住民の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/25 07:38 UTC 版)
出土品は、連続してはいないものの、石器時代やローマ時代以前からすでにこの地で定住がなされていたことを示している。紀元前後にローマの歴史記録者は、ウァリスの戦いでローマの拡張が止まった辺りに集落があることを記録している。その後、この肥沃な土地にザクセン人のエンゲルン族が定住したが、ヴィドゥキントが治めていた800年頃にフランク人によって征服された。その後中世初期からは、フランク王国のガウの伯やヘルフォルト女子修道院が権力を握った。住民は拡張された国境地域の中の集落で農民として暮らしていた。その後、エルベン、エルプケッター、マルクケッター、ホイアーリングといった社会的階層が徐々に形成されていった。後の辺境分割後、貧しい農民の逃散はごくわずかであった。15世紀に亜麻を栽培し、リネンに加工する産業が興り、新たな生活の糧を得ることができるようになり、工業化の萌芽が見られた。重商主義の時代、リネン加工の家内工業はプロイセンによって奨励された。しかし、機械式織機の導入により低調となり、苦境に陥った労働者は移住を余儀なくされた。1860年頃から始まったタバコ産業が転機をもたらした。これはビュンデの企業家テニース・ヴェレンジークが中心となって興した産業であった。タバコ産業は、新たなケルン=ミンデン鉄道によって一層に盛んになり、この郡の産業分野を決定づけた。第二次世界大戦では事実上、郡庁所在地のヘルフォルトだけが大きな被害を受けたのだが、戦後ドイツのタバコ産業は技術的な遅れによって衰退し、(主にキッチン用)家具製造が新たな状況を生み出した。
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