日本の改軌論争
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日本の改軌論争(にほんのかいきろんそう)では、日本の鉄道の発祥時に1,067 mmの狭軌を採用した日本国有鉄道(国鉄)が、1,435 mmの標準軌へ軌間を変更しようとした一連の運動を記す。
注釈
- ^ 『蒸気機関車200年史』P148では「簡易線の最小半径が300m」とあるが線路等級の規定と矛盾するので「甲線→簡易線」か「直径→半径」の誤記と判断。
- ^ 鉱山鉄道のトロッコが起源のフェスティニオグ鉄道を特例とすると、井上の帰国時期までに完成していた公共鉄道で実績のある狭軌鉄道は3ft6in軌間だけで、後に米国などで使用例がある3ft軌間は1871年のリオ・グランデ鉄道(デンバー - コロラルドスプリング)、インドや東南アジアに多いメーターゲージは1873年のデリー - レワリーが初なので当時はまだなかった。
- ^ 井上勝 「鉄道誌」の記述、同時に鉄道が開業して40年もたたないうちにここまで鉄道が発達するとは予想もつかなかったと述懐している。
- ^ メートル法に直すと1メートルあたり約44㎏。
- ^ 参考までにこのサイズであるアメリカのロックアイランド鉄道の1799号機(Rock Island locomotive #1799)は総重量180t(テンダー含む)で1600mm動輪。なお大きさだけなら、アメリカ国内ではさらに大きいマレーやパシフィック機関車もあった。
- ^ 京浜電気鉄道はその後1904年に東京市電との相互乗り入れを目論んで1372mmに改軌し、高輪駅を設置して実際に乗り入れていたが、のちに湘南電気鉄道と直通運転するために1933年に標準軌に戻した
- ^ 京王の担当常務が運輸省鉄道監督局に呼び出され、京成電鉄の改軌を前例に標準軌への改軌を要請された。常務は反対したが了解は得られず連日押し問答を繰り返し、主張を通すのに1ヶ月かかった
出典
- ^ 齋藤(2007) p.142-144
- ^ 日本国有鉄道編『鉄道辞典(上巻)』同朋舎メディアプラン、平成25年、ISBN 978-4--86236-040-3、P949-950。
- ^ 齋藤(2007) p.148
- ^ 鉄道技術発達史 第4篇 第1 P273
- ^ 鉄道技術発達史 第4篇 第1 P273
- ^ 鉄道ジャーナルP24
- ^ NOP法人「旧狩勝線を楽しむ会」旧狩勝線の近代化遺産
- ^ 狩勝高原エコトロッコ鉄道」根室本線旧線 大カーブ(狩勝信号場~新内駅間)その1
- ^ 齋藤(2007) p.145-147
- ^ 井上勝「帝国鉄道の創業」『拾年紀念日本の鉄道論 』鉄道時報局、1909(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ おおさわ かいゆう --『鉄道』(p155)
- ^ 『鉄道』(p155,p156)
- ^ 齋藤晃「幻の広軌化計画に登場する蒸気機関車」『幻の国鉄車両』岡田秀樹 企画、JTBパブリッシング、2007年、ISBN 978-4-533-06906-2、P25-27。
- ^ 齋藤(2007) p.248
- ^ a b c (朝倉1979-11)p.103
- ^ ミニ新幹線誕生物語 p5-6
- ^ (ウェストウッド2010) p.284-285「鉄道の軌間」・328-329「オーストラリアとニュージーランドの鉄道」
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