新幹線の実現
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:43 UTC 版)
その後、戦後の復興が進むにつれ、東海道本線の輸送力不足はいよいよ表面化し、弾丸列車計画のときと同様に、新線を敷設する必要に迫られた。 当初「東海道新線」と呼ばれたこの計画についても、単純に東海道本線を複々線化すればよいとか、狭軌新線にすべきだという案が出ていたが、戦前に広軌化計画に携わった官僚の十河信二が総裁に就任していたこと、鉄道技術研究所のメンバーが標準軌新線ならば東京 - 大阪間の3時間運転が可能と、研究結果から生み出された構想を世間一般に発表したこと(東京 - 大阪間3時間への可能性)、それに島安次郎の息子の島秀雄が国鉄技術長に就任していたことが影響し、標準軌高規格新線での敷設が決定した。 この計画による東海道新線は、戦前の計画の遺構を活用して建設することになり、1964年に「東海道新幹線」として結実する。国鉄の標準軌路線が実現した。 その後、山陽新幹線・東北新幹線・上越新幹線と、順次新幹線の延伸が進んだ。その後国鉄分割民営化後の新幹線増設停止時期を経て、新スキームにより、新幹線新線敷設が優先して行われる状況となっている。
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