モータリゼーションの波
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しかし、この時期からモータリゼーションの進展に伴い、日本各地の地方私鉄の運営環境は厳しくなってゆく。一畑電気鉄道も例外ではなく、1966年(昭和41年)以降は鉄道部門で赤字を計上するようになり、1967年(昭和42年)に589万人を輸送したのをピークとして、利用者が減少してゆくことになる。特に、一畑電気鉄道の沿線は早いうちに道路整備が進み、1975年(昭和50年)ごろまでにはほぼ道路整備が完了していたことから、マイカーへの逸走が進んだ。 駅業務の委託化や保線・電気業務の統合など合理化を進めたものの、経営は好転せず、1972年(昭和47年)度には累積赤字が5億円に達したことから、鉄道部門の運営を別会社への委託にすることを提案した。しかし、これは廃止につながるとして労働組合から反発を受け、ストライキも行われた。また、沿線自治体も一斉に廃止反対の意思を表明、大社町町議会では鉄道の存続要請を全会一致で可決し、1973年(昭和48年)には島根県と沿線自治体で「一畑電車沿線地域対策協議会」が結成された。こうした動きと、島根県の努力により1974年(昭和49年)以降は運輸省から欠損補助金が得られることになったことから、一畑電気鉄道では存続を前提としてさらなる合理化を進めることとなった。この時点ですでに鉄道部門の従業員数は170人にまで減少していたが、これをさらに110人にまで減少させた。その後も合理化は進められ、1973年(昭和48年)3月16日に貨物輸送を廃止、同年5月15日限りで特急列車の通年運行も取りやめられた。また、1978年(昭和53年)3月1日からは大社線のワンマン運行も開始された。駅の委託化や無人化も進められ、1984年(昭和59年)の時点では社員配置駅は平田市と松江温泉の2駅だけとなった。 その他にも電気部門社員を別会社への出向など、合理化が進められた結果、1984年(昭和59年)時点では鉄道部門の従業員数は72名までに減少した。当時、40.1kmと同程度の営業キロを有する筑波鉄道で従業員数が101名、逆に従業員数が同程度(69名)の栗原電鉄の営業キロは26.2kmしかなく、営業キロ42.2kmの鉄道としてはきわめて徹底的な合理化が行われたことになる。 これらの対策が功を奏し、利用者の減少傾向は止まらなかったものの赤字はいったん減少し、1980年(昭和55年)度からは補助金を近代化補助制度に変更した上で、一部車両の置き換えや重軌条化など、設備の更新を行った。しかし、会社負担率が高いことと、電力費の高騰などから1984年(昭和59年)度以降は再び欠損補助の制度に戻している。1992年(平成4年)3月25日からはプログラム式運行管理システム(PRC)も導入された。 合理化の一方でサービスの改善にも着手し、1982年(昭和57年)には電車とバスの乗継割引定期券を導入、1986年(昭和61年)には電車・バス乗継割引回数券やフリー乗車券類、さらに日中限定で60パーセントの割引率の「お買いもの定期券」の発行も開始した。また、1988年(昭和63年)には松江温泉駅で酒類の販売を開始、同年には松江市郊外で島根県開発公社が住宅地の造成を始めたのに対応し、県開発公社の費用負担により新駅が設置された。また、1989年(平成元年)には学生を対象に、15日間電車とバスが乗り放題となる「夏休み定期券」の発売も行われた。 このように合理化や割引乗車券の充実を行ったものの、乗客の減少には歯止めをかけることはできず、1992年(平成4年)度の輸送人員は171万人と、ピーク時の3割程度に減少してしまった。また、赤字額は年間で1億円を越える状態で、1992年(平成4年)時点で欠損補助を受給している鉄道事業者10社のうち、一畑電気鉄道はもっとも多額の補助金(1億8千万円)を受給している事業者であった。 また、合理化による経費節減の努力と比較すると、他の設備の更新については消極的ともみられていた。冷房車は1両も存在せず、1927年(昭和2年)に製造された手動扉の半鋼製車両が1990年代に入ってもほぼ毎日運用されていた。1981年(昭和56年)以降に西武鉄道から購入した車両は、車体こそ全金属製であったものの走行機器は吊り掛け駆動方式であった。駅施設も無人駅は荒れ果て、委託駅員が配置されている川跡でさえも廃屋に近い状況で、保線状態もあまりよくない状態であった。利用者から直接見える部分が旧態依然としたままの状態だったのである。その上、ある程度維持されていた運行ダイヤについても、1993年(平成5年)1月16日に行われたダイヤ改正の内容は、電力費や人件費の低減を狙って、運行本数を合計89本から72本に減回するという消極的な内容であった。
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