東急レクリエーションとは? わかりやすく解説

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東急レクリエーション

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/22 14:54 UTC 版)

東急 > 東急レクリエーション
株式会社東急レクリエーション
TOKYU RECREATION CO.,LTD.
種類 株式会社
市場情報
東証スタンダード 9631
1949年5月16日 - 2022年12月29日
本社所在地 日本
150-0031
東京都渋谷区桜丘町24番4号
第5富士商事ビル
設立 1946年(昭和21年)6月15日
(新日本興業株式会社)
業種 サービス業
法人番号 8011101014005
事業内容
代表者 代表取締役社長 木村知郎
資本金 70億2800万円
発行済株式総数 638万7494株
売上高
  • 287億9400万円
(2024年12月期)[1]
営業利益
  • 4億4600万円
(2024年12月期)[1]
経常利益
  • 3億4300万円
(2024年12月期)[1]
純利益
  • △28億1600万円
(2024年12月期)[1]
純資産
  • 253億2700万円
(2024年12月31日現在)[1]
総資産
  • 523億8500万円
(2024年12月31日現在)[1]
従業員数
  • 連結: 475名
  • 単独: 369名
    (2019年12月31日現在)
決算期 12月31日
主要株主 東急 100%
主要子会社
  • ティーアール・サービス
  • 東急レクリエーションホテルズ
関係する人物
外部リンク https://www.tokyu-rec.co.jp/
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株式会社東急レクリエーション(とうきゅうレクリエーション、: TOKYU RECREATION CO.,LTD.)は、東京都渋谷区に本社を置く、映画興行や不動産業を手がける東急グループの企業である。シネマコンプレックス(シネコン)の109シネマズなどを展開している。

沿革

新日本興業株式会社

  • 1946年昭和21年)
    • 6月15日 - 新日本興業株式会社として設立。
    • 8月 - 四日市市にキャピトル劇場を開業。
  • 1949年(昭和24年)
  • 1951年(昭和26年)10月30日 - 東京急行電鉄株式会社新宿歌舞伎町に東京製氷株式会社(東京スケート)を設立。アイススケートリンクを経営。
  • 1953年(昭和28年)12月31日 - 新日本興業株式会社、東京製氷株式会社(東京スケート)を合併し、東急グループ入り。
  • 1956年(昭和31年)12月1日 - 上記アイススケートリンクを撤去し、跡地に新宿東急文化会館を建設。
  • 1966年(昭和41年)11月1日 - 株式会社東急文化会館を合併。

株式会社東急文化会館

  • 1956年(昭和31年)
  • 1957年(昭和32年)1月19日 - 株式会社上野東急設立。下谷元黒門町(上野駅前)の映画館・上野東急を経営。
  • 1960年(昭和35年)3月1日 - 株式会社東急文化会館、泰西映画株式会社を合併。洋画の輸入ならびに配給事業に進出。「東急洋画チェーン」を形成。
  • 1962年(昭和37年)9月 - 興行面で松竹株式会社と全面提携[2]
  • 1963年(昭和38年)1月9日 - 松竹株式会社と配給面でも提携[3]
  • 1965年(昭和40年)2月27日 - 「松竹・東急チェーン」(STチェーン)が発足[4]
  • 1966年(昭和41年)
    • 8月1日 - 株式会社上野東急を合併。
    • 11月1日 - 新日本興業株式会社に合併される。

株式会社東急レクリエーション

  • 1969年(昭和44年)3月26日 - 新日本興業株式会社が株式会社東急レクリエーションに商号変更[5]
  • 1970年代 - 1990年代 - ボーリングを中心に事業展開(蒲田、横浜などに「東急スポーツセンター」を開業。ともに、1990年代に閉鎖。)
  • 1973年(昭和48年)6月 - ホテル事業に進出。同年8月に広島東急イン、10月に熊本東急インを開業。
  • 1982年(昭和57年)12月4日 - 上野東急をリニューアルし、上野とうきゅうビルの営業を開始。
  • 1988年(昭和63年)4月 - 池袋東急をリニューアルし、池袋とうきゅうビルの営業を開始。
  • 1996年平成8年)
    • 3月 - 「とうきゅうボウル」の営業開始(湘南とうきゅうボウル)。
    • 9月 - 株式会社ティーアール・フーズ(現・連結子会社)設立。
  • 1997年(平成9年)4月 - 株式会社ティーアール・サービス(現・連結子会社)を設立。
  • 1998年(平成10年)4月 - 「109シネマズ」の営業開始(109シネマズ港北)。
  • 2002年(平成14年)
    • 8月 - 「フットボールコミュニティー」の営業開始(フットボールコミュニティー越谷)。
    • 11月 - 「スーパー銭湯 美しの湯」の営業開始。
  • 2003年(平成15年)6月 - 渋谷東急文化会館を閉館。
  • 2006年(平成18年)6月 - 相鉄ローゼン株式会社から「相鉄ムービル」(現・ムービル)の運営を継承。
  • 2007年(平成19年)10月 - 株式会社東北新社との合弁で、映画配給事業を手がける株式会社ゴー・シネマを設立。
  • 2011年(平成23年)
    • 5月 - 東京急行電鉄株式会社からの事業譲渡により、流行発信ショップ「ranKing ranQueen」(ランキンランキン)の運営を継承。
    • 12月25日 - 池袋東急を閉館。
  • 2012年(平成24年)
    • 4月26日 - 渋谷東急文化会館跡地に「渋谷ヒカリエ」開業。(運営は東急レクリエーションではない)。
    • 4月30日 - 上野東急を閉館。
  • 2013年(平成25年)5月23日 - 渋谷東急を閉館。
  • 2014年(平成26年)
  • 2015年(平成27年)1月25日 - 109シネマズMM横浜が閉館。
  • 2016年(平成28年)3月17日 - 東京急行電鉄株式会社が株式公開買付け自己株式処分の引受により、持株比率を直接48.91%、同社子会社保有株式を含め50.10%とし、親会社となる[6]
  • 2019年(平成31年)2月28日 - コンビニエンスストア事業から撤退[7]
  • 2022年(令和4年)12月29日 - 上場廃止[8]
  • 2023年(令和5年)
    • 1月1日 - 株式交換により、東急株式会社の完全子会社となる[8]
    • 4月14日 - 新宿ミラノ1・2・3及びシネマスクエアとうきゅう跡地に東急歌舞伎町タワー開業。
  • 2024年(令和6年)
    • 1月1日 - 子会社の広島東急レクリエーションと熊本東急レクリエーション(それぞれ広島 東急REIホテル、熊本 東急REIホテルの運営会社)を合併。広島東急レクリエーションが存続会社となり、同日を以て東急レクリエーションホテルズへ社名変更。

事業

映像事業

かつて運営していた映画館

  • ロードショー館
    • 上野東急・上野東急2(上野とうきゅうビル 1F・3F)(東京都台東区上野)※2012年4月30日閉館。
    • 池袋東急(池袋とうきゅうビル 7F)(東京都豊島区東池袋1-41-4)※2011年12月25日閉館。
    前身の映画館「池袋東洋映画劇場」を1949年に当時の新日本興業が買収し、池袋東急とする。1988年4月に地下2階地上8階建ての池袋とうきゅうビルへと建て替えられ、300席(後に292席に減少)の映画館としてリニューアルオープン。丸の内ルーブル系列の映画館として数々のヒット作や大作を上映してきたが、近隣地域のシネマコンプレックスに客足を奪われたこと等もあり2011年12月25日アントキノイノチ』の上映を最後に閉館[10]。なお、3Dデジタルは閉館まで導入しなかった[11]。閉館後の2012年12月22日、同館跡地にアウトバック・ステーキハウス池袋店がオープンした。
    閉館後の2023年4月14日、同館跡地の東急歌舞伎町タワーに109シネマズプレミアム新宿がオープンした。
    • まちだ東急ル・シネマ(中央通り東急ビル 2F)(東京都町田市原町田まちだ東急百貨店との共同運営施設として、1984年12月8日開業。※2000年7月閉館。
  • シネマコンプレックス
  • その他映画館
    • 四日市キャピトル劇場(三重県四日市市諏訪栄町)1948年1月売却。後の四日市東映劇場。
    • 名古屋キャピトル劇場(愛知県名古屋市中区)1948年1月売却。のちのヒカリ劇場。
    • 豊橋キャピトル劇場(愛知県豊橋市新本町)1948年1月売却。のちの豊橋国際劇場。
    • 浜松キャピタル劇場(静岡県浜松市板屋町)1948年1月売却。のちの浜松映画劇場。
    • 大阪梅田キャピトル劇場(大阪府大阪市北区曾根崎新地)1948年1月日活に譲渡され梅田日活映画劇場。
    • 大阪上六キャピトル劇場(大阪府大阪市天王寺区上本町)1948年1月売却。
    • 姫路キャピトル劇場(兵庫県姫路市福中町)1948年1月売却。のちの白鷺座。
    • 新宿ヒカリ座(東京都新宿区新宿)1946年東急関連企業として開館。のち東映に合併。
    • 中野映画劇場(東京都中野区中野)時期により中野松竹、中野東宝、中野東映(後述の中野東映とは別物)。
    • 中野東映(東京都中野区中野)
    • 中野名画座(東京都中野区中野)
    • 平井映画劇場(東京都江戸川区平井)1967年頃売却。

ライフ・デザイン事業

かつて行っていた事業

不動産事業・マスターリース

歴代社長

関連項目

脚注

  1. ^ a b c d e f 株式会社東急レクリエーション 第92期決算公告、2025年(令和7年)3月25日付「官報」(号外第63号)55頁。
  2. ^ 松竹株式会社『松竹七十年史』松竹 1964 p969
  3. ^ 東宝株式会社『東宝五十年史』東宝 1982 p480
  4. ^ 東宝株式会社『東宝五十年史』東宝 1982 p483
  5. ^ 沿革”. 東急レクリエーション. 2023年2月15日閲覧。 “1969年3月26日 社名変更「株式会社東急レクリエーション」に社名変更”
  6. ^ 親会社及びその他の関係会社の異動に関するお知らせ
  7. ^ 事業の一部の廃止に関するお知らせ 東急レクリエーション 2018年12月14日
  8. ^ a b “東急、株式交換で東急レクリエーションを完全子会社化”. ロイター通信. (2022年9月14日). https://jp.reuters.com/article/tokyu-share-exchange-idJPKBN2QF0G6 2022年9月15日閲覧。 
  9. ^ シネマ・リオーネ古川”. 港町キネマ通り (2017年8月). 2021年6月28日閲覧。
  10. ^ 「池袋東急」の閉館について - 東急レクリエーションニュースリリース(2011年9月20日)
  11. ^ このため丸の内ルーブルで2011年4月期に封切られた『少年マイロの火星冒険記 3D』は池袋東急で上映されず、『八日目の蝉』に差し替えられる等、晩年は上映番組の変更が目立った。
  12. ^ 『エニタイムフィットネスセンター竹の塚店』開業に関するお知らせ(2015年3月3日)
  13. ^ 『エニタイムフィットネスセンター相模原店』開業に関するお知らせ(2015年4月10日)
  14. ^ 名称変更のお知らせ ホテル東急ビズフォートは「東急REIホテル」へ名称変更いたします。(2015年1月15日)
  15. ^ スーパー銭湯「美しの湯」閉店のお知らせ(2011年4月8日)
  16. ^ 東急フィットネスクラブ「AXIA取手」閉鎖のお知らせ(2014年9月30日)
  17. ^ 布村建「極私的東映および教育映画部回想」『映画論叢』2014年7月号、国書刊行会、13–14頁。 
  18. ^ 「岡田茂 年譜」『文化通信ジャーナル』2011年6月号 VOL.51、文化通信社、36–37頁。 
  19. ^ 第134期定時株主総会招集ご通知東京急行電鉄、10頁。
  20. ^ 文化通信『インタビュー:佐藤仁東急レクリエーション代表取締役社長』2007年6月20日IRBANK・東急レクリエーション 役員の状況

外部リンク


東急レクリエーション

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 05:50 UTC 版)

岡田茂 (東映)」の記事における「東急レクリエーション」の解説

1980年東京急行電鉄取締役と東急レクリエーション社長に就任し東急グループ東映冷え切った関係を修復した赤坂東急ホテル開かれた岡田社長就任を祝う会では、東急グループ総帥五島昇人前憚らず号泣した岡田同社社長1980年1月から1993年6月まで務め以降2003年3月まで代表取締役会長その後2011年5月亡くなるまで相談役として30年以上、同社経営関与した。東急レクリエーションは、渋谷新宿中心に都内一等地大型劇場チェーンを持つ興行会社で、社長会長在任中に劇場再開発行った1987年、東急レクリエーションと東映提携によるティ・アンド・ティ映画興行(Cinema T&T)を設立して有楽町センタービル(有楽町マリオン)に丸の内ルーブルオープンさせ、念願銀座地区進出果たし1987年4月池袋とうきゅうビル建設。この時、佐々木興業チェーン組んでいた丸の内ルーブルミラノ座渋谷パンテオン全て東急レク直営館にした。他に1989年9月開業したBunkamura内にヘラルド・エースコラボしてBunkamura ル・シネマを、1993年には多摩市多摩カリヨン館松竹第一興行ジョイントビデオシアター多摩カリヨンシアターを、同年本厚木ミロード2に厚木シネマミロード等をオープンさせた。丸の内ルーブル天井巨大なシャンデリア設置するなど、アクション映画主体の同チェーン女性層の動員意識した番組編成を行う先駆けとなった。他の劇場椅子デラックス化や絨毯張り替えなど、劇場への再投資積極的に行い岡田社長就任時に同社大きく業績伸ばした。『E.T.』や『愛と青春の旅立ち』『戦場のメリークリスマス『007 オクトパシー』フラッシュダンス』『探偵物語『時をかける少女』などのヒット作続出した1983年12月期には、前年対比52%増と創業以来最高の成績挙げ売上高1765000万円と、一興行会社としては空前成績残した。これは従来新宿集まっていた若者が東急レクリエーションの本拠地である渋谷移動し渋谷地域ステータス上がってきたという背景もあった。

※この「東急レクリエーション」の解説は、「岡田茂 (東映)」の解説の一部です。
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