江ノ島電鉄
江ノ島電気鉄道
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1931年7月11日、競合関係にあった鎌倉江ノ島乗合自動車商会(1929年(昭和4年)6月2日開業)より江ノ島 - 鎌倉間の営業権を譲受して営業再開(これ以前に、1927年から1929年まで辻堂地区で乗合自動車業を行っていたが、廃業していた)。1934年(昭和9年)9月1日、藤沢自動車より片瀬 - 藤沢間譲受。1935年(昭和10年)5月26日、岩崎清一及び平田忠心より茅ヶ崎市内及び平塚市内の路線を譲受。東海道乗合自動車へは、まずこの茅ヶ崎・平塚線を譲渡した。詳細は「江ノ電バス#沿革」を参照
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江ノ島電気鉄道(神奈川県)
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「日本のモノレール」の記事における「江ノ島電気鉄道(神奈川県)」の解説
片瀬と江ノ島を結ぶモノレール。江ノ島電気鉄道が1928年7月3日付けで免許を取得していたが、沿線の反対や資金調達の問題から、実現しなかった。
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江ノ島電気鉄道
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「武蔵中央電気鉄道1形電車」の記事における「江ノ島電気鉄道」の解説
「江ノ島電気鉄道100形電車」も参照 江ノ島電気鉄道は従来保有した4輪単車の代替を目的として他事業者にて廃車となった2軸ボギー車の導入を進めていたが、その一環として1形6を購入、100形115の形式・記号番号を付与し導入した。導入に際しては収容力増加を目的に、車体中央部を境界として点対称の位置の座席を撤去、車内座席配置を千鳥配置に改めた。その他、外観は塗装変更が実施された程度でほぼ原形のまま運用を開始したが、後年前照灯および後部標識灯の移設・台車交換による高床構造化・前面行先表示窓の埋込撤去などが施工された。 戦後、江ノ島電気鉄道線のプラットホーム高の嵩上げが実施された際、車体幅の狭い115は対応工事の施工対象外となり、1956年(昭和31年)に廃車となった。廃車後は江ノ島電気鉄道においては不適とされた狭幅車体が軽便鉄道規格に合致したため、1957年(昭和32年)7月に軽便鉄道路線(後の越後交通栃尾線)を運営する栃尾電鉄へ再譲渡された。 栃尾電鉄への導入に際しては台車間中心間隔の拡大および客用扉下部の内蔵ステップの切り上げのほか、運転機器の撤去・電装解除が施工され、付随車ホハ23の記号番号が付与された。事業者合併に伴い保有事業者が越後交通に変わったのちの1961年(昭和36年)6月に、東横車輛工事(現・東急テクノシステム)にて台枠延長を伴う車体の大改造が施工され、改造後は前面に貫通扉を備える側面窓配置2 D 10 D 2の鉄道車両となり、武蔵中央電気鉄道1形としての原形は完全に失われた。改造後は制御車クハ101形101と形式・記号番号を改めたのち、短期間で再び付随車ホハ23となり、1967年(昭和42年)7月に総括制御対応の制御車化改造を施工の上でクハ111形111と三たび形式・記号番号が変更され、1975年(昭和50年)3月の栃尾線全線廃止まで在籍した。
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