逃散
逃散
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 07:20 UTC 版)
南九州の一向宗門徒は北陸の門徒のように「一揆」という形での抵抗は行わなかった。その代わり、土地を捨てて集団で逃げる「逃散(ちょうさん)」あるいは「欠落(かけおち)」ということが行われた。逃散は各地で単に生活苦から逃れるためにも行われたが、薩摩では念仏信仰を守るために念仏信仰が許されている隣接諸藩に逃亡する目的であった。寛政10年(1798年)には2800人の男女が薩摩藩領から隣の飫肥(おび)藩領に逃げ込むという事態が生じた。これには、実は労働力不足に悩んでいた飫肥藩がひそかに関係していたといわれている。飫肥藩では「欠落奉行」「逃散奉行」と呼ばれる奉行職を設けて逃亡農民に対応したという。
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