住民の生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 06:11 UTC 版)
「日本占領時期のインドネシア」の記事における「住民の生活」の解説
1979年の国際児童年を記念して、インドネシアの教育経済社会研究所とマスダニ財団が公募論文コンテストを行った。福祉担当調整大臣の協力により、優秀作を集めた書籍として『インドネシアへの歩み』が出版された。その論文の中には、日本占領時期の生活を伝える次のような記録が採用されている。 医療、食料事情 日本の圧政下で様々な病気が蔓延した。マラリアや疥癬等の皮膚病が特に多かった。薬のキニーネは入手困難だった。(中略)食糧事情は更に厳しかった。米の代わりに蒸しバナナや蒸し芋を食べている人も多く、それが更に病気をもたらした。(中略)綿布がなく死体はござやゴムで包んだ。葬式など当然なかった。 福祉 日本軍によるインドネシア占領期、特にジャワ島では住民の生活が困窮の度を深めていた。(中略)人々は日本軍の残虐な占領政策に恐怖心を抱き、何か行動をして目立つことを恐れた。そのため、孤児や浮浪児などを世話する福祉施設がなくなった。占領軍もこの問題には全く無関心だった。ジョクジャカルタにも施設はあったが、運営費がなく自然休業の状態だった。施設が再開されたのは独立後のことである。こうした事情から、占領期には多くの子供が放置されていた。
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