東京急行電鉄とは?

東京急行電鉄

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東京急行電鉄株式会社(とうきょうきゅうこうでんてつ、: TOKYU CORPORATION)は、東京都南西部から神奈川県東部に路線を展開して鉄軌道事業などを行う日本会社である。略称は「東急」(とうきゅう)で、東急グループの中核企業。




注釈

  1. ^ 同じく関東の大手私鉄京浜急行電鉄(略称:京急)も、かつて公式通称は「京浜急行」だったが、現在は「京急電鉄」となっている。
  2. ^ 東急の単体売上高は2473億3300万円、営業キロ数は97.5km。一方、東京地下鉄の単体売上高は3320億800万円、営業キロ数は192.1kmである(2011年度)。
  3. ^ これは当時東映のオーナーだった大川博と東急側との間に溝ができ、東映側が独立したが、大川の没後東映社長となった東急派の岡田茂が取締役を務めるなど、東急との関係は部分的に残った
  4. ^ 堤家は、国土計画(後のコクド、株式非上場、2006年プリンスホテルに吸収合併され解散)を名義株(株式の虚偽記載)により支配し相続税を払わず、そのコクドの子会社であった西武鉄道の株の過半数を、これも名義株を使い実効支配することにより西武鉄道グループを私物化していた。
    『西武事件「堤家」支配と日本社会』吉野源太郎、日本経済新聞社、2005年5月20日。
    『西武争奪-資産2兆円をめぐる攻防』安西巧、日本経済新聞社、2006年4月20日。
  5. ^ 「コクド株や西武株を信頼出来る人々に、分散して持たせておいて、後で義明の元に全部戻してもらったのであった」「堤康次郎は選挙に金を注ぎ込まなければならないと考えた。陸運局の公聴会を利用して、選挙民を動員して公聴会に連れて行き、その謝礼という名目で金を渡した」株式の名義株(虚偽記載)の方法や選挙における買収の方法が西武の専属弁護士によって具体的に書かれている。 - 中島忠三郎『西武王国–その炎と影』サンデー社、2004年12月10日
  6. ^ 五島は資本による会社支配は行わなかったため、ファミリー企業(同族経営企業)ではなかったが、池上電鉄玉川電鉄京浜電鉄京王電軌などの会社を、あたかも札束(資本)をもって白昼強盗を働くように買収し「強盗慶太」と異名を頂戴した。 - 『私の履歴書』第一集 P20、日本経済新聞社1957年2月10日
  7. ^ 「理想的住宅地」の要件として1、土地高燥にして大気清純なること。2、地質良好にして樹木多きこと。3、面積少なくとも十万坪を有すること。4、一時間以内に都会の中心地に到着し得べき交通機関を有すること。5、電信、電話、電灯、ガス、水道などの完整させること。6、病院、学校、倶楽部等の設備あること。7、消費組合の如き社会的施設も有すること。をあげている。 - 『田園都市案内パンフレット』田園都市株式会社、1922年(大正11年)、1923年(大正12年)
  8. ^ 「理想的住宅地」における住宅の守るべき項目として1、他の迷惑となる如き建物を建造せざること。2、障壁はこれを設くる場合にも瀟洒典雅のものたらしむること。3、建物は三階建て以下とすること。4、建物敷地は宅地の五割以下とすること。5、建築線と道路との間隔は道路幅員の二分の一以上とすること。6、住宅の工費は坪当たり百二、三十円以上にすること。をあげている。 - 『田園都市案内パンフレット』田園都市株式会社、1922年(大正11年)、1923年(大正12年)
  9. ^ 「洗足のサイトプランが出来上がると、図面を印刷し、電車開通前に売り出した。1922年(大正11年)の5月頃だったと思う。畑の土を掘って計画通りの道筋だけをつけた。だから道筋以外には青麦がはえ、馬鈴薯の花が咲いていた。そこをお客さんたちは図面をてにして、気に入った場所を物色して歩いた」分譲は好調であった。 - 『随筆 街づくり わが町』渋沢秀雄、沿線新聞社、1971年(昭和46年)
  10. ^ 田園都市株式会社は渋沢栄一が「日本橋の紳商で日本橋クラブ(経済人の集まり)に出資を求め設立」し、中野武営服部金太郎などそうそうたるメンバーが参加していた。その渋沢栄一自身は、起業するとき「1、国家社会に有益なこと。2、担当者に人を得ること。3、それ自体で儲かること。」をあげていたのであるが、たしかに理想的な住宅地建設は国家社会に有益であるが、「事業のほうは経営者が素人ばかり」つまりその設立当時は、とても営利を目的としている企業とは言えず、渋沢栄一が実業界引退後に設立した事を含め稀有な会社であった。『矢野恒太伝』矢野恒太記念会、1957年(昭和32年)
  11. ^ 高級住宅地の代名詞となった田園調布-『高級住宅街の真実 セオリー2008 vol.2』講談社 2008年3月25日
  12. ^ 「私は田園調布の西側に半円のエトワール型を取り入れてもらった。この分譲地のサイト・プランを依頼した矢部金太郎君に注文をつけたのである」田園調布の街はエトワール型の道路を造り、街路樹を植え、広場と公園を整備し、塀は生け垣とし、庭を広くとり緑地の一部とし、街全体が庭園のようになっている。 - 『随筆 街づくり わが町』渋沢秀雄、沿線新聞社、1971年(昭和46年)
  13. ^ 「交通機関としては、目黒駅からこの住宅地まで電気鉄道を開通させます。すなわち、この電鉄は田園都市株式会社が巨費を投じて特に居住者に交通の便を提供するものであります」 - 『理想的住宅案内』田園都市株式会社、1922年(大正11年)
  14. ^ 渋沢栄一が45万坪の土地を抱えていた田園都市株式会社の経営に困っている時、第一生命保険の創業者で田園都市株式会社の大株主であった矢野恒太に経営を見てくれないかと言ったところ、同じ第一生命の役員であった和田豊治が「小林一三に知恵を借りたらどうか」とアドバイスした。矢野は小林に会って助力を求めた。最初は固辞したが、上京して話だけでもしてくれないかと懇願され、月に一度役員会に出席するようになり、田園都市株式会社を経営していった。 - 『矢野恒太伝』矢野恒太記念会、1957年(昭和32年)
  15. ^ 田園都市株式会社の経営に関し、小林は名前を出さず、報酬も受け取らず、月に一回日曜日のみ、という約束で経営を引き受け、玉川、調布方面の宅地開発と鉄道事業を進めたという。
    『中野武営と商業会議所』1017頁
    大阪府池田市にある小林一三記念館パネル展示(2011年9月閲覧)
  16. ^ 小林一三は、田園都市株式会社の役員に名は連ねていないが、実質的に経営しており、また1928年(昭和3年)5月から1936年(昭和11年)11月まで目黒蒲田電鉄および(旧)東京横浜電鉄の取締役に就き、五島慶太の後ろ盾となっていた。
  17. ^ 田園都市株式会社は、中野武営や服部金太郎などそうそうたるメンバーが参加していたが、渋沢栄一から経営を見てくれと言われた矢野恒太は「事業のほうは経営者が素人ばかり」と困り、また矢野から経営を依頼された小林一三もその経営を見て「呆れてものがいえぬ」と困り果てたのである。 - 『矢野恒太伝』矢野恒太記念会、1957年(昭和32年)
  18. ^ 「僕がどうやって五島慶太君をつかまえて矢野恒太さんに推薦したか内輪話を聞かせてあげる」小林一三は武蔵電鉄が持っていた田園調布から蒲田までの鉄道施設権が欲しかったのである。既に目黒蒲田電鉄は目黒から田園調布の施設権を持っていたが、蒲田まで延長すれば省線の駅同士を結ぶことができ、かつ乗車効率が高まるからである。また国からの補給利子(補助金)もより多く受けることができた。そこで武蔵電鉄の五島慶太をスカウトし、武蔵電鉄の施設権と五島慶太を一挙に手に入れたのである。 - 『小林一三と矢野一郎との対談』実業之日本、1952年(昭和27年)2月
  19. ^ 小林一三が五島慶太を目黒蒲田電鉄にスカウトする時「もしコンガラがった場合、目黒電車の開通がのびのびになると困る。そこで考えた」その当時、阪急神戸線の神戸乗り入れ線は、高架線で神戸に乗り入れるか地下線で乗り入れるかでゴタゴタしていた。神戸市会が地下線で建設することを条件に許可したのだが、阪急は高架線に変更し建設し始めたからである。そこで、小林一三は元鉄道省総務課長であった五島慶太を、まず阪急の顧問として招聘したのである。その関係を保ちながら目黒電車入りを勧め成功した。そして1927年(昭和2年)10月、阪急神戸線を全線高架式に変更すると申請しなおした。その後、五島の働きかけもあり内務省、鉄道省は阪急神戸線の高架計画の申請を許可した。「神戸市内高架線の成功は、五島顧問のおかげだった」阪急にとっても役立ったのである。 - 『篠原三千郎氏を偲ぶ』東京急行電鉄、1954年(昭和29年)
  20. ^ 小林一三から「荏原電鉄(後の目黒蒲田電鉄)を先に建設し、田園都市の45万坪の土地を売り、その利益で武蔵電鉄をやればいい」と説得され専務就任を決心した。- 私の履歴書 第一集 P12、日本経済新聞社1957年2月10日
  21. ^ 「東京市内の地獄絵みたいな無残さ、惨たらしさとはうらはらに、洗足地区は何と美しかったろう。まさに天国と地獄だった。最大の被害でも壁に亀裂が入り、レンガがズレ落ちた程度だった。」 - 『随筆 街づくり わが町』渋沢秀雄、沿線新聞社、1971年(昭和46年)
  22. ^ 東京横浜電鉄沿革史では姉妹会社と言う表現を使っているが「田園都市株式会社」「目黒蒲田電鉄」「(旧)東京横浜電鉄」は、その成立経過から資本も同じ、経営者も同じ、つまり事実上の同一会社である。[15]
  23. ^ 「渋谷〜丸子多摩川間は、目蒲線と並行路線であるので、目蒲線への影響が大きい。まず、丸子多摩川〜神奈川間を建設して目蒲線と直通運転を行うこと、そして目蒲線が成長してから渋谷線に着手すること」渋谷線の建設は目蒲線の経営が安定してからとなったのである。- 東京急行電鉄株式会社社史編纂事務局 1973 II 充実編、第一章 鉄道業の充実、1 東横線の建設、2)神奈川線の建設 神奈川線から着手した理由
  24. ^ 五島慶太は阪急での百貨店経営の成功を東横電鉄にも取り入れるため、1932年(昭和7年)4月からデパート建設を準備した。それに伴い従業員を阪急百貨店だけでなく、高島屋松坂屋にも研修に出したが、老舗百貨店であった三越はこれを拒否した。また、1934年(昭和9年)11月、東横百貨店が開業してからも、五島慶太が「呉服会を改称した日本百貨店協会」に参加しても三越からは相手にもされなかった。その後、1938年(昭和13年)、三越取締役でもあった故・前山久吉の遺族から三越株を買わないかと話があり、「幸い東横百貨店を経営しているから、三越と東横百貨店を合併して、東横百貨店を三越の渋谷支店にしてみたらどうだろう。と三越株の10万株を買った」。 三越株の6分の1を買い占めたいわゆる「三越乗っ取り事件」である。この三越は慶応閥であり、塾員である小林一三から「渋谷のような田舎の百貨店が三越を買収するのは、蛙が蛇を呑むより無理」といわれ、また慶応閥であった三井銀行とそれに呼応して三菱銀行からの東横電鉄に対する融資が停止され、結局、三越買収を断念した。しかしこの時、90円で買った三越株を150円で全株売却し、膨大な売却益を得たのであった。
    「私の履歴書」第一集、五島慶太、8.「三越の乗っ取り失敗」P18-20、日本経済新聞社1957年(昭和32年)2月10日
    「東急外史 顔に歴史あり」第四話「三越乗っ取り事件とその裏にうごめくもの 取り押さえ損ねた”ライオン”」P109-120、沿線新聞社、1982年(昭和57年)4月15日
  25. ^ 「私は小林一三の知恵をかりた。まま教えを受けたというところだ。実業家になって以来三十年間というもの、何でも彼に相談した。そして小林一三を後ろのつっかい棒にした。倒れかかると小林がつっかい棒をしてくれた。私は小林一三に敬意を表している」東急は「阪急の小林の手法」を用いたというより、小林一三が五島慶太の後ろ盾となり、田園都市株式会社、目黒蒲田電鉄、(旧)東京横浜電鉄の経営に直接、間接に関与していたのである。 - 五島慶太「70年の人生」要書房、1953年(昭和28年)
  26. ^ 「東急の経営は阪急の方針をとり、全て小林イズムを踏襲して参りました」 - 五島慶太、小林一三追悼式での言葉、1957年(昭和32年)3月8日、東京宝塚劇場に於いて。
  27. ^ 「蔵前の1万2千坪の土地は、間もなく復興局の材料置き場として240万円(売却益は150万円以上、簿価より計算、五島は180万円と記載)で買収されたので、私はこの金で武蔵電鉄の株式の過半数を買収した。名称を東京横浜電鉄と改め、いよいよ東横線の建設に着手した」1924年(大正13年)1月8日、田園都市株式会社は、大岡山所在の社有地9.2万坪と蔵前所在の東京高等工業学校(現・東京工業大学)敷地1.2万坪と等価交換、同年6月、蔵前の土地は震災復興局に転売、震災による土地高騰もあり、240万円で買収され、その売却益で武蔵電鉄の株を購入することにより東横線建設の資金とした。 - 五島慶太『70年の人生』要書房、1953年(昭和28年)
  28. ^ 「慶応義塾の敷地を拡張移転せしむべしとの論が起り、関東大震災で被害復旧が一段落を告げる頃から、ようやく郊外に広き土地を買い入れ、主に予科を移転し、候補地を神奈川県に求める」との論起り「かくするうち、東京横浜電鉄から、日吉台の土地七万二千余坪を無償提供すると申出あり」「この間、東京横浜電鉄株式会社の関係者の一人である塾員小林一三は終始好意的に斡旋につとめた」、慶応の卒業生であった小林一三は母校の日吉への誘致に積極的に関与する。 - 『慶応義塾100年史』慶応義塾大学、1964年(昭和39年)
  29. ^ 最寄りの駅・都立大学駅の名称は、柿の木坂駅から、府立高等前駅、府立高等駅、都立大駅に、校名と伴に改称された。大学は八王子市に移転して名称も変更されたが、駅名は変更されず存続している。ただし首都大学東京は2020年度から再び「東京都立大学」に改称される予定である。
  30. ^ 最寄りの駅・学芸大学駅の名称は、碑文谷駅から、青山師範駅、第一師範駅、学芸大学駅に、校名と伴に改称された。大学は移転したが駅名は存続している。
  31. ^ 1920年(大正9年)3月6日、田園都市株式会社傘下の荏原電気鉄道に大井町 - 調布村間の地方鉄道敷設免許がおり、同年5月18日、田園都市株式会社は施設免許を譲り受け、1921年(大正10年)2月15日には大崎町 - 碑衾村間の鉄道敷設免許もおりる。しかし鉄道省が「文化住宅地からの通勤線としては山手線と直結すべき」と助言したため、大井町までの建設より、まず目黒から多摩川台(田園調布)まで目黒線の工事を先行し、大井町線の建設はその後となったのである。 - 「田園都市株式会社、設立趣意書・目論見書・定款」認可申請の添付書類より。田園都市株式会社、1922年(大正11年)
  32. ^ 渋谷周辺の急勾配や東京横浜電鉄との乗り換えなど路線設置上の問題から、玉川電鉄の社有地に東京高速鉄道の渋谷駅を作りたかったのである。玉電買収後の1938年12月に玉電ビル(4階建)が完成、その3階に銀座線のホームと改札が作られた。その後増改築を繰り返し、1954年11月、東横百貨店東横店西館(11階建)と改称された。2019年現在、東京メトロの駅が民間のビルにあるのはこの時の名残である。
  33. ^ 五島慶太が「東横線が我々の祖業である、この線が滞りなく走っていれば東急の事業は安泰だ」と語ったように(旧)東京横浜電鉄は(新)東京横浜電鉄における事実上の主力となった。-『日本の私鉄 東京急行電鉄』毎日新聞社 2011年1月30日
  34. ^ 大東急発足前の小田原急行鉄道、その後の(旧)小田急電鉄は、現在の小田原線江ノ島線京王電鉄井の頭線(元の帝都電鉄)を経営していた。
  35. ^ 田園都市株式会社の大株主であり1921年(大正13年)10月から1928年(昭和3年)5月まで(旧)東京横浜電鉄の会長・社長を務め、1927年(昭和2年)4月から1928年(昭和3年)5月まで田園都市株式会社と目黒蒲田電鉄の社長を務めていた。この経緯もあり、現在でも第一生命が東急電鉄の筆頭株主である[25]
  36. ^ この時の「京浜電気鉄道との品川までの施設権」は後の営団地下鉄が引き継いだのであるが、戦後の復興期に、営団だけでは地下鉄道の建設が追いつかないという東京都の主張が受け入れられ、1956年(昭和31年)都市交通審議会の答申で1号線(都営地下鉄浅草線)として戦前からの東京市の念願だった地下鉄道を実現することになり、また同時に泉岳寺駅での京浜急行との乗り入れもかなった。
  37. ^ 1939年(昭和14年)4月21日、五島慶太が京浜電鉄の取締役に、また湘南電鉄の専務取締役に選任された。
  38. ^ 相互乗り入れするまでの8か月間、新橋駅に東京高速鉄道と東京地下鉄道のホームが別々に存在していた。現在利用されているのは東京地下鉄道のホームであるが、東京高速鉄道のホームも残存しており車両留置や資材置き場などに活用され、また幻のホームとして特別イベントで公開されることがある。
  39. ^ 東京地下鉄道の株を、東京高速鉄道(東横電鉄)の五島慶太が買収したのであるが、「この時は鉄道省だけでなく、政界、日本銀行を含む財界を巻き込む騒動となってしまった。」この騒動を陸上交通事業調整法を用い「いわば、けんか両成敗で」仲裁に持ち込み、その後、帝都高速度交通営団として吸収してしまったのは、五島慶太の東京帝国大学法学部、および鉄道省の後輩、佐藤栄作(後の内閣総理大臣)であった。 - 『今日は明日の前日』佐藤栄作、フェイス社、1964年(昭和39年)
  40. ^ 京王は電力国家管理法が交付されるまでは業績が良好であったこともあり、会長であった井上篤太郎は「我が城(京王)は小さくともダイヤモンドだ。東京急行は規模はでかいかも知れないが瓦礫の山だ」と言って、東急との合併に最後まで反対した。 - 「東急外史 顔に歴史あり」沿線新聞社、1982年(昭和57年)
  41. ^ 五島は「時にはやむを得ず、株買い占めという強硬手段も採らざるをえないこともあったが」と言っている。 - 『私の履歴書』第一集 P20、日本経済新聞社1957年2月10日
  42. ^ 五島は「世間で言うような単に私の征服欲、事業欲のためのみでなく、東横電鉄の社員を愛し、その老後の生活までを考え、あわせて会社の総経費を分割して、経費を下げるということからやったことである」と言っている。 - 『私の履歴書』第一集 P20、日本経済新聞社1957年2月10日
  43. ^ (旧)小田急系の帝都電鉄は、乗り換え運賃の問題もあり、(旧)小田急電鉄とは分離、京王帝都電鉄に合併され、京王井の頭線となった。
  44. ^ 田園都市株式会社が開発した45万坪(148万平米)の約11倍の規模である。
  45. ^ 1968年(昭和43年)4月、つくし野まで延伸、1972年(昭和47年)4月、すずかけ台まで延伸、1976年(昭和51年)10月、つきみ野まで延伸、全線複線化完成、1984年(昭和59年)4月、中央林間までの全線開業。
  46. ^ 日比谷線では当初から北千住側で、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)とも相互乗り入れをしているが、東横線からの車両の乗り入れは北千住駅までで、営団の車両(3000系03系)でも東横線との運用の場合は乗り入れは北千住駅までとなり、その後開通した東京メトロ千代田線のように3社(3線)をまたいで乗り入れることはなかった。
  47. ^ a b 目黒線は線路戸籍上は目黒 - 田園調布間であるが、東横線の複々線のうち2線を利用して2000年8月6日から武蔵小杉駅まで運行、2008年6月22日に日吉駅まで延長して運行している。
  48. ^ 田園調布から日吉までの複々線区間は、目黒線に乗り入れている都営三田線と埼玉高速鉄道を含め計7社が乗り入れている。
  49. ^ ただし、日比谷線の車両の分解・検査業務が東京地下鉄鷺沼車両基地で行われているため、中目黒駅 - 鷺沼駅間の回送運用は存続している。
  50. ^ 親会社である田園都市株式会社は1918年(大正7年)9月に設立されたが、目黒蒲田電鉄は1922年9月に、子会社として分離され設立された。
  51. ^ 後の岡山医専、現・岡山大学医学部
  52. ^ 東京帝国大学法学部独法を主席卒業、五島慶太の同級生でもあった。同期で仏法を主席卒業した芦田均は後の総理大臣。
  53. ^ 東横線との直通運転終了後の2013年3月16日からは東武日光線南栗橋駅まで相互直通運転を実施している。
  54. ^ 『東京急行電鉄50年史』による。『京浜急行八十年史』では1943年(昭和18年)に品川線と湘南線が統合され品川 - 浦賀間と付随する支線を湘南線としたとする記述があるが、『東京急行電鉄50年史』では営業局制から管理部制の変更の項、戦時中の駅休廃止の項、戦後の京急独立の項のいずれにおいても一貫して旧京浜線を品川線、旧湘南線を湘南線としており、1943年の路線名統合の記述はない[50][51]。また、「京浜急行復活を告げるポスター」など、京急側においても京急独立時まで「品川線」「湘南線」の区分けがあった資料が散見される[52]
  55. ^ 運用離脱した車両のうち、廃車や転用を前提にした車両の呼称であるが、事故等で使用不能になった車両と代替できるように常に運行可能状態としているため、実態は特別休車と同類の呼称である(イカロス出版『私鉄車両年鑑2013』p269)
  56. ^ 別々に購入すると大人1,170円、小児590円。
  57. ^ 東急線の駅窓口では購入できないものや乗車券の効力、特典の内容が異なるものがある。
  58. ^ 各駅時刻表 - 冒頭部に『<3月17日ダイヤ改正に伴う、東急電車時刻表(冊子タイプ)の発行について>今般、パソコンや携帯電話等の普及により、時刻表への需要が減少傾向にあることから東急電車時刻表の発行は見送らせていただきます。 冊子タイプの時刻表をご希望のお客さまにおかれましては、市販の時刻表等をご利用頂きますようお願い申し上げます。』と記載(東急電鉄ウェブサイト 2012年5月27日閲覧)

出典

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  3. ^ 渋沢栄一記念財団.
  4. ^ 東急グループとは - 東京急行電鉄(2018年3月31日閲覧)
  5. ^ 女性活躍に優れた上場企業を選定「なでしこ銘柄」 経済産業省 2018年9月18日。6年連続選定は東急とKDDIとの2社のみ。
  6. ^ a b 商号変更および定款一部変更、子会社(鉄道事業の分社化に向けた分割準備会社)の設立に関するお知らせ (PDF) - 東京急行電鉄、2019年3月27日
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