越訴
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越訴(おっそ)とは、再審などを求めて正規の法手続を踏まずに行う訴え。合法・非合法は問わない。
直訴と同一視される場合もあり、実際に両方を混同する要素も含まれているが、本来の性格としては直訴は「最高権力者」個人に対して訴えるのに対して、越訴は上級訴訟機関に対して訴えるものである[1]。
古代
律令法においては、裁判所の審級を越えて訴えを起こすことである。公式令によれば、訴えの起こす場合には地方においては郡司→国司→太政官、京においては京職→刑部省→太政官の順序を取ることが定められており(太政官で訴えが受理されなければ、天皇に上奏することが許される)、この手続に反する訴えをした場合には笞刑40の刑に課された(『闘訟律』)。また、これが受理された場合、受理した官吏も同様の刑に処された。
もっとも、訴訟機関である官司が不法に裁判を行われなかった場合や上訴を妨害した場合に越訴を行うことは例外的に認められていた。また、唐の『闘訟律』には官吏の車駕に対して直接訴えを起こすことは禁じられていた。日本の『闘訟律』は全文が残されていないため、この規定が存在したかは不明であるが、少なくても平安時代以前にこうした事件があったとする記録はない[2]。
中世
中世に入ると、再審制度として越訴制が導入されることとなる。御成敗式目では国司や荘園本所、地頭などの支配下にある名主・百姓がその許可なくして鎌倉幕府に直接訴えを起こすことを禁じる従来通りの越訴の禁止を定める一方で、再審制度としての越訴が導入された。鎌倉時代の再審制度には訴訟機関の不法を理由とした庭中と判決内容の事実誤認・過誤などを理由に起こす越訴の2つがあった。越訴は御成敗式目起請文の中にその存在をうかがわせる記述がある。当初は引付が管轄していたが、文永元年(1264年)には専門機関として越訴方が設置され、引付奉行人から選ばれた1ないし2名の越訴奉行人と審理を指揮する越訴頭人から構成された。
原判決に異論がある場合、引付に覆勘と呼ばれる再審を受けることが認められていたが、そこで納得の得られる判決が出されない場合には越訴方に提訴した。越訴方では越訴が正当と判断される場合には内談の場にて越訴頭人・越訴奉行人によって越訴状と落居事書(判決原案)との比較審理が行われ、先沙汰(原判決)が問題ありと判断された場合、御教書を発給して改めて奉行人を選定し、越訴頭人の指揮の下で正式な裁判が改めて開かれた。同様の制度は六波羅府や鎮西府でも採用された。
だが、得宗の権力が訴訟制度にも及ぶようになると、得宗の信任した引付の(原)判決に異議を唱えることを抑圧する動きが現れ、越訴方が一時廃止されたり、御内人が越訴方に登用されるなどの変化があった。また、越訴に提訴期限を設ける不易法が導入された。室町幕府には越訴奉行や内奏方、仁政方が設置されていたようであるが、次第に他の機関に統合されて廃止された。また、不易法が継承され、将軍の特別な許可がなければ沙汰落居から3年以内に越訴手続を取らないと受け付けられないこととなった。戦国時代には分国法によって越訴自体を禁じて原判決の遵守を強要する例も見られた(六角氏・長宗我部氏など)。
なお、『日葡辞書』には“越訴”を「一旦却下されるか和解するかした後に再びむしかえして新たに提起された訴訟」、“直訴”を“直奏”の派生語として「国王または大身の主君に自ら面と向かって申し上げること[3]、また口頭か文書かで直接訴え出ること」と記されている
近世
近世においては、訴訟の法に定められた手続を乱す違法行為一般を「越訴」と呼び、私的な相論とともにこれを禁じて、村役人・町役人を通じて(奥印を受けて)、所属する大名や代官に訴状を提出し、江戸幕府への訴えを要する場合には領主の添簡が必要とされ、これがなければ「差越願」・「筋違願」として違法とされた(慶長8年(1603年)「郷村掟」及び寛永10年(1633年)「公事裁許定」)。これは幕藩体制の維持のために全ての訴訟を法手続に沿って行わせようとしたものである。だが、実際に添簡が発給されることは少なく、このため訴訟を起こすことすら抑圧された人々は結果的に駕籠訴・駆込訴・捨訴・張訴などの直訴を用いて越訴を行う他無く、場合によっては門訴・一揆・強訴・打ちこわしなどの徒党を組んだ強硬手段を採らざるを得なくなった。直訴が越訴の手段として多用されたことによって、「越訴」=「直訴」という観念が江戸時代あるいは後世において広く定着することになる。
ただし、単なる越訴・直訴のみの法定刑は急度叱(厳重注意)に過ぎなかった[4]。ところが、越訴・直訴に際して徒党を組んだり、徒党によって一揆や強訴などの実力行使に及んだ場合はそちらの方が罪が重く、その指導者は極刑にされた[5][6]。義民とされた人々が極刑に処された理由としては、徒党を組んだことが問題視されたものであり、越訴・直訴そのものが直接の原因ではないことに注意を要する。
もっとも、幕藩体制の維持を重視していた江戸幕府や諸藩は、越訴そのものは禁じていたものの、下級役人の不正な行政・司法を放置することも許容できなかった。「郷村掟」でも、代官不正の場合の直訴は例外的に越訴が許容された。実際に越訴があった場合には、表面上訴えを受理せず処分の上で管轄役所への申し出を命じたものの、幕府・藩のお墨付きを得た訴えを管轄役所が受理しない訳にはいかなかった。更に江戸幕府自身も、正徳元年(1711年)に巡見使に対する出訴を処罰の対象外とし、享保6年(1721年)には改めて直訴を禁じるとともに、目安箱を設置して箱訴による合法的越訴が許容されることとなった。
脚注
- ^ 深谷『歴史学事典』
- ^ 瀧川『平安時代史事典』
- ^ ここまでは“直奏”の解説記事で、原本には直奏の下の欄に「直訴:同上、また~」と続いている(深谷『歴史学事典』)。
- ^ 平松『国史大辞典』及び安藤『日本歴史大事典』
- ^ 平松『国史大辞典』及び深谷『歴史学事典』。
- ^ なお、これとは別に訴えそのものが虚偽であれば重罪とされた。
参考文献
- 小林宏「越訴」『社会科学大事典 2』(鹿島研究所出版会 1968年) ISBN 978-4-306-09153-5
- 平山行三/平松義郎「越訴」『国史大辞典 2』(吉川弘文館 1980年) ISBN 978-4-642-00502-9
- 山本博也/深谷克己「越訴」『日本史大事典 1』(平凡社 1993年) ISBN 978-4-582-13101-7
- 瀧川政次郎「越訴」『平安時代史事典』(角川書店 1994年) ISBN 978-4-040-31700-7
- 安藤優一郎「越訴」『日本歴史大事典 1』(小学館 2000年) ISBN 978-4-09-523001-6
- 深谷克己「越訴」『歴史学事典 9 法と秩序』(弘文堂 2002年) ISBN 978-4-335-21039-6
- 上杉和彦「越訴」『日本中世史事典』(朝倉書店 2008年) ISBN 978-4-254-53015-5
越訴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 18:17 UTC 版)
宝暦4年8月27日(1754年10月13日)、石徹白では神主に次ぐ神職である神頭職の杉本左近、社人総代の上村重郎兵衛、桜井吉兵衛の3名は、江戸で幕府寺社奉行の本多忠央に訴状を提出した。訴状の内容は、まず白山中居神社の造営林の伐採問題と上村治郎兵衛の追放問題を取り上げ、神主の石徹白豊前は突然吉田家の門弟を名乗り、吉田家の権威を笠に着て石徹白を自らの思い通りにしようとしていると豊前の無法ぶりについて指弾し、更に石徹白の神主職は世襲ではなく、神職の中から選ばれて任命されるものであることを指摘したものであった。 杉本左近らが幕府寺社奉行に提出した訴状は一応受理された。しかし郡上藩主金森頼錦の実弟である本多兵庫頭の養父は幕府寺社奉行の本多忠央で、金森家と本多家とは縁戚でありお互い親しい関係にあった。石徹白の社人らから訴状が提出された話はさっそく本多家から金森家へと伝わり、両家間の話合いによって訴状は金森家に渡され、吟味自体も金森家側が行うこととなった。訴状を提出した杉本左近らはこれまで郡上藩が訴えを全く聞き届けてもらえなかった経緯を説明し、金森家ではなく寺社奉行の吟味を受けたいと主張したが聞き届けられなかった。 江戸の金森家に出頭した杉本左近ら3名を尋問したのは、金森家家老の伊藤弥市であった。伊藤は型通りの取調べを行った後、吟味を改めて郡上八幡で受けるようになだめすかし、足軽2名の護衛をつけて杉本らを郡上八幡へ送り返した。しかし、宝暦4年9月27日(1754年11月11日)、郡上八幡に到着した杉本ら3名は、幕府の寺社奉行に越訴を行ったのは不届きとして、吟味が行われることなく手錠をかけられた上に宿預けを言い渡され、更に5名の監視がつけられるという厳重な監禁状態に置かれることになった。その上、3名のうち上村重郎兵衛、桜井吉兵衛の2名は宝暦4年(1754年)12月末、石徹白豊前のもとに預けられて豊前による激しい糾明を受けることになった。上村重郎兵衛、桜井吉兵衛の2名は「命のある限り豊前には決して従わない」と激しく抵抗し、結局宝暦5年(1755年)2月末、上村重郎兵衛、桜井吉兵衛の2名は郡上八幡に戻された。そして宝暦5年5月3日(1755年6月12日)には杉本左近、上村重郎兵衛、桜井吉兵衛の3名は入牢が言い渡された。
※この「越訴」の解説は、「石徹白騒動」の解説の一部です。
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