地域密着
地域密着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/21 05:41 UTC 版)
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地域密着(ちいきみっちゃく)とは、ある団体などが特定の地域に限定して、その地域を重点的に活動を行うことである。
歴史
元々は、スポーツ競技団体のJリーグが打ち出したクラブ運営の方向性を表す言葉である。ただ、最初にこの言葉をJリーグ自体が厳密に定義・説明をした事はなく、一般的には「理念」、「指針」、「標語」といった意味合いで受け止められている。このほか、「地域に根差す」等の表現が用いられる。
この考え方はJリーグ内部においてもクラブ関係者を中心に当初はなかなか理解されず、当時は同じ読売グループの傘下だったプロ野球・読売巨人軍を理想像として「全国区のチーム」を目指していたヴェルディ川崎などのように真っ向から反感を持たれることもあった。
しかし、90年代前半のバブル経済崩壊以降は、企業スポーツや企業スポーツの延長線上にあるプロ野球の行き詰まり、浦和レッズやアルビレックス新潟の商業的成功でにわかに脚光を浴びた。Jリーグ加盟を目指す地方都市の増加やプロ野球球団の地方移転・地域密着路線、Bリーグや野球独立リーグの四国アイランドリーグplus、BCリーグの発足等、日本スポーツ界全体に影響を与えている。
スポーツ界以外にも政治活動や経済活動等においても、いわゆる「キャッチフレーズ」の意味合いとして使われている[1]。
ローカルな活動形態としては「地域の子どもは地域で育てるもの」という考え方から、地域子ども会やスポーツ少年団を通して主に小学生年代までの期間を市町村や集落単位で長年行われている。
還元
従来の日本のスポーツは企業・学校に帰属し、そこに所属する一部の競技者のみが競技力の向上を目指して活動する事が主であった。
これを欧米に見られるスポーツクラブのように企業や学校と言う枠ではなく地域と言う枠で捉え、クラブが地域に対し、年齢・性別・競技レベルを問わず行える「総合スポーツクラブ」と呼ばれるスポーツ活動の場を提供する事により「スポンサーや自身の活動によって得られた利益を地域へ還元する」と言うものである。なお、Jリーグでは下部組織の保持が条件の一つとなっている。
運営
従来の企業スポーツ活動は社員に対する福利厚生と世間への宣伝広告の意味合いが強く、多くの企業では景気や経営状態が悪化した場合に最初に整理縮小の対象となる位置づけであるため、企業の業績次第ではチームそのものの休廃部などに至り易かった。
このような運営上の弱点を持たないために、一企業に支援を依存せずにクラブの地元の企業から広くスポンサーを募って活動資金を集め、そこで地元住民と地元企業のマッチングを図りつつ、一企業の業績に左右され難い運営体制となる事を目指している。
特にJリーグにおいては、親会社や大手スポンサーを持たないクラブにとって1999年の2部制導入以降生じた「降格」は存続を揺るがしかねない問題となりうるという理解が広がったため、クラブ経営を地域で支えようというコミュニティの形成が重要視されるようになった。2部制導入以降のクラブとしては、都市部でFC東京や川崎フロンターレが先行した他、ヴァンフォーレ甲府の経営モデルがJクラブを持つ他の地域都市へと波及していった[2]。
名称
従来の企業部活動やプロ野球において、チームは言わば企業の広告塔であり、企業名がチーム名となっていた。Jリーグでは企業名を入れる事を「ファンが限定される」「自治体との協力体制や市民参加が得難い」として認めず、チームの呼称を「地域名+愛称」とする事で「地域に根差したスポーツクラブ」としての存在を示すとしている。
また、地域名を冠することで地元住民の帰属意識を刺激し、集客などの経営面での好影響があるとの見方もある。
脚注
- ^ [R30]書評「超地域密着マーケティングのススメ」
- ^ 松橋崇史, 金子郁容,村林裕『スポーツのちから:地域をかえるソーシャルイノベーションの実践』慶應義塾大学出版会、2016年、117-122頁。
関連項目
外部リンク
地域密着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 11:57 UTC 版)
富士通サッカー部は1996年にプロ化を推進するにあたり、Jリーグの理念に沿った地域社会との共生を目指すことをテーマに掲げた。地元川崎市の各行政区でのサッカースクール(学校巡回スクール含む)の実施といったサッカーに関わることだけでなく、地域の市民・区民まつりへの参加、市内各商店街等の行事への選手らの派遣(お年始など)、また地元商店街加盟店舗などの協賛によるマン・オブ・ザ・マッチの表彰制度「あんたが大賞」、週末のホームゲームでのサイン会等を積極的に行うように務めた。特に、クリスマスシーズンに行われる入院児への訪問活動「青いサンタクロース」は毎年恒例の奉仕活動として定着している。 ホームタウンである川崎市も2004年9月に「川崎市ホームタウンスポーツ推進パートナー」を制定。フロンターレはこの創設メンバーとして認定を受けた。また、川崎市は他の地元企業・団体、またサポーター持株会と共に、運営会社の株式の一部を取得した。現在は富士電機・富士通グループ各社のほか、川崎市に本社や事業所を持つ企業・公益法人など36の団体が出資している。2016年からは男子バスケットボールのジャパン・プロフェッショナル・バスケットボールリーグ(Bリーグ)でとどろきアリーナをホームとする「川崎ブレイブサンダース」とのコラボレーション企画を発表し、ホームゲーム同日開催時のチケット割引サービスなどを実施している。 2006年はクラブ創立10周年に当たり、川崎市商店街連合会を通じ、市内の全商店街の街灯にチームの応援タペストリーを配布。2014年には同連合会に加盟する市内全域の11地区の商店街連合会 全てと市連合会の青年部が「あんたが大賞」として、フロンターレの主催試合で最も印象に残る活躍をした同チームの選手 に各地区の名産品などの商品を贈り、持株会の理事長には川崎市商店街連合会の相談役(元会長)である和田義盛が就任している。 また広報担当者のインタビュー記事には、後援会員の75%が等々力陸上競技場と富士通本店・川崎工場のある中原区、クラブ事務所のある高津区、そして市が整備しフロンターレが指定管理者となって2006年4月に開業した「フロンタウン・さぎぬま」(フットサル場)のある宮前区の3区在住者で占められる。 川崎競馬場で2006年11月2日にJBCマイル競走の前座として「祝10周年・フロンターレ特別」が行われた。 トップチームの麻生練習場がある麻生区では2009年に「麻生アシストクラブ」が発足した。「しんゆり・芸術のまちづくりフォーラム」内に事務所が置かれ、商店街や各種団体などが構成する同クラブを川崎市役所(麻生区役所)やフロンターレが後援する形を取って、同区内での広報・支援活動を展開する事になった。同クラブでは小田急電鉄の協力も受け、麻生練習場の最寄り駅である小田急多摩線栗平駅のホーム脇陸橋に告知看板を出すなどの活動をしている。 スポーツ交流パートナー事業以外の異競技交流では大相撲・中川部屋が川崎市にある という縁で、フロンターレのファン感謝デーに中川部屋の力士をゲスト出演として招き、フロンターレの主催試合では中川部屋の所属力士が同部屋のちゃんこを販売する屋台が競技場外の広場に毎回出店されていた。また、毎年1度は同部屋の力士が等々力陸上競技場を訪れ、相撲にちなんだイベントを行う「イッツァスモウワールド」 を実施していた。2014年は開催が途切れたが、2015年4月29日のJ1・1stステージ第8節、柏レイソル戦では2年ぶりに開催され、同部屋力士によるアトラクション、特製ちゃんこなどの飲食販売、等々力陸上競技場での枡席の設置、選手入場前の呼出による両チーム名の読み上げなどが行われた。なお、この時の開催は日本相撲協会も後援し、本場所(五月場所)のチケット販売、特製焼き鳥の販売、マスコット「ひよの山」の来場、始球式では振分親方(高見盛精彦)の参加した。2016年10月に春日山部屋が閉鎖されたため2017年は開催が見送られたが、中川部屋としての再興により2018年には再開された。2019年は中川部屋勢に加え、川崎市出身久々の幕内力士となった友風勇太(尾車部屋)が参加し、始球式を行った。2020年は新型コロナウイルスの影響により開催されていない。2009年からは毎年1回、両国国技館での本場所でフロンターレが告知してサポーターが集まる中川(春日山)部屋応援ツアーが実施された。2011年も九月場所(秋場所)9日目の9月19日に実施された。春日王は2011年4月に引退したが、同年の「イッツ・ア・スモウワールド」開催日となった5月3日のジュビロ磐田戦では春日王が試合前にグラウンドに登場して引退報告と今までの支援への感謝を述べ、5月28日に行われた春日王の断髪式には武田社長が参加した。 元プロボクサーの新田渉世が川崎市多摩区に開いている川崎新田ボクシングジムとも協力関係にあり、2011年8月16日にとどろきアリーナで行われた同ジム主催の興行ではふろん太が登場し、「日本マスコット級タイトル決定戦(非公認)」として一平くん(愛媛FC応援マスコット)と対戦して勝利した後、メインイベントだった黒田雅之の日本ライトフライ級タイトルマッチでのラウンドボーイを務めた。 2009年からは地元密着のための事業の一つとして、小学6年生用のオリジナル算数ドリルを作成し市内の小学校に配布している。これはプレミアリーグのアーセナルがロンドン市と共同で毎年製作している外国語学習教材にヒントを得たもので、初年度は市内の1校のみに配布されたが、2010年は前年のナビスコ杯準優勝の賞金を原資に市内の全小学校及び特別支援学校に配布先を拡大。2011年からは川崎市からも補助金が出るようになった。このドリルを題材とした小学生と選手の交流授業「算数ドリル・ゲストティーチャー」も行われている他、2011年には東日本大震災で被害を受けた岩手県陸前高田市の小学校にも同ドリルが寄付された 2016年3月現在、Jリーグが実施しているスタジアム観戦者調査において、2010年シーズンから5年連続で地域貢献度1位の評価を得ている。 毎試合、審判・両チーム選手入場前にサポーターが川崎市民の歌『好きです かわさき 愛の街』を歌うことが慣例となっている。
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