とうきょうきゅうこう‐でんてつ〔トウキヤウキフカウ‐〕【東京急行電鉄】
東急電鉄
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東急電鉄株式会社[1](とうきゅうでんてつ、英: TOKYU RAILWAYS Co., Ltd.[2])は、東京都渋谷区に本社を置き[1]、東京都区部南西部から神奈川県東部に有する路線で鉄道・軌道事業を行っている会社。事業持株会社である東急株式会社の100%子会社であり[5][6]、東急グループの中核事業[7] である鉄道事業を東急株式会社(旧・東京急行電鉄株式会社)から継承した事業会社である。日本の大手私鉄の一つである。
- 1 東急電鉄とは
- 2 東急電鉄の概要
東京急行電鉄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 07:26 UTC 版)
東京急行電鉄(東急)では運用離脱した車両は緊急予備車もしくは休止車両としているが、両者には明確な違いがある。 緊急予備車は運用離脱後も稼働車両が事故等で使用不能になった車両と代替できるように運行可能状態としている車両である。このため、廃車や転用が決定するまでは緊急予備車としている。休止車両は車種として定義できない車両を指している。いずれにしても実態は旧国鉄の第二種休車に近いものである。
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東京急行電鉄
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「小田急1500形電車」の記事における「東京急行電鉄」の解説
1947年11月にデハ1458とクハ1502は小田原線に転属となった。なお、この際にクハ1502の台車をTR-10からD-18に交換している。 転属した当初は、井の頭線で使用されていたそのままの状態で、外部塗装が緑1色であったことから、乗務員からは「青大将」と呼ばれていた。また、制御装置・制動装置もそのままであったため、小田急の他の車両とは連結ができず、専ら2両編成で単独運用に入っていた[要出典]。また、戦後の復興期の1800形の導入が一段落した頃より1800形・1600形形および当時1600形の制御車であったクハ1315とともに、デハ1458、クハ1502についても窓ガラスやシート地などできる限りの整備を施して「復興整備車」の看板を掲げて運用した。
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東京急行電鉄(廃止)
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2004年1月30日までは東京急行電鉄(現:東急電鉄)東横線の終着駅だったが、2日後の2月1日の横浜高速鉄道みなとみらい線の開業により東横線が横浜駅からみなとみらい線への相互直通運転を開始したため、廃止された。 1932年(昭和7年)3月31日:東京横浜電鉄(のちの東京急行電鉄)の東横線が高島町駅から延伸開業し、その終着駅として開業。 1956年(昭和31年)9月10日:高島町 - 当駅間が複線化。 1971年(昭和46年)2月20日:駅業務システムの自動化モデル駅として、祐天寺駅、学芸大学駅と共に自動改札機を設置(5台)。自動券売機を磁気券化し、エンコード可能な定期券発行機を新設した。 2001年(平成13年)3月28日:ダイヤ改正により東横線の特急運行が開始。 2004年(平成16年)1月30日:横浜高速鉄道みなとみらい線の開業に伴い、この日の終電をもって営業終了。 1月31日:廃止。 2013年(平成25年)7月:東横線の旧桜木町駅駅舎を解体完了。 右側中央の「停車場」が、初代横浜駅。(明治14年(1881年)発行の地図) 初代横浜駅 駅舎 初代横浜駅 全景 桜木町駅 駅舎 1946年、桜木町駅前で市電を待つ人々(右端が2代目駅舎) 創造空間9001に残る東急東横線の案内表示(2009年6月6日)
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東京急行電鉄(廃止)
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かつての終着駅だった東横線は、横浜高速鉄道みなとみらい線の開業に伴い、2004年1月31日付けで横浜 - 当駅間が廃止された。廃止時の駅構造は島式ホーム1面2線の高架駅であり、JRから続いて5・6番線となっていた。駅出入口の看板はフォントが写研・ゴナ(欧文はHelvetica)で表記が「東京急行 桜木町駅」であった。旧駅舎は2013年7月に解体が完了した。なお、廃線跡では高架を有効活用した遊歩道を整備する方針である(詳細は「東横フラワー緑道#関連する遊歩道整備計画」を参照)。
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東京急行電鉄
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「小田原急行鉄道モニ1形電車」の記事における「東京急行電鉄」の解説
1941年に小田原急行電鉄から改称した小田急電鉄が1942年に東京横浜電鉄、京浜電気鉄道に合併して東京急行電鉄となったことに伴い、モユニ1形は形式をデユニ1000形に変更し、デユニ1001・1002に改番した。 第二次世界大戦後も荷物・郵便列車は引続き新宿 - 小田原間2往復の運行であった。また、この頃に車体塗装を緑色一色に変更している。
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東京急行電鉄
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「小田原急行鉄道101形電車」の記事における「東京急行電鉄」の解説
1942年には東急に合併したことから形式が東急デハ1200形に変更され、全車両が改番された。改番後の番号は、旧101形がデハ1201からデハ1212まで、旧121形がデハ1213からデハ1215まで、旧131形がデハ1216からデハ1218までのそれぞれ連番となっている。 小田原線・江ノ島線では戦災による車両への大きな被害はなく、デハ1200形では空襲による損傷はなかった。 終戦後の1947年9月1日ダイヤ改正での運用状況は以下の通り。 新宿 - 小田原:HB車もしくは1600形、McTcMcの3両編成×6運用 新宿 - 片瀬江ノ島:HB車もしくは1600形、McTcMcの3両編成×5運用 新原町田/大秦野 - 小田原:HB車もしくは1600形、McTcもしくはMcMcの3両編成×4運用 新原町田 - 片瀬江ノ島:HB車もしくは1600形、Mc1両×3運用 藤沢 - 片瀬江ノ島:デハ1150形、McMcの2両編成×6運用 新宿 - 稲田登戸:1800形、McTcの2両編成×6運用 新宿 - 成城学園前:デハ1150形もしくはHB車、McMcの2両編成×2運用と、HB車、McTcの2両編成×3両 進駐軍専用もしくは予備:デハ1150形、Mc1両×3運用 予備:HB車、McTcMcの3両編成 また1947年8月1日時点でのデハ1200形の不完全車両は以下の通りであった。 主電動機取外、電動空気圧縮機・電動発電機不良:デハ1217 東京急行電鉄における改造履歴は以下の通り。 時期不明:デハ1217に乗務員室左側に乗務員扉が設置されたが、乗務員室内の機器の関係で使用できず締切となり、扉の上からウィンドウ・シルを巻くような状態になった。 1946年:モハ101形のトイレを撤去、なお、撤去した箇所には座席は設置されなかった。
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東京急行電鉄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 18:00 UTC 版)
8590系(東武乗り入れ非対応):中間車は8090系。運用は限定されていた。
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東京急行電鉄
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「小田原急行鉄道201形電車」の記事における「東京急行電鉄」の解説
1942年に東京急行電鉄に合併したことから形式が東急デハ1350形・クハ1300形に変更され、全車両が改番された。改番後の車両番号は、旧モハ201形がデハ1351から、旧モハ251形がデハ1367から、旧クハ501形がクハ1301、旧クハ551形がクハ1306からのそれぞれ連番となっている。 小田原線・江ノ島線では戦災による車両への大きな被害はなかったが、デハ1353・1361およびクハ1309が空襲により一部損傷し、1945年10月に修理を完了している。 1945年には、デハ1600形デハ1601-1610の制御車としてクハ1650形クハ1651-1653とともに使用するため、クハ1315の制御回路が改造された。1948年には特急の運行が開始されて1600形の中から整備された車両が使用されたが、1600形の制御車として使用されていたクハ1315も1回だけ特急に使用されている。また、1947年5月27日にデハ1602・1604・1607・1608およびクハ1651とともに国鉄に貸出され、同車は同年10月まで南武線で運行されていた。なお、その後1949年にデハ1350形の制御車に戻されている。 終戦後の1947年9月1日ダイヤ改正での運用状況は以下の通り。 新宿 - 小田原:HB車もしくは1600形、McTcMcの3両編成×6運用 新宿 - 片瀬江ノ島:HB車もしくは1600形、McTcMcの3両編成×5運用 新原町田/大秦野 - 小田原:HB車もしくは1600形、McTcもしくはMcMcの3両編成×4運用 新原町田 - 片瀬江ノ島:HB車もしくは1600形、Mc1両×3運用 藤沢 - 片瀬江ノ島:デハ1150形、McMcの2両編成×6運用 新宿 - 稲田登戸:1800形、McTcの2両編成×6運用 新宿 - 成城学園前:デハ1150形もしくはHB車、McMcの2両編成×2運用と、HB車、McTcの2両編成×3両 進駐軍専用もしくは予備:デハ1150形、Mc1両×3運用 予備:HB車、McTcMcの3両編成 また1947年8月1日時点でのデハ1350形、クハ1300形の不完全車両は以下の通りであった。 電動発電機不良:デハ1355・1365、クハ1301・1303・1305
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東京急行電鉄
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「小田急1600形電車」の記事における「東京急行電鉄」の解説
1941年に小田原急行電鉄から改称した小田急電鉄が1942年に東京横浜電鉄、京浜電気鉄道に合併して東京急行電鉄となったことに伴い、601形および製造途上の1000形は、それぞれクハ1650形クハ1651-1653、デハ1600形デハ1601-1610に形式・番号を変更した。 デハ1600形の運用は2両編成が多く、1もしくは3両編成での列車もあったが、ほとんどが近郊区間で使用されており、直通列車での運用は少なかった。また、1942年に導入されたクハ1650形クハ1652は当初よりドアエンジンを設置しており、同じく1941年以降順次ドアエンジンを設置していたデハ1350形と編成を組んで使用されていた。運行ダイヤの面では、戦時陸運非常体制が1942年11月より実施され、1943年4月1日より相模鉄道乗入れ中止、同年11月16日より江ノ島線藤沢 - 片瀬江ノ島間の単線化が実施され、さらに同年4月1日より運転時分が伸ばされ、翌1944年11月には急行列車が廃止された。その後1945年6月からは新宿 - 小田原・新宿 - 片瀬江ノ島間直通列車の各駅停車化と電力使用量削減と車両保護のための主制御器の並列段使用禁止・直列段のみでの運転(自動進段の1600形においては2ノッチまでの使用)の実施、運行本数の大幅削減などが実施され、新宿 - 小田原間159分、新宿 -片瀬江ノ島間122分の運転となった 。 しかし、小田原線・江ノ島線では戦災による車両への大きな被害はなく、1600形では空襲による損傷もなく、また1947年8月1日時点では小田原線・江ノ島線においては主電動機取外しや補機不良などの状態不完全車が12両、火災等による特別休車が3両あったが、1600形は全車が稼働状態にあった。 終戦後の1947年9月1日ダイヤ改正では、戦時中よりも若干の所要時間短縮が図られて新宿 - 小田原間132分運転となり、その時点での運用状況は以下の通りであった。 新宿 - 小田原:HB車もしくは1600形、McTcMcの3両編成×6運用 新宿 - 片瀬江ノ島:HB車もしくは1600形、McTcMcの3両編成×5運用 新原町田/大秦野 - 小田原:HB車もしくは1600形、McTcもしくはMcMcの3両編成×4運用 新原町田 - 片瀬江ノ島:HB車もしくは1600形、Mc1両×3運用 藤沢 - 片瀬江ノ島:デハ1150形、McMcの2両編成×6運用 新宿 - 稲田登戸:1800形、McTcの2両編成×6運用 新宿 - 成城学園前:デハ1150形もしくはHB車、McMcの2両編成×2運用と、HB車、McTcの2両編成×3両 進駐軍専用もしくは予備:デハ1150形、Mc1両×3運用 予備:HB車、McTcMcの3両編成 この時期における改造履歴は以下の通り。 1945年:デハ1601は1945年4月20日に喜多見駅構内での追突事故により前面を大破した。このため、1946年5月29日の経堂工場の火災により全焼したデハ1350形デハ1356の復旧工事の際に機器を流用して休車となったが、1947年に方向転換して片運転台の制御車代用となり、1948年には機器を復旧して電動車に戻された。 1945年:クハ1300形クハ1315の制御回路を改造し、クハ1650形とともにデハ1600形の制御車として使用した。後述の特急にも1回だけ使用され、また、同じく後述の国鉄南武線への貸出にも使用されている。なお、その後1949年にデハ1350形の制御車に戻された。 時期不明:両運転台であったクハ1650形の運転台のうち、ほとんど使用されていなかった新宿寄の運転室を撤去。なお、乗務員室扉はそのままとされ、室内も座席は設置されなかった。 1945年頃:クハ1650形の制御装置を交換し、HL車の制御車から1600形の制御車となった。なお、クハ1650形は片運転台化・乗降扉存置の状態の竣工図においては、クハ1651・1652の台車はKS-30-L、クハ1653の台車はKS-31-Lで、制御装置は3両ともABFであった。 時期不明:片運転台化後も残っていたクハ1650形の新宿寄の乗降扉を撤去して他の箇所と同じ側面窓を設置。 時期不明:クハ1650形の台車をTR11に交換。なお、クハ1651の台車はTR11となる前に一時KS-31-LからKS-30-Lに交換された。
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東京急行電鉄(廃止)
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2004年に、東横線がみなとみらい線と直通運転を実施するために横浜 - 桜木町間を廃止した際に、当駅も廃止となった。廃止後、線路などの施設は概ね撤去されているが、当駅のプラットホームは上屋が撤去されたのみで残存している。 各駅停車のみの停車だった。 のりばは、島式ホーム1面2線の高架駅であった。
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東京急行電鉄(東急バス)
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「都市新バスシステム」の記事における「東京急行電鉄(東急バス)」の解説
東京急行電鉄(現:東急バス)では、1986年に約6億7千万円を投じて「東急バス新交通システム」と呼ばれる都市新バスシステムが導入・整備された。対象は以下の4路線6系統である。開発は三菱電機。 導入路線 目黒通りを経由する路線が対象となった。 メイン路線…清水線黒02:目黒駅 - 二子玉川園 (8.9 km) 黒03:目黒駅 - 二子玉川園 - 砧本村(11.4 km・1988年2月15日限りで廃止) サブ路線…碑文谷線黒01:目黒駅 - 大岡山小学校 (4.2 km) 並行路線(接近表示のみ対応)…三軒茶屋線、学校線黒05:目黒駅 - 成城学園前駅 (14.6 km・1995年1月17日に短縮、現在の都に、2021年4月1日更に短縮立01) 黒06:目黒駅 - 三軒茶屋 (6.9 km) 黒07:目黒駅 - 弦巻営業所 (9.8 km) 特徴 本システム最大の特徴は、バスの利便性・路線の運行確保のみならず、運転士の勤怠管理までを含めた 総合的な運行管理システムとして構築されたことである。 車両の運行状況は、停留所に設置した受信機を通じて営業所のシステムに送られる。このデータを集積することで、道路状況などを把握し、目黒駅発の1往復分のダイヤをどの車両で運行するかが決定される。ダイヤを決定するにあたっては、メイン路線の運行の確保を重視する。 目黒駅を基準にして、発車が遅れる見込みの場合は、前後の便の発車時刻を調整することで、運行間隔の平均化を図る。メイン路線の運行状況が乱れた時には、本数を多く設定してあるサブ路線から車両を充ててメイン路線の車両を確保する。大きな遅延が生じたにもかかわらず、メイン路線に投入できる車両がない場合は、途中折り返しによって車両を確保する。また、運転士の乗務時間の増大によって労務規定に抵触する恐れがある場合は、運転士を途中で交代させることで対処する。 決定されたダイヤは、各停留所に表示される(接近表示ではなく、各停留所への到着予定時刻として2便分を表示)ほか、起終点停留所の手前に設置された発信機から当該車両に送信され、運転席に設置された小型CRTディスプレイに表示される。また、車両の方向幕も自動的に変更される。 これらを全てコンピューターにより制御する システムは、当時としては最高レベルのものであった。 車両 メイン路線・サブ路線では、実用本位だったそれまでの東急バス車両とは違い、グレードの高い専用車両が投入された。車種は三菱エアロスター(P-MP618K)で、運行開始当初の時点では21台導入された。正面に「109」と書かれていたことから、バスファンからは「109車」(いちまるきゅうしゃ)という通称で呼ばれていた。 側面窓が上部引き違い式 乗り心地改善のため、エアサス車を採用。 次の停留所名を表示する車内表示器を装備 カラフルなハイバックシートを装備 扁平タイヤの採用 この他、目黒通りに乗り入れる車両94台に対して接近表示に対応した機器を設置した。 また、1997年には、東急バスで初となるノンステップバス(M1600番台・KC-MP747K)が21台導入されたが、同年導入のノンステップバスは21台全てが本路線への集中配置とされ、システム導入当初からの車両を全て置き換えた。 その後の展開 本システムは優れた運行管理能力を有し、利用者の増加にも貢献した。しかし、メイン路線1路線への投資額としては、7億円は過大と判断された。このため、池上通りや青葉台地区への路線へ導入する際には、運行管理者が無線を活用して管理を行なう方法に変更された。 1998年に、システム自体の老朽化のため本システムは廃止されることになり、以後は無線による接近表示システムに切り替わっている。近年では「東急バスナビ」と称し、パソコンや携帯電話に運行状況を提供するサービスが行なわれている。
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東京急行電鉄(東急)
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スーツ(夏は半袖のスーツを着用)とラインカラーのネクタイを着用しそろって眼鏡をかけている。登場回数が少ないため詳しい性格はあまり明らかになっていない。 田園都市線 身長172cm、体重62kg。 外ハネの黒髪を真ん中で分けている男性。 半袖のスーツは無駄なものを排除したコストパフォーマンスで、社内の他部門から売り上げを搾取されていないと言い張る。 眼鏡を取ると有楽町線を西武の路線と間違えるほど目が悪い。 目黒線 身長172cm、体重65kg。 前髪を左側で分けている黒髪の青年。 冷静な口調と表情で思っていることをズバズバと言う。眼鏡は伊達。 東横線 身長173cm、体重63kg。 前髪を右側で分けている黒髪の男性。 副都心線と直通する前は西武池袋線に乗り入れるのを心配していて、直通後は5社直通の中で回復役になっている。 日比谷線とは昔からの付き合いだが、彼に物を与えるとお返しに悩み胃を痛めるので与えられずにいる。 池上線 身長171cm、体重69kg。 黒髪で短髪の男性。唇の下にほくろがある。 人見知りで京浜東北線や山手線とは駅で繋がっているが避けている。 イベントのチケットを渡す時と同時に都営浅草線に過去の事をいじられた。 大井町線 身長174cm、体重70kg。 黒髪のオールバックの男性。左耳の前に髪を垂らしている。 よく悪口を言われている。 世田谷線 身長170cm、体重60kg。 黒髪を真ん中で分けている男性。 実は「田園都市線」とは一番血縁関係があり、池上線・田園都市線とともに「被合併組」。 多摩川線 身長172cm、体重65kg。 黒髪を後ろで束ねている男性。 こどもの国線 身長137cm、体重29kg。 黒髪のショートボブの少年。普段は子供の姿で登場するが、実は大きくなれる。
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