構想から整備計画の決定とは? わかりやすく解説

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構想から整備計画の決定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 16:37 UTC 版)

九州新幹線 (鹿児島ルート)」の記事における「構想から整備計画の決定」の解説

1969年昭和44年5月30日に「新全国総合開発計画」が閣議決定された。この中で主要開発事業構想として「福岡熊本を結び,九州南部に至る九州新幹線鉄道の建設進めとともに西九州新幹線鉄道東九州新幹線鉄道九州四国連絡新幹線鉄道中略)等の建設を図る。」と現在の九州新幹線相当する新幹線鉄道を含むいくつかの新幹線路線建設構想盛り込まれた。 1970年昭和45年)に全国新幹線鉄道整備法(以下全幹法)が公布された。この法律により、逼迫する幹線輸送力増強目的とした東海道・山陽新幹線とは異なり経済発展地域振興目的とした新幹線建設が行われるようになった1972年昭和47年6月29日基本計画決定7月3日全幹法第5条第1項規定による「建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画」(昭和47年運輸省告示243号)により北海道新幹線青森市札幌市)、北陸新幹線東京都大阪市)、九州新幹線福岡市鹿児島市)の3路線基本計画告示された。この基本計画において九州新幹線福岡市鹿児島市)は福岡市起点として鹿児島市終点とすることが示された。 翌年1973年昭和48年11月13日には前述の3路線加え東北新幹線盛岡市青森市)、九州新幹線福岡市長崎市)を含む5路線いわゆる整備新幹線)の整備計画決定された。九州新幹線福岡市鹿児島市)は主要な経過地として「熊本市附近川内市附近」が示され建設主体日本国有鉄道国鉄)とされた。

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構想から整備計画の決定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 19:31 UTC 版)

北海道新幹線」の記事における「構想から整備計画の決定」の解説

1969年昭和44年5月30日に「新全国総合開発計画」が閣議決定された。この中で主要開発事業構想として「鉄道については、青函トンネル調査早急に終了し建設推進するまた、青函トンネル経て札幌に至る新幹線鉄道建設するとともに、(中略新幹線鉄道札幌から道北まで延長して北海道縦貫新幹線鉄道として整備するとともに道央から道東に至る北海道横断新幹線鉄道の建設を図る。」と現在の北海道新幹線相当する新幹線鉄道を含むいくつかの新幹線路線建設構想盛り込まれた。 1970年昭和45年)に全国新幹線鉄道整備法(以下全幹法)が公布された。この法律により、逼迫する幹線輸送力増強目的とした東海道・山陽新幹線とは異なり経済発展地域振興目的とした新幹線建設が行われるようになった1971年昭和46年4月1日運輸大臣通達により青函トンネル将来新幹線通しうる配慮をすることとなり、青函トンネル規格当時新幹線基準であった最大勾配12‰、最小曲線半径6,500 m変更され9月27日工事実施計画認可され1972年昭和47年6月29日基本計画決定7月3日全幹法第5条第1項規定による「建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画」(昭和47年運輸省告示243号)により北海道新幹線青森市 - 札幌市)、北陸新幹線東京都 - 大阪市)、九州新幹線福岡市 - 鹿児島市)の3路線基本計画告示された。この基本計画において北海道新幹線青森市 - 札幌市)は青森市起点函館市附近主要な経過地として札幌市終点とすることが示された。 翌年1973年昭和48年6月9日に、政府自民党ルート選定基準作成する方針示した国鉄および日本鉄道建設公団土木調査で、長万部 - 札幌間の最短ルートである「中央ルート」は火山地帯にほぼ30 km長大トンネル建設する必要があることから断念された。ニセコ小樽方面経由する北周ルート」は南回り比べて距離が約70 km短いが問題で不利である。一方室蘭苫小牧経由する南回りルート」は沿線人口多く在来線との役割分担の点で利点があるとして「南回りルート」が有力視された。9月18日調査結果概要示され北海道新幹線は「北回りルート」に決定された。この背景には当時首相である田中角栄列島改造大動脈として南北海道開発考慮したうえで支持したとされている。 同年11月13日には前述の3路線加え東北新幹線盛岡市 - 青森市)、九州新幹線福岡市 - 長崎市)を含む5路線いわゆる整備新幹線)の整備計画決定された。北海道新幹線青森市 - 札幌市)は最高設計速度260 km/h主要な経過地として「函館市附近小樽市附近」が示され、その他「北海道新幹線津軽海峡部において、青函ずい道津軽海峡線とを共用する。」とされ、建設主体日本鉄道建設公団とされた。同年11月15日には運輸省告示466号により北海道新幹線札幌市 - 旭川市)を含む12路線基本計画決定された。 国鉄経営悪化などを背景1982年昭和57年9月臨時行政調査会基本答申沿って北海道新幹線を含む整備新幹線計画当面見合わせる閣議決定なされた国鉄改革や行財政改革進展沿線地域建設促進への強い要望などを背景に、1987年昭和62年1月整備新幹線見合わせ閣議決定変更され新幹線建設に道が開かれた

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構想から整備計画の決定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 06:38 UTC 版)

北陸新幹線」の記事における「構想から整備計画の決定」の解説

1965年昭和40年9月26日金沢市石川県体育館で「1日内閣」が開催された。これは後年に言うタウンミーティングのようなもので、現職閣僚地方出向いて実情聞く公聴会であった当時内閣総理大臣務めていた佐藤栄作出席したこの公聴会において、富山県代表の公述人である岩川毅(中越パルプ工業創業者当時砺波商工会議所会頭)は、政府に対して東京起点とし松本立山連峰貫通して富山金沢経由して大阪に至る「北陸新幹線」の建設求めた。この提案に、鉄道官僚出身佐藤興味示した。「1日内閣」での新幹線構想発表により、北陸地方では新幹線誘致機運高まっていった。 1967年昭和42年7月には、北陸三県商工会議所会頭会議において、北陸新幹線実現目指すことが決議された。その後同年12月8日に「北回り新幹線建設促進同盟会」が発足した。これは、北陸地方活性化将来逼迫する東海道新幹線代替交通機関目的としていた。1969年昭和44年5月30日に「新全国総合開発計画」が閣議決定された。この中で主要開発事業構想として「北陸地方首都圏および近畿圏と結ぶ北回り新幹線鉄道の建設進めとともに」と現在の北陸新幹線相当する新幹線鉄道の建設構想盛り込まれた。 1970年昭和45年)に全国新幹線鉄道整備法(以下「全幹法」)が公布された。この法律により、逼迫する幹線輸送力増強目的とした東海道・山陽新幹線とは異なり経済発展地域振興目的とした新幹線建設が行われるようになった1972年昭和47年6月29日基本計画決定7月3日全幹法第5条第1項規定による「建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画」(昭和47年運輸省告示243号)により北海道新幹線青森市 - 札幌市)、北陸新幹線東京都 - 大阪市)、九州新幹線福岡市 - 鹿児島市)の3路線基本計画告示された。この基本計画において北陸新幹線は、東京都起点長野市附近富山市附近主要な経過地として大阪市終点とすることが示された。整備計画決定受けて北回り新幹線建設促進同盟会」は1972年7月に「北陸新幹線建設促進同盟会」と改称した翌年1973年昭和48年11月13日には前述の3路線加え東北新幹線盛岡市 - 青森市)、九州新幹線福岡市 - 長崎市)を含む5路線いわゆる整備新幹線)の整備計画決定された。北陸新幹線主要な経過地として「長野市附近富山市附近小浜市附近」が示され、その他「東京都高崎市間は上越新幹線共用する。」とされ、建設主体日本鉄道建設公団とされた。

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構想から整備計画の決定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 07:40 UTC 版)

九州新幹線」の記事における「構想から整備計画の決定」の解説

1969年昭和44年5月30日に「新全国総合開発計画」が閣議決定された。この中で主要開発事業構想として「福岡熊本を結び,九州南部に至る九州新幹線鉄道の建設進めとともに西九州新幹線鉄道東九州新幹線鉄道九州四国連絡新幹線鉄道中略)等の建設を図る。」と現在の九州新幹線相当する新幹線鉄道を含むいくつかの新幹線路線建設構想盛り込まれた。 1970年昭和45年)に全国新幹線鉄道整備法(以下全幹法)が公布された。この法律により、逼迫する幹線輸送力増強目的とした東海道・山陽新幹線とは異なり経済発展地域振興目的とした新幹線建設が行われるようになった1972年昭和47年6月29日基本計画決定7月3日全幹法第5条第1項規定による「建設を開始すべき新幹線鉄道の路線を定める基本計画」(昭和47年運輸省告示243号)により北海道新幹線青森市札幌市)、北陸新幹線東京都大阪市)、九州新幹線福岡市鹿児島市)の3路線基本計画告示された。この基本計画において九州新幹線福岡市鹿児島市)は福岡市起点として鹿児島市終点とすることが示された。 翌年1973年昭和48年11月13日には前述の3路線加え東北新幹線盛岡市青森市)、九州新幹線福岡市長崎市)を含む5路線いわゆる整備新幹線)の整備計画決定された。九州新幹線福岡市鹿児島市)は主要な経過地として「熊本市附近川内市附近」が示され建設主体日本国有鉄道国鉄)とされた。

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