市電開業からバス専業へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 09:36 UTC 版)
「川崎市交通局」の記事における「市電開業からバス専業へ」の解説
川崎市電・川崎市営トロリーバス・川崎縦貫高速鉄道の歴史については、各項目も参照されたい。また詳しい年表が、川崎市公式サイトの「年度別事業概要 (PDF) に記載されているので、そちらも参照されたい。 川崎市の公営交通は太平洋戦争末期に、路面電車である川崎市電の運行からスタートした。戦前の川崎市内の公共交通は南武鉄道および、川崎鶴見臨港バス(おおむね東海道線以南)・東京急行電鉄バス(同じく東海道線以北溝ノ口まで)・南武鉄道(同じく溝ノ口以北)のバス路線が主体となっていた。 だが戦争末期には、川崎駅から臨海部の軍需工場への通勤輸送が、既存のバスやトラックでは限界に達していたため、1944年(昭和19年)10月14日に川崎駅から臨海部の間で、まず市電の運行が開始された。 戦後になり、民営バス各社が運休中であったことから、川崎市は市民の足を確保する目的で市バス運行を計画し、1950年(昭和25年)12月15日に浜町三丁目~新丸子駅前間12.04kmで運行を開始した。 1951年、南武鉄道のバスを承継した立川バスより溝ノ口営業所を買収し、4路線(溝ノ口駅〜溝口〜蔵敷、溝口〜高津〜矢ノ口〜調布、高津〜成城学園前駅、登戸〜生田)を譲受。翌1952年このうち3路線を開業して市内全域を運行地域とする。この際、立川バス溝ノ口営業所が営業していた川崎市外の路線(矢ノ口〜調布、高津〜成城学園前駅)は譲受が認められず、そのまま廃止された。 また同年には、川崎駅前〜桜本でトロリーバスの運行を開始している。しかし、モータリゼーションの波や設備更新、経営合理化などの影響から、まず1967年にトロリーバスが、1969年には市電が廃止され、バス専業となった。 その後は先発の臨港バス・東急バス、川崎市内に進出してきた後発の小田急バスと競合しながらも路線網を拡充し、バス路線網は現在に至っている。 なおほかに川崎市内に乗り入れる一般路線を持つバス事業者は、京浜急行バス、神奈川中央交通、横浜市交通局がある。ただし、京浜急行バスは基本的に川崎区と東京都大田区とを結ぶ路線のみで、神奈川中央交通は麻生区の市バス営業エリア外での運行がほとんどである。横浜市交通局は横浜駅 - 川崎駅西口など一部路線が幸区を走行する。 このほか、1960年代の政府答申に基づき、1996年頃より川崎駅 - 新百合ヶ丘駅間の川崎市南北の拠点都市をつなぐ市営地下鉄「川崎縦貫高速鉄道」の整備が議決され、国の事業許可を得て着工に至ったが、2003年の一時的な川崎市の財政悪化を受けて、環境影響調査後の事業続行を中断した。 その後、当初計画で取得した新百合ヶ丘駅〜元住吉駅の免許を廃止し、新百合ヶ丘駅〜武蔵小杉駅の計画が進められ、22年で償還可能との試算がなされたが、2012年度で同事業の会計を閉鎖すると、それまで市営地下鉄建設を選挙公約として再選されてきた阿部孝夫市長(当時)が発表した。
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