長崎電気軌道蛍茶屋支線
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![]() 新中川町停留場付近を走行する211形電車 (2013年11月) | |||
基本情報 | |||
国 |
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所在地 | 長崎県長崎市 | ||
起点 | 西浜町停留場 | ||
終点 | 蛍茶屋停留場 | ||
停留所数 | 8 | ||
開業 | 1920年7月9日 | ||
最終延伸 | 1934年12月20日 | ||
運営者 | 長崎電気軌道 | ||
車両基地 | 浦上車庫、蛍茶屋車庫 | ||
使用車両 | 長崎電気軌道#現有車両を参照 | ||
路線諸元 | |||
路線距離 | 2.2 km | ||
軌間 | 1,435 mm | ||
線路数 | 複線 | ||
電化方式 | 直流600V 架空電車線方式 | ||
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停留場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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蛍茶屋支線(ほたるぢゃやしせん)は、長崎県長崎市の西浜町停留場と蛍茶屋停留場を結ぶ、長崎電気軌道の軌道路線である。
概要
本線から分岐し、馬町交差点(諏訪神社停留場付近)まで公会堂前通り、そこから先は国道34号上を経由し、市街地東端部の蛍茶屋停留場へ至る。蛍茶屋停留場付近には長崎電気軌道の営業所や車庫が構えている。
1号系統を除く全ての系統が乗り入れ、中でも3号系統以外は全線を通して運行される。本線のほか桜町支線とも接続しており、本線以外で複数の自社路線が接続する唯一の路線でもある。
路線データ
歴史

最初の開業区間は大正時代、長崎駅前方面から続く路線の一部として開業した。その後しばらくして西浜町方面の線路が開通するが、蛍茶屋停留場までの延伸は昭和期に入ってからとなる。
- 1920年(大正9年)
- 1922年(大正11年)3月24日:馬町停留場付近に馬町車庫が完成[2]。
- 1934年(昭和9年)
- 1936年(昭和11年)9月:諏訪神社下停留場を諏訪神社前停留場へ改称[5]。
- 1937年(昭和12年)3月:蛍茶屋車庫が完成[6]。
- 1944年(昭和19年)1月:戦時下の急行運転に伴い、酒屋町・桜馬場町各停留場が廃止[7][8]。
- 1945年(昭和20年)
- 8月9日:長崎市への原子爆弾投下により不通[9]。
- 11月25日:運行再開[9]。
- 1947年(昭和22年)12月:中川町停留場を新中川町停留場へ改称[4]。
- 1954年(昭和29年)3月1日:ルート変更により古町停留場廃止[10]、桶屋町停留場が開業[11]。
- 1962年(昭和37年)7月8日:蛍茶屋車庫から360形電車363号が逸走し、新大工町停留場に停車していた365号と追突事故[12]、12人が死傷[13]。
- 1963年(昭和38年)3月:桶屋町停留場を公会堂前停留場に改称[11]。
- 1967年(昭和42年)9月21日:諏訪神社前 - 蛍茶屋間において、普通自動車の軌道敷内通行が認められる [14]。
- 1982年(昭和57年)
- 1989年(平成元年)3月29日:道路拡幅に伴い、諏訪神社前 - 新中川町間の軌道移設、およびセンターポール化工事完了[16]。普通自動車の軌道敷内通行が再び禁止となる[14][17][16]。
- 2017年(平成29年)
- 2018年(平成30年)8月1日:西浜町停留場のアーケード入口乗り場を独立させる形で、浜町アーケード停留場が開業[21][22]。賑橋停留場をめがね橋停留場へ、公会堂前停留場を市民会館停留場へ、諏訪神社停留場を諏訪神社停留場へ改称[21][22]。
- 2023年(令和5年)1月4日:市民会館停留場を市役所停留場に改称[23]。
運行状況
1号系統が約5.5分間隔、3号系統が約6分間隔、4号系統が約20分間隔、5号系統が約8分間隔で運行されている。このほか、深夜帯に2号系統が1往復のみ運行される。
停留場一覧
番号 | 停留場名 | 駅間 キロ |
営業 キロ |
系統 | 接続路線 | |||
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32 | 西浜町停留場 | - | 0.0 | 2 | 4 | 5 | 長崎電気軌道:本線 | |
36 | 浜町アーケード停留場 | 0.0 | 0.0 | |||||
37 | めがね橋停留場 | 0.4 | 0.4 | |||||
38 | 市役所停留場 | 0.4 | 0.8 | 3 | 長崎電気軌道:桜町支線 (45) | |||
39 | 諏訪神社停留場 | 0.5 | 1.3 | |||||
40 | 新大工町停留場 | 0.2 | 1.5 | |||||
41 | 新中川町停留場 | 0.4 | 1.9 | |||||
43 | 蛍茶屋停留場 | 0.3 | 2.2 |
廃止停留場
- 酒屋町停留場:賑橋(現・めがね橋) - 古町間[5]、1944年1月廃止[7][8]。
- 古町停留場:酒屋町 - 諏訪神社前(現・諏訪神社)間[5]、1954年3月1日廃止[10]。
- 桜馬場町停留場:諏訪神社前 - 中川町(現・新中川町)間、1944年1月廃止[10]。
脚注
- ^ a b 五十年史, p. 355.
- ^ a b 100年史, p. 18.
- ^ 五十年史, p. 356.
- ^ a b 今尾 2009, p. 58.
- ^ a b c 100年史, p. 126.
- ^ 100年史, p. 19.
- ^ a b 今尾 2009, p. 57.
- ^ a b 田栗 2005, p. 74.
- ^ a b 五十年史, p. 357.
- ^ a b c 100年史, p. 128.
- ^ a b 今尾 2009, pp. 57–58.
- ^ 100年史, p. 139.
- ^ 田栗 & 宮川 2000, p. 195.
- ^ a b 梨森 1994, p. 205.
- ^ a b 100年史, p. 24.
- ^ a b 100年史, p. 196.
- ^ 100年史, p. 106.
- ^ 今野悠貴「長崎電気軌道、3号系統全線再開 公会堂前交差点、カーブ緩やかに」『毎日新聞』毎日新聞西部本社、2017年11月30日、地方版・長崎、23面。
- ^ “長崎電気軌道「3号系統」運行再開へ 復旧工事中は公会堂前で乗り継ぎ券発行”. 長崎経済新聞 (2017年10月25日). 2020年4月21日閲覧。
- ^ “3号系統の運行再開のお知らせ”. 長崎電気軌道. 2017年11月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月21日閲覧。
- ^ a b “電停名称変更のお知らせ”. 長崎電気軌道 (2018年3月30日). 2018年7月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年4月4日閲覧。
- ^ a b 浅野孝仁「長崎電気軌道:13カ所停留場、新名称に 35年ぶり、あすから」『毎日新聞』毎日新聞西部本社、2018年7月31日、地方版・長崎、23面。オリジナルの2021年10月27日時点におけるアーカイブ。
- ^ “「市民会館」停留場の「市役所」への名称変更について”. 長崎電気軌道. 2022年7月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年7月13日閲覧。
参考文献
- 『日本鉄道旅行地図帳』 12 九州沖縄、今尾恵介 監修、新潮社、2009年4月。ISBN 978-4-10-790030-2。
- 田栗優一『長崎「電車」が走る街今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年7月。ISBN 4-533-05987-2。
- 『長崎電気軌道100年史』長崎電気軌道、2016年3月15日。
- 『五十年史』長崎電気軌道、1967年。ASIN B0DH4Q8ZZP。
関連項目
- 長崎電気軌道蛍茶屋支線のページへのリンク