構想から建設までとは? わかりやすく解説

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構想から建設まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 02:24 UTC 版)

名古屋第二環状自動車道」の記事における「構想から建設まで」の解説

名二環1960年代構想された。これは当時モータリゼーションの波急激に都心押し寄せていたことから、激増予想される自動車交通停滞抑止するために名古屋市外周取り巻環状道路として計画されたもので、まずは幅員25 mの一般道路のみの設置とされ、1957年昭和32年)に最初都市計画決定された。これ以後環状道路係わる必要な調査機能道路規格等が検討され1967年昭和42年)には幅員50-60 mの自動車専用部(高速道路)を併設できる街路として都市計画変更された。この時に計画され自動車専用部が名二環祖型である。当初専用部全線往復6車線設計速度80 km/h計画され構造高架式、ないし盛土式、擁壁であったまた、これと前後して環状道路内側都心郊外連絡する6方向放射道路建設のうえ名古屋環状2号線連結する計画併せて構想された。なお、放射道路の形が東西一路線、南北路線構成されることから、これが片仮名の「サ」の字に見えることに加え環状道路形状が「マル」であることから2つ合わせてマルサ計画」と呼ばれた計画ではマルサの内、サの字の部分名古屋都市高速道路計画として建設することとされ、その運営について名古屋高速道路公社が担うものとされた。 なお、1966年昭和41年)に国土開発縦貫建設法の改正により、国土開発幹線自動車道建設法が施行され全国に7600 km高速道路網計画された。この時、近畿自動車道名古屋大阪線および同伊勢線が予定路線組み込まれたが、環状2号専用部予定路線としての位置付けはこれを根拠としている。 環状2号名古屋市外縁一周する延長66 km環状道路であるが、そこに併設され専用部もまた環状自動車道として計画された。つまり、1998年平成10年3月以降伊勢湾岸自動車道」として運営されている名古屋南JCT - 飛島IC間は、元は環状2号専用部として計画された路線であった当初の計画変更機運芽生えたのは1969年昭和44年)頃で、名古屋港横断区間伊勢湾岸道路重複検討されたことに端を発する。この時は名古屋港横断する橋梁現在の名港トリトン)をダブルデッキとして計画し上路伊勢湾岸道路(4車線)、下路が環状2号専用部(6車線であった。よって2つ道路はあくまで別運用とされた。だが、建設コスト三千数百億円以上と莫大事業化見通し得られないことと、計画交通量減少することが判明したことから、2つ道路統合されることになり、シングルデッキの往復6車線となった。この併設区間名古屋港横断区間のみならず、のちに名四東IC(現、名古屋南JCT)から東海IC区間含まれる至り名古屋南JCT - 飛島IC間が専用部伊勢湾岸道路併設区間とされた。やがて伊勢湾岸道路必要性叫ばれるうになると、まずは緊急性が高い金城ふ頭飛島間に架かる名港西大橋一般有料道路として1979年昭和54年12月事業許可を受け、1985年昭和60年3月開通した。これが環状2号専用部(兼伊勢湾岸道路)として最初開通区間であった一方で専用部陸上区間計画具体化動き1978年昭和53年)頃であった東名阪自動車道蟹江ICから名古屋西IC延伸ようとしていた矢先名古屋西IC流出した交通名神高速道路一宮ICに向かう途中で名古屋市内を通過することによる交通麻痺発生心配されるにおよび、名古屋西IC一宮IC間を短絡する環状2号がどうしても必要との判断下された。だが、沿線事情予算不足から環状2号一般部建設早急に望めなかった。そこで一般部建設後回しにして、専用部国土開発幹線自動車道として公団方式早急に建設してもらおうとする案が出され、これにより専用部にあてる予算一般部回せることから一般部建設速度速めることができると期待された。国はこの案を受け入れ1978年昭和53年12月国土開発幹線自動車道建設審議会(国幹審)による決定経て近畿自動車道名古屋亀山線として名古屋IC - 名古屋西JCT間が基本計画路線策定、さらに1982年昭和57年3月には整備計画路線格上げされた。その8か月後には環状2号都市計画変更され環境的配慮から様々な構造的検討行なってきた事柄がここで都市計画として反映された。例えば、名古屋高速2号東山線接続部上社から高針変更されたこと、香流川矢田川横断区間橋梁式からトンネル式に変更されたこと、計画当初往復6車線片側3車線)の設計速度80 km/h高速道路として計画され規格往復4車線減じ設計速度60 km/h引き下げのうえ、庄内川から上社までの丘陵地帯では掘割構造変更したことなどが反映された。都市計画決定ののち、施行命令出され陸上区間専用部1988年昭和63年3月供用開始した。

※この「構想から建設まで」の解説は、「名古屋第二環状自動車道」の解説の一部です。
「構想から建設まで」を含む「名古屋第二環状自動車道」の記事については、「名古屋第二環状自動車道」の概要を参照ください。

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