軽量客車以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 03:52 UTC 版)
電車・気動車の普及により、年度末の統計では国鉄客車は1958年度をピークに以後減少傾向に転ずる。更に1960年(昭和35年)から開始された動力近代化計画によって客車列車の淘汰が進んだほか、私鉄では客車列車そのものが衰微の一途をたどり、中小私鉄などでこれ以前に属するタイプを使い続けるか、国鉄から旧形車の譲渡を受ける程度となる。 この時期国鉄は、当時軽量化設計で世界をリードしていた、スイス国鉄の軽量客車の影響を強く受けて、10系客車を1955年に開発・試作し、その後量産した。革新的な設計の導入により、従来の鉄道車両に比べて格段の軽量化を実現し、輸送力増強や車両性能の向上に著しい効果を上げたほか、デザインの面でも、大形の窓を備えるなど軽快なスタイルとなり、国鉄車両に新風を吹き込んだ。 従来の車体が、構造上土台となる「台枠」に強度の大きな部分を負担させたのに対し、10系では車体全体で衝撃を分散負担する構造を採用、梁や柱のプレス一体成型品への置換えや、側板厚の削減など、車体を大幅に軽量化した。また内装にも軽金属や合成樹脂材料を多用、木材をほとんど廃した「全金属車体」となった。台車についても重い形鋼や一体鋳鋼に代えて、プレスした鋼板部材を溶接して組立てることで重量の大幅な軽減を実現した。この軽量車体の考え方は以後の新性能電車などの構造にも取り入れられることになる。 また寝台車では、最大幅を2.9 mに広げて裾を絞った車体断面を導入し居住性を改善、これも以後多くの車種に採用された。 詳細は「国鉄10系客車」を参照 1958年には、寝台特急列車用客車20系客車を開発した。日本で初めて、同一系列の車両による「固定編成」を組むことを前提に設計された客車であり、冷房装置や空気ばね台車の装備などで居住性を大きく改善した画期的な車両であった。通常編成端に連結される緩急車や荷物車は流線型デザインとされ、青一色にアイボリーのストライプで統一された外観は、以後の客車寝台特急も含めて「ブルートレイン」と呼ばれる起源となった。 車体構造は、10系客車の延長上にある軽量構造で、国鉄で最初に、全車両に空調装置・空気ばね台車を完全装備し、著しい居住性の向上を成し遂げた。ただし扉はまだ自動ドアではなく、遠隔操作でロックが可能なだけである。 詳細は「国鉄20系客車」を参照
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