納涼電車の導入経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 03:14 UTC 版)
「江ノ島電気鉄道200形電車」の記事における「納涼電車の導入経緯」の解説
江ノ島電気鉄道(以下「江ノ電」で統一)においては、2軸ボギー車である100形の導入によって1931年(昭和6年)より従来型の小型4輪単車である1形の代替を進めていたが、余剰となった4輪単車のうち5両が同年7月に納涼電車に改造された。同5両は従来の木造車体を廃棄して新たに新造された半鋼製の納涼電車としての専用車体に換装され、4輪単車としては最末期まで残存したが、これらの代替を目的として1936年(昭和11年)に新製されたのが、本項にて取り上げる2代目の納涼電車である。 4輪単車の初代納涼電車は前面・側面とも窓枠および窓ガラスを省略して腰板部より上部を開放構造としており、5両中3両(1 - 3、車番はいずれも2代)はシーズンオフの運用を考慮して、屋根部を鋼板張りとして夏季以外は着脱式の窓枠を装着可能な構造となっていたが、残る2両(11・12)は完全な夏季専用車両として設計・製造され、屋根部は天幕張り構造であった。2代目納涼電車はこの後者の設計を踏襲し、2両が日本鉄道自動車(現・東洋工機)において新製された。 新造された車体は半鋼製のボギー構造で、全長は11,400 mmと、100形106 - 110の全長11,600 mmと近似した設計となっている。天幕張り構造の屋根部・鉄パイプで構成された開放的な2枚折扉・腰板部の上半分に網目状の細かな穴を設けた構造など、基本的な設計は前述の通り4輪単車11・12を踏襲しているが、前後妻面中央部の運転台部分にのみ常設の窓枠が設置された点が異なり、前面窓上部には行先表示窓が設置されている。前後妻面の左右には隅柱を設け、前後2箇所に設けられた客用扉間にも屋根部を支持する計7本の柱を均等配置し、側面の各柱下部には保護棒が2本設けられている。 また、この2代目納涼電車は、運用期間が夏季に限定されることを踏まえて専用の台車・主要機器を用意せず、既存の在籍車両のうち100形111・112との主要機器・台車の共用を前提として車体のみが新造されたことが最大の特徴である。車両番号(車番)も主要機器共有先と同じく111・112と付番されたが、別途111が「金波号」、112が「銀波号」とそれぞれ愛称が付与されている。
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