコーラル・トライアングルの一部であり、魚類やウミガメを中心とする海洋生物の多様性が極めて高い地域に属している[7]。この地域だけで500種以上の造礁サンゴが確認されており、その数はカリブ海全域に生息する種数の約7倍に相当する[8]。

バリには、ユネスコの世界遺産に登録されているスバック(インドネシア語: Subak)灌漑制度が存在する[9]。

また、バリには10の伝統的な王家から構成される統一王侯連合が存在する。各王家はそれぞれ特定の地理的地域を統治しており、この連合体はバリ王国の後継組織とされる。これらの王家はオランダ領東インド時代以前に起源を有するが、現在のインドネシア政府からは公式な地位を認められていない[10]。

地理

バリ島のランドサット衛星写真

位置

バリ島は、インドネシア南部の小スンダ列島西端に位置する島である。西はバリ海峡を挟んでジャワ島、東はロンボク海峡を挟んでロンボク島と接する。バリ海峡の最狭部は約3 kmであり、ジャワ島とバリ島は比較的近接している。ロンボク島との間には、生物地理学上の境界であるウォレス線が通る。

島の周辺にはバリ海、バリ海峡、ロンボク海峡、インド洋が広がっており、バリ島はジャワ島と小スンダ列島東部を結ぶ位置にある。こうした地理的位置は、海上交通や周辺地域との交流において重要な意味を持ってきた。

地形

アグン山(左)とバトゥール山(右のカルデラ内)
バリ島北側からの鳥瞰

バリ島の面積は約5,600 km²である。島の中央部から東部にかけては火山地形が発達しており、アグン山、バトゥール山、バトゥカウ山などの火山が分布する。アグン山は標高3,142 mでバリ島の最高峰であり、バリ・ヒンドゥーにおいても重要な山とされている。[11]

火山活動によって形成された山地にはカルデラや火口湖が発達しており、バトゥール湖はその代表例である。キンタマーニ高原周辺では、バトゥール山とバトゥール湖を含む火山景観がみられる。また、島内には多数の河川があり、山地から南北の海岸に向かって流下している。

火山活動によって形成された地形と火山灰を含む土壌は、バリ島の農業環境を形作る重要な要素となっている。特に南部から中部にかけては河川と灌漑施設を利用した水田が広がり、山地の斜面では棚田が形成されている。[12]

バリ島の農業景観では、河川や湧水などから取水した水を水路によって水田へ配分するスバック(subak)が重要な役割を果たしてきた。スバックは単なる灌漑施設ではなく、農民による水の共同管理と水利寺院における宗教的活動が結びついた社会的・宗教的制度である。バリ州の文化的景観のうち、スバックによって形成された棚田、水利施設、水利寺院などは、2012年に「バリ州の文化的景観」として世界遺産に登録された。[12]

島の地形は地域によって大きく異なる。南部には比較的広い平野と人口・都市機能が集中する地域がある一方、中央部から東部にかけては火山山地が広がる。西部には森林を含む丘陵地や山地が多く、北部では山地が海岸近くまで迫る地域もある。海岸部には砂浜、岩礁、サンゴ礁など多様な地形・海岸環境がみられる。

気候

デンパサールの雨温図[注釈 1]

バリ島は熱帯に位置し、年間を通じて気温の季節変化は比較的小さい。一方、降水量には季節変化があり、一般に雨季と乾季がみられる。モンスーンの影響を受け、インドネシアの多くの地域と同様に、乾季には南東季節風、雨季には北西季節風の影響を受ける。[14]

ただし、島内の降水量や乾湿の程度は一様ではない。山地では地形の影響によって降水量が多くなる一方、北部や東部の一部では比較的乾燥した地域がみられる。バリ州は気候学上複数の気候区分に分けられており、季節の開始時期や降水量には地域差がある。[15]

バリ島の乾季・雨季の時期は年によって変動するため、4月から9月を乾季、10月から3月を雨季といった固定的な区分だけで表すことはできない。2026年については、気象気候地球物理庁(BMKG)が、バリを含むインドネシア南部の多くの地域で乾季が早く始まり、8月を中心に乾季のピークとなると予測していた。[16]

生態

バリ島の生物相は、東南アジアの島嶼部に特徴的な動植物を含む一方、東側のロンボク島との間を通るウォレス線を境に、動物相には大きな地理的差異がみられる。バリ島はアジア側の生物地理区に属し、ロンボク島など小スンダ列島東部とは動物相の構成が異なる。

島内には森林、山地、河川、湖沼、農地、海岸、サンゴ礁など多様な生態系が存在する。特に西部には西バリ国立公園があり、陸域と海域を含む森林・サバンナ・マングローブなどの自然環境が保全されている。[17]

カンムリシロムク

バリ島を代表する固有・希少な鳥類としてカンムリシロムク(jalak Bali)が知られている。カンムリシロムクはバリ島西部を原産地とする鳥類で、野生個体数の減少を受けて保全活動が行われている。西バリ国立公園は、その主要な保護地域の一つである。[18]

海岸・海域にはサンゴ礁などの海洋生態系も発達しており、東部・北西部の沿岸やムンジャンガン島周辺などでは海洋保全と観光利用が行われている。森林や海洋環境のほか、農地もバリ島の景観と生態系を構成する重要な要素であり、棚田と水路、森林、水源、寺院などが相互に結びついた文化的景観が形成されている。[12]

植生にはヤシ類、竹、プルメリアなど熱帯地域にみられる植物が含まれ、農村部ではココヤシ、コーヒーノキ、果樹類などの栽培も行われている。竹は建築材料や工芸品などにも利用されるなど、バリ島の生活・文化と深く関係している。

一方、自然環境は土地利用の変化や観光開発などの影響を受けている。特に世界遺産の文化的景観では、観光客の増加や開発による水田の転用、棚田景観の分断などが課題として指摘されており、自然環境だけでなく、農業・水利・宗教が一体となった景観の保全が求められている。[19]

歴史

古代

バリ島では、紀元前後からインドや中国との交易・交流が行われていたと考えられている。8世紀ごろには仏教に関する粘土製の碑文が残されており、ヒンドゥー教や仏教などインド系宗教文化の受容が進んでいたことが知られている[20]。

9世紀から10世紀にかけては、バリ島の王権に関する碑文が現れる。914年のブラニョン碑文(インドネシア語版)(Prasasti Blanjong)にはスリ・クサリ・ワルマデワ(インドネシア語版)(Sri Kesari Warmadewa)の名が記されており、この時期までにバリ島に独自の王権が成立していたことが確認できる。ワルマデワ家(インドネシア語版)については、後世の系譜上の位置づけを含めて議論があるため、「ワルマデワ王朝」が913年ごろに成立したと単純に断定することには慎重さが必要である[21][22]

11世紀以降、バリ島の王権はジャワ島東部の諸王朝との婚姻・政治関係を深めた。バリ王ウダヤナ・ワルマデワ(インドネシア語版)(Udayana Warmadewa)はジャワの王族と婚姻関係を結び、その子アイルランガ(インドネシア語版)(Airlangga)はのちに東ジャワの王となった。12世紀にもジャワとバリの王族の間には継続的な関係がみられる[23]。

ジャワの影響

ブサキ寺院
ウルワツ寺院

13世紀後半になると、シンガサリ王国のクルタナガラ 王(Kertanegara)がバリ島に軍事遠征を行い、1284年にはバリ島を征服したと『ナーガラクレタガマ』に記されている。ただし、当時のバリ島がジャワ側の直接統治下にどの程度組み込まれたかについては、史料上の制約がある[24]。

14世紀にはマジャパヒト王国の勢力がバリ島に及んだ。1343年、ガジャ・マダ(Gajah Mada)率いるマジャパヒト軍がバリ島を征服し、その後、ジャワから派遣されたクレスナ・クパキサン(インドネシア語版)(Kresna Kepakisan)を祖とする王統がバリ島の政治秩序に組み込まれた。これ以降、ジャワの政治制度や宗教文化、文学などがバリ島に大きな影響を与えるようになった[23]。

16世紀にマジャパヒト王国が衰退すると、バリ島ではゲルゲル王国 (Kerajaan Gelgel)が勢力を拡大した。ゲルゲル王国の時代には、ジャワからバリ島へ移住した宗教者や貴族の影響が強まり、バリ・ヒンドゥー教の宗教儀礼や寺院文化、宮廷文化の形成が進んだ。宗教家ダン・ヒャン・ニラルタ(インドネシア語版)(Dang Hyang Nirartha)もこの時期に活動した人物として伝えられている[23]。

王国時代

17世紀以降、ゲルゲル王国 の勢力が衰えると、バリ島では複数の王国が並立するようになった。19世紀には、クルンクン王国 を名目上の中心としながら、タバナン王国(インドネシア語版)、バドゥン王国 、ギアニャール王国(インドネシア語版)、カランガスム王国 、バンリ王国(インドネシア語版)、ムンウィ王国(インドネシア語版)などが存在した[23]。

各王国は相互に抗争や同盟を繰り返しながら、それぞれの宮廷を中心に舞踊、ガムラン、絵画、建築、宗教儀礼などを発展させた。人類学者クリフォード・ギアツ(Clifford Geertz)は、こうした王国の政治秩序について、王権と儀礼、芸術活動が密接に結びついていたことを論じ、「劇場国家」(theatre state)という概念を用いて分析した[25]。

オランダ統治

1597年、オランダの商船がバリ島を訪れたことが、ヨーロッパ人によるバリ島訪問の初期の記録として知られている。その後、オランダ東インド会社(VOC)や後のオランダ領東インド政府は、バリ島の諸王国との通商・外交関係を強めていった[23]。

19世紀になると、オランダはバリ島の諸王国に対する政治的・軍事的介入を強めた。1846年以降、オランダ軍は北部のブレレン王国をはじめとする諸勢力に対して軍事遠征を行い、19世紀後半にはバリ島南部への介入も強めていった[23]。

1906年、オランダ軍はバドゥン王国に対する軍事遠征を開始した。デンパサールの王宮に達したオランダ軍に対し、王族や家臣らは武装した集団で進み、王を含む多数の人々が死亡した。この出来事はププタン(puputan)と呼ばれ、オランダによる軍事征服に対するバリ側の抵抗の象徴となった[23][26]。

1908年にはオランダ軍がクルンクン王国を攻撃し、同王国でもププタンが発生した。これによってバリ島の主要な王国はオランダ領東インドの植民地統治下に置かれ、独立した王国としての政治的権力を失った[23]。

オランダ植民地時代

オランダによる征服後、バリ島はオランダ領東インドの一部として統治された。王族の地位を一定程度残しながら植民地行政に組み込む統治が行われ、バリ島の社会構造も植民地統治の影響を受けて再編された[27] 。

一方、オランダ当局はバリ島の宗教、芸術、儀礼、建築などを「伝統的なバリ文化」として保存・管理する政策も進めた。こうした政策は、植民地支配の一環としてバリ文化を分類・制度化する側面を持っていた。また、欧米の研究者や芸術家によるバリ島の表象とも結びつき、20世紀前半には「楽園」としてのバリ島のイメージが形成されていった[23]。

ガムラン
芸術の村ウブド

1930年代には欧米の芸術家、作家、研究者らがバリ島に滞在し、バリの絵画、音楽、舞踊などを欧米に紹介した。チャールズ・チャップリンも1932年にバリ島を訪れている。この時期の文化交流は一方的な欧米からの影響ではなく、バリの王族や芸術家、知識人と欧米人との相互交流を通じて展開した[28][23]。

この過程で形成された「伝統的なバリ文化」のイメージには、バリ島内部の宗教・社会的伝統だけでなく、植民地統治や欧米人による芸術・人類学的な表象も影響を及ぼした。したがって、20世紀のバリ文化を理解する際には、植民地化以前から存在した文化と、植民地期に再編・表象された文化を区別する必要がある[23]。

日本軍政

1942年、太平洋戦争の拡大に伴い、日本軍はバリ島を占領した。バリ島では日本軍による軍政が開始され、行政、物資、労働力などが統制された。占領初期には日本軍をオランダ植民地支配からの解放者として歓迎する動きもみられたが、その後、戦争の長期化に伴って物資や労働力の徴発が強化され、住民の生活は困窮した[23]。

バリ島では、戦前から島内で事業を営んでいた日本人の三浦襄が日本軍政下で民政部顧問を務め、軍当局とバリ社会との仲介役を担った。三浦は1945年の日本敗戦後、インドネシア独立運動への対応をめぐって自決したとされるが、その動機については資料に基づく慎重な記述が必要である[29]。

1944年以降には、ジャワ島などとも連携した反日本軍運動がみられるようになった。日本軍政期に形成された青年組織や軍事訓練の経験は、1945年の独立宣言後の武装闘争にもつながった[23]。

インドネシア独立

1945年8月17日、インドネシア独立宣言が行われると、バリ島でもインドネシア共和国への支持が広がった。しかし、オランダはインドネシアの独立を認めず、インドネシア独立戦争の過程で再びバリ島への軍事的介入を行った。

グスティ・ングラ・ライ

バリ島ではグスティ・ングラ・ライ(I Gusti Ngurah Rai)が率いる共和国軍部隊がオランダ軍と戦った。1946年11月20日、ングラ・ライ率いる部隊はタバナン県マルガでオランダ軍と交戦し、包囲された末に全滅した。この戦闘はマルガラナの戦い(インドネシア語版)として知られている[30]。

ングラ・ライはインドネシア共和国の国民的英雄として顕彰されており、バリ島の主要空港であるングラ・ライ国際空港(インドネシア語: Bandar Udara Internasional I Gusti Ngurah Rai)もその名に由来する。

スハルト時代

9月30日事件とその後の政治的混乱は、バリ島にも大きな影響を及ぼした。1965年末から1966年初頭にかけて、インドネシア共産党(PKI)やその支持者とみなされた人々を中心に大量殺害が発生し、バリ島でも多数の犠牲者が出た。

バリ島の犠牲者数について正確な統計は存在せず、研究者によって推計が異なる。8万人から10万人程度とする研究がある一方、別の研究では8万人前後とする推計も示されている。いずれにしても、当時のバリ島人口に対して非常に大きな割合を占める犠牲者が生じたとされる[31][32][33]。

1966年以降、スハルトが大統領となり、スハルト政権による新秩序体制が成立した。バリ島では政治的安定が強調される一方、1965年から1966年の大量殺害については長く公的な議論が制限された。スハルト退陣後には、事件の記憶や責任をめぐる議論が再び行われるようになった。

スハルト政権下では、バリ島の観光開発が本格化した。1960年代には外国人観光客の受け入れを目的としたホテルや交通施設の整備が進められ、1966年にはサヌールにバリ・ビーチ・ホテル(現グランド・バリ・ビーチ(インドネシア語版))が開業した。これは国際的な基準で建設・運営された大型ホテルの先駆けとなり、バリ島の大量観光化の契機の一つとなった[23]。

その後、クタ、サヌール、ヌサドゥアなどでホテルや観光施設が増加し、観光業はバリ島経済の主要産業となった。観光開発は雇用や所得を増加させる一方、農地の転用、土地価格の上昇、人口移動、環境負荷などの問題も生じさせた[34]。

地方分権

1998年のスハルト退陣後、インドネシアでは地方分権が進められた。バリ島でも県・市など地方政府の役割が拡大し、観光開発、土地利用、環境政策、文化・宗教政策などをめぐって地方レベルでの政策決定の重要性が増した。

一方、観光業への依存度が高まったことで、バリ島では国際的な景気変動や観光客数の変化が地域経済に直接影響するようになった。観光開発の拡大に伴う交通渋滞、水資源、廃棄物、農地減少なども、21世紀に入って重要な社会・環境問題となった[34]。

21世紀

21世紀のバリ島では、国際観光地としての発展が続く一方、観光への依存、都市化、人口増加、交通渋滞、土地利用の変化、水資源、廃棄物処理などが重要な課題となっている。バリ島の観光開発は、地域経済の成長と環境・社会への負荷という両面から議論されている[23][34]。

2025年9月10日、バリ島では大雨に伴う洪水が発生し、デンパサールをはじめ、バドゥン県、ギャニャール県、ジュンブラナ県、クルンクン県、タバナン県など島内の複数地域が被災した。インドネシア国家防災庁(BNPB)によると、9月17日時点で死者は18人、被災世帯は6,309世帯に達した。洪水では公共施設や住宅、道路、橋などにも被害が生じた[35]。

言語

伝統的な言語としてバリ語が存在し、多くの人々はバリ語を用いてきたが、公式的にはインドネシアの公用語であるインドネシア語が用いられたり、学校教育や主要マス・メディアもインドネシア語が利用されている。都市部ではインドネシア語を主として用いる層も増えている[36]。ただし、2000年代からの地方分権化を背景としたバリ文化再興の運動(アジェグ・バリ)の一環として、義務教育でバリ文字が教えられるようになっている。そして、2006年からはバリ・ポストから「オルティ・バリ」というバリ語の新聞が週刊で復刊され、バリの文芸作家たちが作品を発表していたり、バリ語のラジオ放送が盛んになったり、バリ語のポップ歌謡も流行りだしている[37]。

地域生活

儀式の準備をするバンジャールの女性たち
葬儀の行列

バリ島の地域社会では、バリ・ヒンドゥーの宗教的慣行と、地域社会の慣習であるアダット(adat)が、日常生活や宗教儀礼、地域活動と結びついている。こうした地域社会の組織として重要なのがバンジャール(banjar)であり、住民は居住地域のバンジャールを単位として、共同作業や祭礼、儀礼の準備などに参加する。バンジャールは行政機構とは異なる地域社会の組織であり、行政上のデサ(村)などと並存している。[38]

バンジャールは、寺院の祭礼や葬儀、共同作業など、地域住民が共同で行う活動の重要な基盤となっている。バリの村落社会では、宗教儀礼に必要な準備や施設の維持、祭礼に伴う作業などを住民が分担する仕組みが形成されており、共同労働はゴトン・ロヨン(gotong royong)と呼ばれる相互扶助の慣行とも結びついている。[39]

バリの地域社会では、宗教儀礼が生活の中で大きな位置を占めている。各地域には寺院(pura)があり、ヒンドゥー教の祭礼や供物の奉納、儀礼などが行われる。ガルンガンやクニンガン、ニュピなどの祭日は島全体で行われる一方、各地域・寺院の祭礼もあり、住民はそれぞれの所属する地域社会や寺院との関係に応じて儀礼に参加する。[40]

バンジャールには、地域の祭礼や共同活動を担う住民組織が形成されている。また、特定の目的に応じてスカ(seka、suka)と呼ばれる集団を組織することもある。スカには、ガムランの演奏、舞踊、宗教儀礼、青年活動など、特定の活動を目的とするものがあり、バンジャールの構成員を基盤としながら、目的や活動内容に応じて組織される。こうした多様な集団への参加は、バリの社会生活における協働の一つの特徴として研究されてきた。[41]

バリの村落社会では、宗教的な所属や地域組織だけでなく、スバック(subak)と呼ばれる水利組織も地域社会を構成する重要な制度である。スバックは水田への灌漑用水の配分や水路の管理などを共同で行う農民組織であり、寺院を中心とする宗教的活動とも結びついている。バリ州の文化的景観を構成するスバックの制度と関連する寺院群は、2012年に「バリ州の文化的景観」として世界遺産に登録された。[12]

地域社会における共同活動は、農村部だけに限られない。都市化や観光開発が進んだ南部の地域でも、バンジャールなどの地域組織は宗教儀礼や共同活動を担っている。一方で、人口移動や都市化、観光産業の拡大によって地域社会の構成や土地利用は変化しており、伝統的な地域組織と現代の行政・経済活動との関係も変化している。[42]

このように、バリ島の地域生活では、行政上の自治体とは別に、バンジャール、寺院、スカ、スバックなどの組織が、それぞれ異なる目的で住民を結び付けている。これらは宗教、農業、祭礼、芸能、相互扶助などの活動を通じて相互に関係しながら、バリの社会生活を構成している。

宗教

チャナンと呼ばれる供物

バリ島では、ヒンドゥー教を基盤としながら、バリ島固有の信仰や慣習と結びついたバリ・ヒンドゥー (Hindu Dharma)が広く信仰されている。バリ・ヒンドゥーでは、神々への信仰に加えて、祖先や自然、土地との関係も重視されており、寺院での祭礼や供物などが日常生活の中に組み込まれている。

バリ社会では、慣習村であるデサ・アダット(desa adat)が宗教的・社会的生活の重要な単位となっている。各地域にはプラ (pura)と呼ばれるヒンドゥー教寺院が設けられ、住民はアダット(adat)と呼ばれる地域の慣習に基づいて祭礼や儀礼を行う。家庭や商店などでは、チャナン(canang)と呼ばれる小さな供物を神々に捧げる習慣が広くみられる。このような宗教的実践は、バリ人の生活や地域社会と密接に結びついている。

バリ島のヒンドゥー教の宗教行列

バリ・ヒンドゥーの宗教観では、方位や空間にも象徴的な意味が与えられている。特に重要なのが、山側を指すカジャ(kaja)と海側を指すクロッド(kelod)の対比である。この空間認識は、寺院建築や住居の配置、葬儀などの儀礼の場の選択にも関係しており、バリ島の文化的景観を特徴づける要素の一つとなっている。

バリ島ではヒンドゥー教のほか、イスラム教、キリスト教、仏教、儒教なども信仰されている。特にデンパサールなどの都市部や観光地域では、ジャワ島をはじめとするインドネシア各地からの移住者が居住しており、非ヒンドゥー教徒も一定数存在する。2025年のバリ州の人口は約446万1千人と推計されている。一方、宗教別人口についてBPSが公表している登録人口統計では、2024年時点でヒンドゥー教徒が378万0272人(86.4%)と最も多く、イスラム教徒が44万9805人(10.3%)、プロテスタントが7万6948人(1.8%)、カトリックが3万7635人(0.9%)、仏教徒が2万9876人(0.7%)などとなっている[43]。

バリ州の宗教別人口(2024年)
宗教 人口 割合
ヒンドゥー教 3,780,272人 86.4%
イスラム教 449,805人 10.3%
プロテスタント 76,948人 1.8%
カトリック 37,635人 0.9%
仏教 29,876人 0.7%
儒教 606人 0.0%
その他の信仰 121人 0.0%
合計 4,375,263人 100.0%

[43]

このように、バリ州ではヒンドゥー教が人口の大多数を占める一方、イスラム教やキリスト教、仏教などを信仰する住民も存在する。宗教構成には地域差があり、デンパサールなどの都市部では、インドネシアの他地域からの人口移動を背景として、ヒンドゥー教以外の宗教を信仰する人口も一定の割合を占めている。

文化と芸術

米の女神デウィ・スリ
レゴン

先に見たように島南部を中心として土地が肥沃であったことから、昔からバリの人々は余裕を持った生活を送ることができた。そこで、農民は朝夕それぞれ2、3時間働くと、その日の残りは絵画、彫刻、音楽、ダンスなどの創作活動に当てるなど、美術・芸術活動にも勤しんでいた[注釈 2]。

バリの美術には、古くからのインド的性格が残存しており、時代が新しくなるにつれ、バリ島独自の土着的な性格が強くなっていく。インド色の濃い遺品として、例えば、ペジュン出土の粘土製の奉納板(8世紀頃)にはインドのパーラ朝美術を思わせる仏教尊像が描かれている。さらにインド・ヒンドゥーの石彫であるドゥルガー像(11世紀頃)が傑作として挙げられる。

ただし、今日のバリで見られる、とりわけ観光客向けの芸能・美術のほとんどは、1920年代以降のオランダ植民地時代以降の歴史のなかでバリを訪れた欧米人との共同作業によって構築されたものである[45]。そして、これらの文化芸能は、当時の欧米人によっても、また戦後のインドネシア政府によっても、さらには大衆観光客によっても、バリの「伝統文化」として表象され、「ツーリスト・パフォーマンスが、いまやバリの伝統として認められている」[46]。今日のバリの「伝統文化」は「観光文化」にほかならないのである[47]。

さらに、スハルト体制崩壊後は、分権化の流れの中で、地域自治の確立を目指す動きがインドネシア社会全体でみられるようになり、バリでは、その一環として地域文化の振興が掲げられ、『バリポスト』を中心として、バリTVが創設されるなど、アジェグ・バリの運動が起きている[48]。もちろん、現在のバリでも近代的な西洋文化を巧みに取り込み続けており、街では携帯電話を手にメールを打つ姿なども多く見られるし、また、島民の移動手段は主にオートバイとなっている。

舞踊・音楽

ケチャ

バリ島の祭礼や儀礼には、必ず舞踊が伴う。そうした舞踏・音楽芸能についていえば、舞踊芸術のケチャやレゴン、バロン・ダンス、憑依舞踊のサンヒャン・ドゥダリ、そして、これらの伴奏にも使われるガムランやジュゴグ(竹のガムラン)がよく知られている。これらは、確かに元来は共同体の宗教儀礼として行われてきたものであるが、実際に観光客に見せているのは、共同体の祭祀からは切り離され観光用に仕組まれたレパートリーである。

その成立過程を見てみると、オランダ植民統治時代に当時の中心地シガラジャでクビヤールと呼ばれる舞踊・音楽・ガムラン編成が生まれている。そして、1920年代後半に観光客を運ぶ運転手を通じて瞬く間に南部にも広がり、観光のための創作活動が盛んになり、こうして舞踊芸術が宗教的文脈から切り離されていったのである[49]。

たとえば、バロンとランダの戦いをモチーフとしたチャロナラン劇は、そもそもは宗教儀礼として19世紀末に成立したものであるが、トランス状態に陥った男性がクリスで胸を突くといった場面が見られる21世紀現在の演劇性に富んだ形態は、1930年代前後に「観光客に分かりやすく見せるために」成立し島内に広まったものである[50]。

今日のバリの舞踊芸術は、宗教的な重要性に応じて、以下の3段階に区分されている。

  • タリ・ワリ (tari wali)
    共同体の宗教儀式そのもの、または儀式を完結するものとして機能する舞踊。「ワリ」は「捧げ物」ないし「供物」を意味する。ルジャン、ペンデット、サンギャン、バリス・グデなどが含まれる。
  • タリ・ブバリ (tari bebali)
    ワリに比べて儀式性、限定性は弱いが、宗教儀式の伴奏あるいは奉納芸として機能する。トペン、ガンプーなど。
  • タリ・バリ=バリアン (tari balih-balihan)
    タリ・バリ=バリアンは「見せ物」を意味し、観賞用、娯楽用に作られたものを指す。クビヤール・スタイルのものはこれに属する。

影絵芝居

影絵芝居に使う操り人形、ワヤン・クリ

影絵芝居(ワヤン・クリ)は、バリの人々にとって、時空を超えた知識と教養の源泉である。すなわち、芸能としてワヤンは、それを鑑賞する人間の意識の底に次第に堆積されていく、潜在的な価値の体系なのである。ワヤンのストーリーは、おもに古代インドの叙事詩である『ラーマーヤナ』、『マハーバーラタ』であり、人形使いのダランは、サンスクリットの知識を有した特別な僧侶であるプダンダが務める[51]。また1990年代後半ごろから、ワヤン・チェン・ブロンと呼ばれる娯楽化したワヤンが若者の支持を集めるようになり、伝統的なワヤンは衰退の一途をたどっている[52]。

工芸

木彫りが特に盛んである。バリ島の伝統工芸の起源の多くは、火葬などの宗教儀礼時の供物にある。したがって、いかに精緻に作られていようとも、強度に対する関心は低い。木彫りについては、装飾工芸として、扉や柱などの建築物、彫像、小物、演劇の仮面などで日常的に利用されてきたが、今日の動物の愛らしい彫像はやはり「バリ島ルネッサンス」の時代に生まれたものである。

その他には木製家具、ろうけつ染めのバティック(日本ではジャワ更紗とも)や絣であるイカット(トゥガナン村の「グリンシン」など)それぞれの布地や、それらを使用した製品が有名である。またチュルク村の銀細工、トゥンガナン村のアタ製かご細工、ジェンガラ・ケラミック社の陶磁器などもよく知られている。

バリ島では土産物として工芸品が大量に売られているが競争は激しい。特に木彫りに関して、工芸品の製作者たちの多くは自らの創造性を生かした創作活動に励んでいる訳ではなく模倣類似も多く、その作品は値切って買いたたかれるような代物になっていることも多い[53]。

木彫り工芸品や木製家具は安く購入できるが、日本に持ち帰った場合、通年で高温多湿の現地と気候が異なるので、歪み、割れ、欠けなどが生じる場合があるので注意が必要である。

バリ絵画

バリ絵画

色彩豊かで緻密な描写が特徴であるバリ絵画の原点は、16世紀後半のマジャパヒト王国時代のころとされ、王宮向けの装飾絵画として発展し、『ラーマーヤナ』、『マハーバーラタ』やヒンドゥーの多神教の神々などが題材とされてきた。当時から伝わるバリ絵画の技法はカマサン・スタイルと呼ばれ、基本的には5色(黒、白、黄、青、茶色)を使用し遠近法を用いず平面的に描かれることが多い。特にカマサン村では、伝統的な技法の継承に加え、新しい感性を加味し発展させている。

オランダ支配時代の1920年代に来島した前述のヴァルター・シュピースやオランダ人の画家ルドルフ・ボネらと、グスティ・ニョマン・レンパッドに代表される地元作家との交流から芸術家協会(ピタ・マハ協会)が生まれ、遠近法などの新しい技法が加わることでさらに発展し、バリ絵画は国際的な水準にまで引き上げられた。1930年代のピーク時には、100名以上の芸術家がピタ・マハ協会に所属していた。この間に生まれた画法としては、墨絵のような細密画を特徴とするバトゥアン・スタイル、ボネの指導によって生まれた、日常の風景を題材とするウブド・スタイルなどがある。

また、商取引によるバリ絵画作品の散逸を防ぐ動きが現地の画商の間で見られている。そのさきがけとなったのが、ウブドの画商パンデ・ワヤン・ステジョ・ネカであり、ウブドでは彼の設立したネカ美術館が運営されている。ほかには、かつてルドルフ・ボネらが1956年に開設したウブド絵画美術館(プリ・ルキサン)、デンパサールのバリ博物館、バリ文化センター、そして、1932年からサヌール海岸に居を構えたベルギー人画家ル・メイヨールの作品を収めたル・メイヨール絵画美術館などがある。しかし他方では、高名な画家の作品を手に入れた美術品店が、それをモデルにして若い絵師に贋作を作らせ観光客に売りつけるケースもあり、美術品店嫌いの画家も多い[54]。

経済

2004年 産業別バリ州域内総生産
(単位:100万ルピア)[注釈 3]
産業区分 金額 %
農林漁業 6,011,426 20.7%
採鉱・採石業 196,471 0.7%
製造業 2,610,131 9.0%
電気・ガス・水道業 522,533 1.8%
建設業 1,132,719 3.9%
商取引、ホテル、レストラン 8,452,944 29.2%
通信輸送業 3,275,453 11.3%
金融業 1,969,622 6.8%
サービス業 4,815,272 16.6%
合計 28,986,595 100.0%

芸能・芸術の島として知られ、かつ早くからビーチ・リゾートが開発されてきたバリは世界的な観光地となっており、東南アジア各地のビーチ・リゾートのモデルとなっている。先進国の経済的価値を基準として比較すると物価水準がかなり低廉であり、比較的若年層でも十分楽しめることも人気の一要素である。訪れる観光客で一番多いのは、かつては日本人であったが、現在はオーストラリア人である[注釈 4]。したがって、バリ島の貨幣経済は観光収入で成立するものとなっており、財政面でもバリ州の収入の3分の2が観光関連によるものとなっている[注釈 5]。

バリ島は古くから農業中心であったが、バリ州の産業部門別就業人口の推移を見てみると、1971年には農林漁業が66.7%、商業・飲食・ホテル・サービス業が18.8%であり、1980年でも農林漁業が50.7%、商業・飲食・ホテル・サービス業が29.8%であったのが、2004年には農林漁業が35.3%にまで減少し、商業・飲食・ホテル・サービス業が36.4%に達している[59]。農民の平均月収が50ドル(約5,000円)未満であるのに対して、観光業従事者のそれは50 - 150ドル(約5,000 - 1万5,000円)に達する[60]。バリ州全体の域内総生産高でみると、農業はなお全体の20%以上を占め、観光業もバリ州のフォーマルな経済活動の40%を占めるに至っており、また、工芸品の輸出額は年額15億ドル以上に上る[61]。

農業

島中部に見られる棚田

先に述べたようにバリ島経済の中心には農業(水田耕作)が伝統的に位置してきた。世界的な観光地として成長した後でもなお、30%以上が農林漁業に従事している。スハルト体制以来の観光開発が南部バリの一部地域で集中的に行われたためである。水田耕作のほかには、ココナッツやコーヒーの栽培が盛んであり、樹園地ではバナナ、オレンジ、マンゴーが、畑では大豆、サツマイモ、落花生、キャベツ、トマトなどが栽培されている[62]。

また、1985年から2004年の間にバリ州における水田の面積は9万8,830ヘクタールから8万2,053ヘクタールへと減少し、その分、屋敷地および建築用地は2万7,761ヘクタールから4万5,746ヘクタールへと増加しており、水田の宅地化が進んでいることが分かる(しかし、この間の収穫量は品種改良によって増加している)[63]。こうした中で、土地所有層は地価の上昇によるさまざまな利殖の機会を手にするようになっているが、他方でスバックのメンバーの圧倒的多数を占める小作人にとっては、農地の宅地化、近代化は失業を意味し、深刻な問題となっている[注釈 6]。

不動産等投資

観光およびその周辺産業に牽引される形で、バリ島への不動産投資・運用が盛んとなり、2000年から2012年の間は年平均で20%程度の地価上昇が続いた[64]。不動産投資家の7割はインドネシア国内の富裕層であり、残り3割が海外投資家(法人および個人)である[64]。その一因に、2008年の世界的金融危機(いわゆるリーマン・ショック)によって、世界の資金が有望な投資先を探してバリの不動産市場に流入した背景がある[64]。しかしながら2012年から2018年にかけては地価の横ばいが続いた。その理由として、不動産投資の需給が崩れたことに加え、外国人向けの住宅ローンが規制の対象となったことが挙げられる[64]。

2018年7月には、おもに日本人向けにバリ島への不動産投資や金融商品販売などの名目で、元本保証と高配当を偽って、無許可で11億円を集めたとして、出資法違反容疑でアスナグループの日本人幹部らが、千葉地方検察庁および千葉県警察によって逮捕される事件も起こった[65][66]。

観光

バリ島は、海岸部のリゾート、ヒンドゥー教寺院や伝統芸能などの文化、火山や湖、棚田などの自然景観を組み合わせた観光地として発展している。特に島南部とウブドを中心とする中部が観光の中心である一方、東部・北部・西部にも海洋レジャーや自然、文化を目的とする観光地が広がっている。

島南部のビーチ・リゾート

島南部はバリ島を代表する観光地域である。西岸のクタ、レギャン、スミニャック、チャングー周辺にはホテル、ヴィラ、レストラン、商業施設などが集まり、海水浴やサーフィン、夕日観賞、飲食・買い物などを目的とする観光客が多い。クタはサーフィンの名所として知られ、スミニャックでは宿泊施設や飲食・商業施設が発達している。[67]

東岸のサヌールは比較的波の穏やかな海岸として知られ、海岸沿いの散策やサイクリング、日の出の観賞などが観光の要素となっている。南端のヌサ・ドゥアは計画的に整備されたリゾート地域で、ホテル、スパ、会議施設などが集まる。ジンバランでは海岸での食事なども観光の一部となっており、南部のウルワツ周辺には断崖上のウルワツ寺院やサーフィンの名所がある。[67]

西岸ではタナロット寺院も主要な観光地の一つで、海上の岩礁上に建つ寺院と夕日の景観で知られる。[68]

バリ島南部の海岸はサーフィンの主要な目的地でもあり、クタやウルワツなど、海岸によって波の性質が異なる。[67]

州都デンパサール

デンパサールはバリ州の州都で、島南部の観光地を結ぶ交通・商業上の拠点である。市内にはバリ州立博物館やププタン・バドゥン広場などの歴史・文化施設があり、市場や商業施設などを通じて、観光リゾートとは異なる都市部の生活や文化に触れることができる。また、バリの伝統芸能を紹介するバリ芸術祭の会場にもなる。[69]

ウブド、山岳地帯

島の中部に位置するウブドは、バリ島を代表する文化・芸術観光の中心地の一つである。伝統舞踊や絵画、木彫、工芸などの芸術文化に加え、ウブド・モンキーフォレスト、ウブド王宮、各種の美術館・ギャラリーなどが観光地となっている。周辺にはテガラランの棚田などの農村景観も広がり、ヨガやスパ、飲食などを目的とする滞在型観光も発達している。[70]

ウブド周辺から北へ向かうと、ティルタ・ウンプル寺院などの文化・宗教施設、キンタマーニ高原、バトゥール山、バトゥール湖などの山岳景観が広がる。バトゥール山とバトゥール湖を中心とする地域は、火山活動によって形成されたカルデラの景観でも知られる。[71]

中部から西部にかけてのジャティルウィなどには棚田景観が広がる。バリの棚田は、河川や湧水を利用して水を配分する伝統的な農業共同体・スバックと結びついており、バリ州の文化的景観の一部は2012年に世界遺産に登録された。この世界遺産は、ジャティルウィを含む複数の棚田地域と水利寺院などから構成されている。[12]

島東部・北部・西部

島東部のカランガスム周辺には、アグン山とその山麓に位置するブサキ寺院、ティルタ・ガンガなどの文化・歴史的観光地がある。東海岸のアメッドやトランベンは、シュノーケリングやスキューバダイビングの目的地として知られ、トランベン沖には第二次世界大戦中に沈没したUSATリバティの船体がダイビングスポットとなっている。[72][73]

北部では、旧都シガラジャ周辺やロヴィナが主要な観光地である。ロヴィナは黒色ないし灰色の火山砂の海岸が特徴で、イルカの観察やシュノーケリング、ダイビングなどを目的とする観光客が訪れる。[74]

北西部のプムトゥラン周辺は、海岸での滞在に加えてダイビングやシュノーケリングの拠点となっている。さらにムンジャンガン島を含む西バリ国立公園周辺では、サンゴ礁などの海洋環境を対象とした観光が行われている。[75]

このほか、バリ島では寺院の祭礼や伝統舞踊、工芸、料理など、日常生活と結びついた文化も観光資源となっている。特にウブドなどでは、伝統芸能や美術、工芸を鑑賞・体験する文化観光が盛んである。[67]

バリの文化的景観は観光資源である一方、世界遺産に登録されたスバックの景観では観光や開発による圧力も指摘されており、景観と農業・水利システムの保全が課題となっている。[12][76]

交通

島外との交通

ングラ・ライ国際空港

バリ島の主要な航空拠点は、島南部のバドゥン県に位置するイ・グスティ・ングラ・ライ国際空港(デンパサール国際空港)である。インドネシア国内の主要都市との国内線に加え、東南アジア、東アジア、南アジア、オセアニア、中東などの都市との国際線が運航されている。就航都市や航空会社、運航頻度は時期によって変動する。[77]

海路では、島西部のギリマヌクとジャワ島東部のクタパンとの間を結ぶフェリーが運航されている。この航路はジャワ島とバリ島を結ぶ主要な海上交通路の一つであり、旅客だけでなく自動車などの車両も輸送している。[78]

島東部のパダンバイとロンボク島のレンバルとの間にもフェリーが運航されている。パダンバイ―レンバル航路は、バリ島とロンボク島を結ぶ主要な海上交通路の一つであり、旅客・車両の輸送に利用されている。[79]

また、サヌール、パダンバイ、クサンバなどの港からは、ヌサ・ペニダやレンボンガン島など周辺の島々へ旅客船や高速船が運航されている。これらの航路は、定期航路のほか民間事業者によるサービスもあり、港湾や事業者によって運航状況が異なる。[80]

島内交通

ベモ

バリ島の島内交通は道路交通が中心であり、自動車やオートバイが広く利用されている。2025年の登録車両は、乗用車約56万9000台、バス約1万7000台、貨物車約19万6000台、オートバイ約475万6000台で、合計約553万8000台に達している。[81]

特にデンパサール、バドゥン県、ギャニャール県、タバナン県などからなるサルバギタ都市圏では、人口や観光客の集中と自動車交通の増加により道路交通への負荷が大きく、公共交通の整備が進められている。バリ州の交通計画でも、公共交通の利用促進や道路交通への依存の軽減が課題とされている。[82]

公共交通では、バリ州政府が運営するトランスサルバギタ(Trans Sarbagita)と、トランスメトロデワタ(Trans Metro Dewata)がサルバギタ都市圏の主要なバス交通を担っている。トランスサルバギタはバリ州運輸局のUPTD Trans Bali/Trans Sarbagitaによって運営されており、地域間の公共交通を担う。[83]

トランスメトロデワタはデンパサール、バドゥン県、ギャニャール県、タバナン県を含むサルバギタ都市圏で運行されている。2025年には約122万9793人が利用し、2026年も運行が継続されている。2025年には4月から運行が再開され、2026年についてはバリ州政府と関係自治体との間で運行に関する協力協定が結ばれている。[84][85]

トランスサルバギタでは、デンパサールとバンリを結ぶ路線が2026年4月に再開された。このほか、公共交通のネットワークを補完するフィーダーバスの整備も計画されている。[86][87]

これらの路線バスのほか、地域によってはアンコット(angkot)やベモなどの小型乗合交通も利用されている。これらの従来型の公共交通と路線バスとの役割分担や、各地域から幹線路線へ接続するフィーダー交通の整備は、バリ州の公共交通政策における課題となっている。[88]

タクシーはデンパサールや南部の観光地域、空港周辺などで運行されている。また、Grabなどのオンライン配車サービスも利用されており、自動車による配車に加えて、オートバイを利用したオジェック(ojek)の配車サービスも普及している。[89]

鉄道については、2026年現在、バリ島内に一般旅客を対象とした営業中の鉄道路線はない。一方、バリ州では鉄道網の整備計画が以前から策定されており、2026年9月にはインドネシア鉄道会社(KAI)、バリ州政府、バドゥン県政府が、州内の鉄道インフラ開発計画について共同合意を締結した。今後、データの収集・整理、実現可能性調査、詳細設計などを進めることとされており、現時点では計画・調査段階にある。[90]

バリ州の鉄道計画では、メングウィ―シガラジャ間の鉄道や、空港とサヌール港を結ぶ都市鉄道などが計画対象として挙げられているが、これらは将来計画であり、2026年現在は営業運転されていない。[91]

教育

大学

バリ島には国立・私立の大学その他の高等教育機関が所在し、デンパサールやバドゥン県を中心に高等教育機能が集積している。2025年の統計では、教育・文化・研究・技術省所管の公私立高等教育機関が県・市ごとに分布しているほか、宗教省所管の高等教育機関も存在する。[92]

主な国立大学としてウダヤナ大学があり、1962年に設立されたバリ島最古の大学である。デンパサールとバドゥン県のジンバランにキャンパスを置き、自然科学、工学、医学、法学、経済学、観光学、文化研究など幅広い分野の教育・研究を行っている。[93]

また、インドネシア芸術大学デンパサール校(Institut Seni Indonesia Denpasar)は、芸術分野を専門とする国立高等教育機関で、バリの伝統芸術を含む芸術・デザイン分野の教育・研究を担っている。

医療事情

バリ島の医療は、病院、保健センター(プスケスマス、Puskesmas)、診療所などによって提供されている。2024年のバリ州統計では、一般病院65施設、専門病院7施設、入院設備を持つプスケスマス30施設、入院設備を持たないプスケスマス90施設、プライマリ・クリニック247施設が存在する。医療施設は州都デンパサールや観光客の多いバドゥン県など南部に比較的集中している。[94]

主要な医療機関の一つが、デンパサールに所在するRS Prof. Dr. I.G.N.G. Ngoerahである。旧称はサングラ国立総合病院(RSUP Sanglah)で、2022年に現在の名称へ変更された。インドネシア保健省所管のクラスA総合病院であり、バリ州のほか西ヌサ・トゥンガラ州、東ヌサ・トゥンガラ州を含む地域の主要な紹介病院として機能している。心疾患、がん、母子医療などの専門診療にも対応している。[95]

このほか、デンパサールやクタ、ヌサ・ドゥアなどの観光地域には私立病院や診療所があり、外国人患者や観光客にも対応している。BIMC Hospitals Groupはクタ、ヌサ・ドゥア、ウブドに施設を置き、24時間の救急・外傷診療を提供している。[96]

私立病院ではこのほか、シロアム病院、カシ・イブ病院などがデンパサールやその周辺に所在する。インドネシア保健省の医療の質に関する報告にも、RS Umum Siloam Bali、RS Umum Kasih Ibuなどのバリ州内の病院が掲載されている。[97]

救急医療については、インドネシア全土でPSC 119(Public Safety Center)が整備されており、緊急通報を受けて医療機関との連携、救急車の手配、搬送先に関する情報提供などを行っている。119は全ての県・市から利用でき、PSCが設置されていない地域では近隣の医療機関へ通報が転送される仕組みとなっている。[98]

バリ州政府も、州および各県・市のPSCの連絡先を公開している。緊急時には119のほか、地域のPSCへ連絡することができる。[99]

バリ島では観光産業の規模が大きいことから、外国人患者に対応する医療機関も多い。BIMCなど一部の民間医療機関では、英語など外国語による診療、24時間の救急診療、救急搬送や医療搬送への対応などを行っている。[100]

医療保険については、インドネシアの公的医療保険制度BPJS Kesehatanがあり、2025年にはバリ州各県・市で人口の大部分がBPJS Kesehatanに加入している。一方、外国人旅行者については加入状況や利用可能な医療機関が異なるため、海外旅行保険などによる医療費補償が利用されることもある。[101]

治安と犯罪

バリ島では、観光地を中心に窃盗、詐欺、強盗などの犯罪が発生している一方、警察は観光地への警察官の配置や巡回などを通じて治安対策を進めている。バリ州警察は2025年6月、外国人が関係する銃撃事件を受け、犯罪事件は発生しているものの、バリ島全体としては観光客の旅行に支障を来すような治安状況ではないとの見解を示した[102]。一方、インドネシア中央統計庁(BPS)は、2024年のバリ州について犯罪総数、犯罪率、犯罪発生間隔、犯罪検挙率、犯罪類型別の割合などをまとめた犯罪統計を公表している[103]。

観光客をめぐる犯罪

観光客が多く集まるクタ、レギャン、スミニャックなどでは、窃盗、詐欺、強盗などが発生している。2025年にはクタでオーストラリア人観光客を狙ったスリ事件が発生し、警察は容疑者2人を逮捕した。警察によれば、容疑者らは観光客に声をかけて注意をそらしたうえで財布を盗み、スミニャックなどでも同様の犯行を繰り返していたとされる[104]。また、2026年6月にはクタでインド人旅行者が、親しげに話しかけてきた人物による催眠を利用した窃盗の被害を訴え、警察が捜査した[105]。

詐欺については、両替所を装った取引や賭博を利用した手口などが確認されている。オーストラリア政府の旅行情報も、バリ島では組織的なカード賭博詐欺によって旅行者が金銭を失った事例があるとして注意を促しており、無認可の両替業者についても詐欺の危険があるとしている[106]。2025年にはクタで、外国人2人が暗号資産の両替を持ちかけ、うち1人が国際刑事警察機構(インターポール)の職員を装って両替業者の従業員を襲い、現金を奪おうとした事件も発生している[107]。

外国人は犯罪の被害者となるだけでなく、加害者となる事例もある。バリ州警察によれば、2025年に犯罪の被害者となった外国人は339人で、2024年の230人から47%増加した一方、犯罪の加害者となった外国人は225人で、2024年の230人から2%減少した[108]。このため、現在のバリ島の治安を論じる際には、単純に「外国人観光客が犯罪被害を受ける」という図式ではなく、外国人が被害者・加害者の双方になりうる状況を考慮する必要がある。

薬物犯罪

薬物犯罪はバリ島における重要な治安上の問題の一つである。バリ島は国際的な観光地であり、国際線による人的移動が多いことから、警察や国家麻薬庁(BNN)は違法薬物の密輸・流通を取り締まっている。2025年2月にはバリ州警察が、イギリス人3人が関与したコカイン密輸事件を摘発し、同年8月にはペルー人女性がコカイン約1.4kgなどを持ち込もうとした事件も摘発された[109][110]。

インドネシアでは薬物犯罪に対して厳しい刑罰が設けられており、外国人旅行者も例外ではない。オーストラリア政府も、インドネシアでは薬物犯罪に対する刑罰が厳格であり、旅行者が薬物を所持・使用・密輸することについて重大な法的リスクがあると注意喚起している[111]。

テロ事件

2002年10月12日、2002年バリ島爆弾テロ事件が発生し、クタ地区のナイトクラブなどを標的とした爆弾攻撃によって多数の死者が出た。犠牲者にはインドネシア人だけでなく外国人観光客も含まれていた。

2005年10月1日には、2005年バリ島爆弾テロ事件が発生し、ジンバランとクタの飲食店などで爆発が起きた。これらの事件は観光客の安全に対する懸念を高め、バリ島の観光業に大きな影響を与えた。

2002年と2005年の事件は、いずれもイスラム過激派組織との関係が指摘された武装勢力によるテロ事件である。事件の背景にはインドネシア国内外の政治・宗教・武装組織をめぐる複数の要因があり、単に「外国人観光客」や「異教徒」を狙った事件として説明することはできない[112]。

テロ事件後、バリ島への観光客数は一時的に減少したが、その後は回復した。観光客数はテロ事件だけでなく、世界的な景気、航空交通、自然災害、感染症など複数の要因によって変動している。

治安維持と地域社会

バリ島では、警察による通常の治安活動に加え、観光地の警備に地域社会の組織も関与している。特に慣習村(デサ・アダット)の自警組織であるプチャランは、地域社会の秩序維持に携わってきた。近年も警察は観光地において地域の警備組織や観光施設の管理者と連携して巡回・警備を行っており、2026年にはギャニャール県の観光地で警察の観光警備部隊が巡回を実施し、車両盗難などの犯罪防止を図っている[113]。南クタのガルーダ・ウィスヌ・クンチャナでも、2026年に警察、施設警備員、地域のプチャランが連携して警備を行っている[114]。

このような警察と地域社会の協力は、観光客の安全確保だけでなく、観光地の秩序維持を目的としたものである。バリ州警察は2026年にも在デンパサール米国総領事館など外国公館との情報交換を強化し、外国人が関係する犯罪への対応と観光地の警備について連携している[115]。

刑務所

バリ島にはバドゥン県のクロボカン刑務所(Lembaga Pemasyarakatan Kelas II-A Kerobokan)があり、外国人を含む多数の受刑者を収容している。かつては定員を大幅に上回る収容状態が問題となっており、2024年2月には定員466人に対して受刑者・被収容者が1,210人に達していたため、当局は400人分の収容区画を増設した[116]。その後も過剰収容は解消しておらず、2025年8月17日時点では1,848人を収容し、定員810人に対して236%の収容率となっていた[117]。

過剰収容への対応として、バリ州では新たな女性刑務所の建設など収容能力の拡大も進められている。2025年8月には、タバナン県に最大1,200人を収容できる女性刑務所を2026年に開設する計画が示され、クロボカン女性刑務所の過剰収容を緩和することが目的とされた[118]。

脚注

注釈

  1. ↑ 各数値は、1961年 - 1990年の30年間の平均[13]。
  2. ↑ 井上ひさしは「バリは農業と芸能と宗教の島である。大切なのは、一人一人の人間がそれぞれ農業人と芸能人と宗教人との三つの人格を一身に兼ねていることで、宮沢賢治が見たらおそらく涙を流してよろこんだであろう」と「演ずるバリ島」で書いている[44]。
  3. ↑ 数値は時価水準[55]。
  4. ↑ 2012年統計[56]では、第1位オーストラリア799,897人、第2位中国317,165人、第3位日本188,711人。欧州からは635,301人。2004年統計[57]では、第1位日本325,849人、第2位オーストラリア267,338人、第3位台湾183,624人である。
  5. ↑ しかし、『バリ・ポスト』の調査では、実際のところ観光収入の80%は島外に流れてしまっているという[58]。
  6. ↑ 女性の就労については、中谷 (2003) を参照。

出典

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関連書籍

古典

  • ミゲル・コバルビアス(関本紀美子訳)『バリ島』(平凡社、1991年)
    バリの生活・芸術・民俗の細部を、自らの挿絵とともに描き出している。
  • コリン・マックフィー(大竹昭子訳)『熱帯の旅人――バリ島音楽紀行』(河出書房新社、1990年)
    バリ島での自らの体験と出来事を一人称の文体で生き生きと描いている。
  • マーガレット・ミード(畑中幸子訳)『フィールドからの手紙』(岩波書店、1984年)
  • クリフォード・ギアツ(小泉潤二訳)『ヌガラ――19世紀バリの劇場国家』(みすず書房、1990年)
    旧来の国家観に囚われることなく、王国時代のバリ社会を「劇場国家」として分析した文化人類学の古典。

概説書

  • 吉田禎吾編『バリ島民―祭りと花のコスモロジー』(弘文堂、1992年)
  • 吉田禎吾監修、河野亮仙・中村潔編『神々の島バリ』(春秋社、1994年)
  • 倉沢愛子、吉原直樹編『変わるバリ、変わらないバリ』(勉誠出版、2009年)

小説

  • 中島らも『水に似た感情』(集英社、1996年)
    鬱とアル中に悩む主人公(中島らも本人をモデルとしていると思われる)が、バリ島を訪ね神秘的体験を通じこころの安定を得る。
  • 吉本ばなな『マリカのソファー/バリ夢日記』(幻冬舎、1997年)
    解離性同一性障害(多重人格)の病気を持った少女マリカとジュンコ先生との物語。バリ島旅行が舞台。また、吉本ばなな自身がこの作品を執筆するにあたって、バリ島で取材時の記録が「バリ夢日記」として書かれている。
  • ヴィッキイ・バウム『バリ島物語』(筑摩書房、1997年)
    ププタン前後のバドゥン王国の様子をサヌールの農民の目を通じて描いている。
  • A・A・パンジ・ティスナ『バリ島の人買い――ニ・ラウィット』(井村文化事業社、1982年)
    17世紀半ばから18世紀にかけて行われた奴隷貿易を題材にバリ人の生活を描く。

外部リンク


バリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 06:06 UTC 版)

「魔動王グランゾート」の記事における「バリ」の解説

電気の神獣の名前を携えた魔法用語で、雷の魔法を用いる際の魔法用語でもある。

※この「バリ」の解説は、「魔動王グランゾート」の解説の一部です。
「バリ」を含む「魔動王グランゾート」の記事については、「魔動王グランゾート」の概要を参照ください。

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「バリ」の例文・使い方・用例・文例

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