スイス連邦鉄道
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/05 03:41 UTC 版)
スイス連邦鉄道SBB ドイツ語:SBB - Schweizerische Bundesbahnen SBB |
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スイス国鉄の代表的車両 IC-2000
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基本情報 | |
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スイス連邦鉄道(スイスれんぽうてつどう)は、都市間路線、通勤路線、貨物輸送のサービスを行うスイス連邦の国有の鉄道事業者である。
スイス連邦のほぼ全域に路線を有するが、ロマンシュ語圏(グラウビュンデン州)にはほとんど路線を持っておらず(ザルガンス - クール間のみ)、この地域では主にレーティッシュ鉄道(RhB)が運行している。
呼称及び表示
スイスの公用語における正式名称は、いずれも日本語に訳すと「スイス連邦鉄道」という意味であるが、日本では経営形態を意訳した「スイス国鉄」という呼称がよく用いられているので、この項目でも以下の文中には「スイス国鉄」という表現を用いている。
スイスの4公用語では以下のように表記される。
- ドイツ語: SBB - Schweizerische Bundesbahnen
- フランス語: CFF - Chemins de Fer Fédéraux Suisses
- イタリア語: FFS - Ferrovie Federali Svizzere
- ロマンシュ語: VFS - Viafers federalas svizras(公式には用いられない)
駅舎には、基本的にその所在地で多用されている公用語の略称が使用される。列車には、独仏伊語の略称を連ねたSBB CFF FFSという表示が用いられる。
歴史
スイス国鉄は、1902年1月1日に、私鉄8社を国有化することにより創設された。
1982年に、スイス国鉄は、同じ行き先の電車が60分間隔で毎時同時刻に運行するパターンダイヤ(独:Taktfahrplan)を採用し、時刻表を簡易化した。
2004年12月14日には、大規模な近代化計画であるバーン2000計画(独 Bahn 2000、仏 Rail 2000)の第1段階が実施され、いくつかの路線では運行間隔が30分または15分とされるとともに、高速化のために一部の曲路が直線化された。これらにより時刻表の90%が改正され都市間の所要時間は短縮したが、地方路線には波及していない。
企業
スイス国鉄は、3,069kmに及ぶ標準軌の路線(うち、2,928kmは15kV、16.7Hzの電化区間)で運行されている。かつては、ルツェルン・インターラーケン間で74kmの狭軌(1,000mm)の路線ブリューニック線(Brünigbahn。15kV、16.7Hzの電化路線)も運行していたが、2005年1月1日にルツェルン-シュタンス-エンゲルベルク鉄道(Luzern-Stans-Engelberg-Bahn、LSE)に売却され、LSEと合わせてツェントラル鉄道(Zentralbahn、ZB)となった。27,000名の従業員を擁し、年間3億人の旅客と6千万トンの貨物を輸送している。
現状
1999年以降、スイス国鉄は、公式にはスイス連邦政府および各州(カントン)が全株式を所有する株式会社である。鉄道施設は高速道路の施設と同様に、保守及び設備投資のために連邦政府の補助金を受ける。スイス連邦法は、スイス国鉄の全鉄道施設を部外者にも公平な料金で使用させることを定めている。このため、スイス国鉄の施設部門はスイス国鉄を利用する企業(スイス国鉄自身を含む)から使用料を受け取っている。
地方の通勤路線サービスは、各カントンから個別のサービスとして発注される。この原則のため、スイス国鉄はこの部門での経営損失を補填することができる。都市間路線は収益性が高いため、直接的な補助金を受けていない。
スイス国鉄は、スイスにおける鉄道貨物輸送の大手でもある。この部門は分離され、SBBカーゴと呼ばれる独立性の高い部門となっている。
パターンダイヤを導入する事により、路線間の乗り継ぎが短時間でできるようになり、導入前に比べ大幅に改善された。
車両
早くから鉄道の電化を推進してきたスイス国鉄では、電気機関車の製造技術では常に世界の最先端を行っていた。1930年代にはすでに台車装荷の電動機を持つブフリ式駆動方式の電気機関車を製造し、電車においては中空軸平行カルダン駆動方式を開発し、これの普及に努めた。また、客車においても1938年にいち早く軽量設計の近代的な客車(Leichtstahlwagen)を製造し今日に至っている。その後も快適な客車、高性能な電車等を次々に製造し、世界的に見てもその評価は非常に高い物となっている。
列車種別


スイス国鉄には以下の列車種別がある。
記号 | 意味 | 現地語 | 詳細説明 |
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R | レギオ | Regio、Regionalzug | 各駅停車。 |
S | S-バーン | S-Bahn | 通勤列車。レギオと同じだが、主要都市近郊の路線を網羅し、一般に運行間隔が短い。 |
RER | レサアウ エクスプレス リージオナル | Reseau Express Regional | 通勤列車。レギオと同じだが、主要都市近郊の路線を網羅し、一般に運行間隔が短い。 |
RE | レギオエクスプレス | RegioExpress | 快速相当。 |
IR | インターレギオ | InterRegio | 急行相当。 |
IC | インターシティ | InterCity | 特急相当。主要都市(ジュネーヴ、ローザンヌ、フリブール等)に停車。 |
ICN | インターシティ・ナイゲツーク[1] | InterCity-Neigezug | 振り子式のスイス国鉄RABDe500形電車により運転される特急列車。ただし同形電車でも、これ以外の列車種別に間合い運用されることがある。 |
CNL | シティナイトライン | CityNightLine | 設備の充実した夜行列車。オランダ行き(ドイツまたはチューリヒ発)・オーストリア行き(フランクフルト発)・デンマーク(チューリヒ発、夏季のみ)・ドイツ行き(ドイツ国内、スイス、オランダ発)などが運行されていた。2016年に廃止され、オーストリア連邦鉄道運行によるナイトジェットが路線を引き継いでいる。 |
Special | スペシャル | Special | 貸切やイベント輸送等の臨時列車を示す。当然ながら普通の切符では乗車出来ない。 |
スイス国鉄は、スイス国内でのユーロシティの運行も行っている。
脚注
- ^ 2008年12月14日、スイス国鉄ダイヤ改正 鉄道の旅がさらに便利になります。 スイス政府観光局
関連項目
外部リンク
スイス国鉄
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「ツェントラル鉄道Deh120形電車」の記事における「スイス国鉄」の解説
ブリューニック線は全長74.0 km、高度差566 m、最急勾配25パーミル(粘着区間)もしくは126パーミル(ラック区間)、最高高度1002 m、高度差567 mでルツェルン - インターラーケン・オスト間を結ぶ山岳路線で、2005年まではスイス国鉄の唯一の1 m軌間の路線であった。この路線はルツェルン湖からレマン湖に抜けるゴールデンパスラインの一部で、ルツェルンではスイス国鉄に、途中アルプナハシュタットではルツェルン近郊の観光地であり、ピラトゥス山の竜伝承で知られる標高2132 mのピラトゥス山方面へのピラトゥス鉄道に、ブリエンツではブリエンツ湖の遊覧船および、ラック式蒸気機関車を運行しているブリエンツ・ロートホルン鉄道に、インターラーケン・オストではゴールデンパス・ラインの一部でトゥーンを経由してツヴェイジンメンへ至るBLS AGの路線と、ベルナー・オーバーラント地方やユングフラウ方面へ向かうベルナーオーバーラント鉄道とそれぞれ接続するとともに、ヘルギスヴィルではスキーおよびスパリゾートであるエンゲルベルク方面への旧ルツェルン-シュタンス-エンゲルベルク鉄道が分岐する観光鉄道であるとともに、スイス7番目の都市で人口約8万人のルツェルンの近郊輸送も担っており、スイス国鉄の唯一の1 m軌間の路線であった。 本形式は1941年11月18日のルツェルン - マイリンゲン間の電化開業に合わせてまずFhe4/6 901、902、908、913号機の4機が運行を開始し、追ってFhe4/6 909号機が11月29日に運行に入っている。その後翌1942年6月22日までに全16機が導入され、1942年12月24日にマイリンゲン - インターラーケン・オスト間が電化開業しているが、本形式の初期故障による稼働率低下と、第二次世界大戦の影響によるガソリン不足によって自家用車が使用できなくなっていたことに伴う多客に対応するために引続き蒸気機関車が牽引する列車も運行されており、1945年末の時点で非電化時に使用されていた31機中18機が使用されていた。1950年時点でのブリューニック線の運行は以下の通り。Fhe4/6形:マイリンゲン出入庫・9運用(平均走行距離280 km)およびマイリンゲン - インターラーケン・オスト間・1運用 Fhe4/6形もしくはG3/4形:ルツェルン - ギスヴィル間・2運用 Fhe4/6形もしくはHG3/3形:マイリンゲン構内の入換・1運用 G3/4形:ルツェルン構内の入換・1運用 また、基本的な旅客列車の編成例と牽引トン数、定員は以下の通り。Deh4/6形 + 旧型客車3両(66 t、定員180人) Deh4/6形 + 軽量客車4両(66 t、定員270人) Deh4/6形 + Deh4/6形 + 軽量客車7両(120 t、定員470人) Deh4/6形 + Deh4/6形 + Deh4/6形 + 軽量客車10両(170 t、定員680人) HGe4/4I形 + Deh4/6形 + 軽量客車10両(170 t、定員680人) 本形式は荷物電車として製造されたが、De110形によるシャトルトレイン以外では荷物室は実際には使用されず、編成内に別途荷物車等を連結していた。これは本形式導入当時に検討されていたマイリンゲンのスイッチバック解消が実現せず、所要時間短縮のため同駅での折返し時に牽引機を変更する運用としたために牽引機に荷物を積載できなくなったこと、長編成の列車では牽引機がプラットホーム外に停車するため荷物用キャリーカートが使用できかったこと、荷物室が車両の前後に分離しており使いづらいことなどが要因となっており、スイスの郵便・電話・電信事業者であるPTTの資金負担により設置されていた郵便仕分棚等も後に撤去されている。また、当初、Fhe4/6形の大規模修繕や主変圧器や主電動機の大きな修理はチューリッヒのスイス国鉄工場にロールワーゲンで回送して実施していたが、 1960年以降マイリンゲン工場で全てのメンテナンスが実施されている。 その後ブリューニック線では輸送量の増加に伴い本形式だけでは輸送力が不足したため、1954年にHGe4/4I形を導入したが、前述の通り駆動装置の不調対策として走行距離が制限されており、1日1運行あたりの平均走行距離が1957年時点で約210 km、1970年頃で約160 km/日であったため本形式が引続き主力として使用されており、1985年時点ではDeh4/6形は11運用で使用され、1日1運行平均走行距離は323 kmであった。さらに、1986年にラック区間で最大牽引力280 kN、粘着区間での最高速度100 km/hの新しいラック式電気機関車の試作機であるHGe4/4II 1951-1952号機を導入して主にラック区間で運行するようになるとDeh4/6形は粘着区間での運行が増えており、1988年5月-1989年5月の運用は以下の通りとなっている。Deh4/6形:全線での運行・10運用(1日1運用平均走行距離295 km) De4/4II形:マイリンゲン - インターラーケン・オスト間の運行・1運用(1日走行距離464 km) HGe4/4I形:補機を主としたラック区間(ギスヴィル - ブリューニック・ハスリベルク - マイリンゲン間)の運行・1運用(1日走行距離158km) HGe4/4II形:ラック区間(ギスヴィル - ブリューニック・ハスリベルク - マイリンゲン間)およびルツェルン - マイリンゲン間・2運用(1日1運用平均走行距離257 km) 予備(Deh4/6形もしくはHGe4/4I形):ラック区間(ギスヴィル - ブリューニック・ハスリベルク - マイリンゲン間)の補機を主とした運行・2運用 その後、1990年春にHGe4/4II形の量産機であるHGe101 961-968(旧形式HGe4/4II 1961-1968)号機が全機運行されるようになり、これによってDeh4/6形およびDe4/4II形の運行は8運用(平均走行距離220 km、うち1運用はDe4/4II形を主に使用するマイリンゲン - インターラーケン・オスト間の1運用)となり、ラック区間の運用はギスヴィルからのマイリンゲン工場への入場車両の回送列車のみとなっている。その後、1992-1993年に粘着区間専用に改造されたDe110形はDe110形 - B 501-512形2両 - ABt 900-905形の4両6編成を組成してルツェルン - ギスヴィル間およびマイリンゲン - インターラーケン・オスト間のシャトルトレインの牽引に使用されており、1993年夏ダイヤでは1日平均走行距離355 kmの3運用(ルツェルン側2運用、インターラーケン・オスト側1運用)が組まれ、ラック式のDeh120形は主に4往復の貨物列車(平均走行距離130 km)に使用されていた。 この間、Deh4/6 915号機が1990年2月1日に発生したギスヴィル付近でのトラックとの衝突事故で損傷したため1992年7月に廃車となったほか、1994年2月にDeh4/6 902, 909号機が、2003年12月にDeh120 006号機がそれぞれ廃車となっている一方、2003年11月にはDeh120 012号機がスイス国鉄の歴史的車両に指定されており、2014年時点ではDeh120 008, 010-012号機の計4機が多客時の増発列車用や事業用として運行されていた。 ブリューニック線の線路高低図 ブリューニック線、手前の列車を緑色塗装のDeh120形が牽引、アルプナッハシュタット駅、2000年 Fhe4/6形の導入の少し前に導入された1等展望客車のA4 101形(後のA 101形)、1960年頃 Fhe4/6形の導入に合わせて導入された1等客車のA4 181号車、1960年頃 同系の初期軽量客車である1/2等客車のAB 477号車、1960年頃 同系の初期軽量客車である1/2等客車のB4 850号車、1960年頃
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