モータリゼーションの波と事業再編成
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「箱根登山バス」の記事における「モータリゼーションの波と事業再編成」の解説
1970年代に入ると、モータリゼーションの進展に伴い、路線バスの走行環境は悪化の一途をたどる。特に登山バスの主たる路線は国道1号という幹線でありながらカーブの多い山岳道路を経由しており、観光客を乗せたマイカーが特定の道路に集中することによる渋滞とそれに伴う利用者減は、登山バスに対して深刻な影響を及ぼすものとなった。このため、1982年より中型車の導入が開始され、通勤通学路線の開拓を進めた他、1985年からは地域密着経営の一環として、沿線の小学生の絵画を車内に展示する「ギャラリーバス」の運行を開始した。一方で、1978年からは箱根旧街道経由のバスを毎日運行に切り替えたほか、定期観光バスのコースを拡充したり、祭りに合わせて会員制ツアーバスの運行を行うなど、新規需要の開拓に努めた。1998年5月からは、箱根地区の施設を巡る循環バスの運行を開始した。 しかし、モータリゼーションの進行に加え、箱根地区を訪れる観光客自体が減少傾向となったことにより、バス事業をとりまく環境はさらに厳しくなったため、長距離路線の廃止や短縮などが行われた。また、1996年には秦野市内の登山バス路線については神奈川中央交通100%出資の湘南神奈交バスに移管した。 詳細は「神奈川中央交通西・秦野営業所#所管路線」および「湘南神奈交バス#秦野営業所」を参照 一方で、静岡県内では1971年(昭和46年)、東海自動車が小田急グループ入りしたことで小田急系バス会社が2社併存することになる。非効率な状態を解消し、将来的な東海自動車の地域別分社化の際には統合させることも視野に入れて、1998年(平成10年)4月1日付で沼津・三島地区の一般路線を分社化の上沼津箱根登山自動車を設立した。法的にはこの時をもって現社設立としている。 「東海自動車#伊豆急行線の開業と小田急グループ入り」も参照 さらに、2002年(平成14年)10月には小田急グループ全体の再編成が行われた。沼津箱根登山自動車の路線は全路線が沼津東海バスに譲渡された上、沼津登山東海バスと改称されたほか、熱海営業所は伊豆東海バスに統合された。残った箱根登山のバス部門は法人格上存続することになった沼津箱根登山自動車に譲渡、社名を箱根登山バスと改称した。これによって、静岡県内の路線バス事業からは撤退し、営業拠点は消滅した。 貸切バス事業についても、東京・横浜の各営業所については1996年に箱根登山観光バスに移管、1997年には横浜と東京の各営業所を移転の上統合したが、同社は2002年には営業を廃止した。また、小田原観光営業所の貸切バス事業は1994年(平成6年)設立の箱根湯本バスに移管された後に、2000年に湘南箱根登山自動車に社名変更した。その後、2010年には湘南箱根登山自動車を箱根登山観光バスに社名変更している。 詳細は「箱根登山観光バス#沿革」および「東海自動車#地域分社化と再統合」を参照 「小田急箱根ホールディングス#沿革」も参照 一方、2002年には登山電車と登山バスに共通のプリペイドカードとして「とざんカード」を導入し、同時にバス共通カードも導入したが、2005年度にはICカード化の流れで「とざんカード」の販売は中止された。2005年3月からは、箱根湯本駅と宿泊施設との間で観光客の手荷物を託送する「箱根キャリーサービス」の運営を開始した。 2004年度には、小田急グループと西武グループとの協力体制構築が発表されたことを受け、伊豆箱根鉄道バスとは共同歩調をとることになり、停留所名の統一などが行われた。さらに、2010年(平成22年)6月15日からは、伊豆箱根バス・小田急箱根高速バス・沼津登山東海バスと連携し、箱根地区の路線に系統記号を設定し、路線図も各社共通の様式で作成した上で各停留所や案内所で掲出することになった。 「箱根山戦争#その後の展開」および「伊豆箱根バス小田原営業所#現行路線」も参照 2016年(平成28年)4月1日、沼津登山東海バスは東海バスオレンジシャトルに社名変更。静岡県内拠点の消滅後も社名の上にあった登山バスの名残が消えた。 「東海バス沼津営業所#歴史」も参照 2020年(令和2年)2月1日、箱根登山観光バスを吸収合併した。
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